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しもつけ風土記の丘資料館の埴輪の馬を見てみましょう。
この秋、特別展として栃木県下野市の甲塚(かぶとづか)から出土した多数の埴輪が展示されています。
甲塚の発掘では、人型埴輪の列の後方(左側)に4頭の馬が並んでいたそうです。
4頭は馬具飾りの程度がまちまちで、先頭の馬埴輪1 が、最も豪華な装飾です。
胸・肩・尻にぶらさげられている『馬鐸(ばたく)』というものを、初めて見ました。
装飾が豪華なことから、古墳の主が乗っていた馬と考えられます。
出土した埴輪の表面を詳しく調べると、もともと塗られていた色が分かるそうです。
この馬は白馬だったとのことです。
復元模型では、とても美しい姿が再現されていますね。
この埴輪馬1 のもうひとつの特徴は、左上の写真でお分かりのように、鞍の右側に、横向きに両足をそろえて座れるように足置きの板が取り付けられている点です。またがって座るのではなく、横向きに座るというのは、女性が乗馬するためのものだったのでしょうか。この馬が古墳の主のものだとすると、古墳の主は女性だったのではないかと、当日の講演会で日高先生は推定されていました。
先頭の馬に続いて、下のような馬の埴輪が並んでいました。
馬の列の後ろへ行くに従って飾りがシンプルになります。馬4 には鞍が無く、裸馬に乗馬していたのか、あるいはまだ仔馬で、乗馬用とされていなかったのかもしれません。
これら馬の表情は、前回紹介した飯塚古墳の男女の埴輪もそうですが、楽しげで優しい顔をしています。当時の関東の生活は、なかなか豊かなものだったのでしょう。
馬具については、多くのwebサイトで説明されていますが、ここでは東京国立博物館の記事を紹介させていただきます。
左図の馬は熊谷市上中條日向島から出土したそうです。
馬の飾りの名前が説明されています。
これら埴輪に描かれている飾りの通りに、実際に金属製の実物が出土しているそうで、驚きです。
上右は群馬県大泉町から出土とあります。
甲塚の埴輪馬1 のお尻には、杏葉(ぎょうよう)の代わりに馬鐸が付いていました。
耳も尻尾もピンと立っているのが、この頃の埴輪馬の特徴でしょうか。
左上の熊谷の馬はおっとりした表情ですが、行田市の酒巻14号墳から出た馬は、もっと精悍な感じで、騎馬兵が乗っていた馬かもしれません。
大泊瀬幼武の天皇の時代に、はにわ馬の物語があります。
『月夜の埴輪馬』(注) 史(ふびと)や書首(ふみのおびと)は、書物を書き記す職業で、当時すでに漢字を使えたこと、名前が伯孫や加竜であることから、中国から渡来した人であったと考えられます。 甲塚にもどりますと、この古墳の主が女性だったことをうかがわせる埴輪が他にも出ていますので、それは次回紹介したいと思います。
(参考書)
『しもつけの"埴輪群像"』 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館 (2014), p.23, 61
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