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井戸尻遺跡がある信濃境駅に10時に到着。
中央本線 信濃境駅
上諏訪と小淵沢の間、富士見町の八ヶ岳南山麓の駅です。
信濃境 駅前通り
八ヶ岳から南に向かうと、南アルプス、甲斐駒ヶ岳が見えます。
八ヶ岳と南アルプスの間に釜無川が、深い渓谷を削り取っていて、
釜無川へ落ち込むゆるやかな斜面を少し下ったところに、井戸尻遺跡があります。
甲斐駒ヶ岳を望む下り坂、左が井戸尻考古館で、信濃境駅から歩いて20分ほどです。
駅から考古館までの道は、花が咲き始める早春ということもあって、実に良い感じの道でした。
井戸尻遺跡が栄えた5千〜4千年前、関東東部から甲州、ここ井戸尻を中心に諏訪湖や伊那谷にかけて、きわめて多くの縄文遺跡が点在していて、地図的に 『富士眉月弧』 文化と呼ばれています(資料1 p.10-12)。
館内には大変多数の縄文土器などが展示されていました。
曽利式とか、曽利産の土器も多いですが、曽利は井戸尻の西に隣接した集落です(資料1 p.81)。
蛇頭半人半蛙(はんじんはんあ)絵文深鉢 曽利
土器には、蛇(矢印)、蛙、渦や目玉や弧(三日月)などの模様が描かれていて、似たような模様が多くの土器で繰り返し造られているのですが、どれもみな少しずつ模様がちがっています。
模様の意味の解読がかなり進められていて、当時は科学以前の段階ですが、月の満ち欠けが季節や出産との関係で、宗教的に強く認識されていたようです(資料1 p.31-59)。
数学や文字は無いのですが、これら土器のデザインは芸術的で、大変パワフルで素晴らしいです。
岡本太郎的というか、現代の製品が何千年後に、これらの縄文土器よりも高い価値を持っているのかどうか...
いつのまにか人間は科学技術無しでは暮らせなくなってしまいました。
けれども、科学技術も使い方次第で、人間を幸せにしてくれるとは限らないのではないでしょうか?
竪穴式住居
すき間だらけで冬は寒いでしょうが、地震が来ても2階が1階に落ちてくるような心配はいらないのではないでしょうか?
縄文時代、2〜3千年もの間、この高原の寒い場所に人々が安定して生活できたのは、そのころの気候が暖かだったからではないかと思われます。
けれどもそれ以上に生活の安定をささえていたものがあります。
農業に適した形の石器が多数、このあたりの遺跡から出ています。
縄文時代は狩猟で、農耕は弥生時代からと学校で教わってきましたが、実は縄文時代にすでに農耕は行われていて、穀物から粉をひいて焼き、煎餅かパンのようなものも作られていたのです(資料1 p.13-30)。
資料1: 「井戸尻」 第8集、富士見町井戸尻考古館
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駅
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