かさぶたろぐ

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古墳

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内裏塚古墳

5月21日
東京湾観音の売店で、富津市の観光ガイドマップを配布していて、
近くの青堀(あおほり)駅に 『古墳の里ふれあい館』 があるのを家内が見つけてくれた。
上総湊(かずさみなと)にある 『ソムリエハウス酒匠の館』(小泉酒造)に立ち寄ってから、青堀駅へ向かった。



イメージ 1


青堀駅の周辺には古墳がたくさんあって、地図ではさながら大阪の堺市のような眺め。


館内で無料配布していた内裏塚古墳群のガイドブックやマップをもらい、内裏塚古墳へ。


イメージ 2


過去にあったはずの周溝は、今では埋められていて見ることができない。
地名の 『青堀』 は、現在も近くに残る 飯野陣屋の濠 のことかもしれない。

古墳ふれあい館で入手した 『内裏塚古墳群ガイドブック』 によると

p.13 内裏塚古墳 (だいりづかこふん)

所在地: 千葉県富津市二間塚字東内裏塚1890 ほか
指定: 国指定史跡/平成14年 (2002) 9月20日
    人物埴輪頭部1点・鳴鏑2個・内裏塚古墳付近古墳出土太刀2口
    市指定有形文化財/昭和48年 (1973) 7月6日

内裏塚古墳 は、墳丘全長144mの前方後円墳で、千葉県最大かつ南関東最大の古墳である。
築造時期は5世紀中葉と推定され、内裏塚古墳群の中では最初に築造された古墳である。
墳丘形態は大阪府堺市百舌鳥(もず)古墳群の 履中(りちゅう)陵古墳(陵山みささぎやま古墳) に近似し、その約2/5の大きさである。

石室の発掘は、明治39年(1906)に柴田常恵(しばたじょうけい)・小熊吉蔵(おぐまきちぞう)らによって行われ、その後、大正4年(1915)には石室上部に石碑が建てられている。石碑の台座に使用されている石は石室天井石の一部と見られる。

周溝部については昭和58年(1983)以降、数次にわたって確認調査が行われている。 調査によって明らかとなった墳丘規模は、墳丘長144m・後円径80m・前方部幅90m・後円部高13m・前方部高11.5m・盾形周溝(たてがたしゅうこう)を含めた全長185mである。 

また埴輪については円筒埴輪のほか、人物・家・蓋(きぬがさ)の形象埴輪が確認されている。
平成19年(2007)の墳丘調査で、後円部の約2/3の高さまでは自然砂丘を利用して築造されていることが明らかとなった。また後円部頂の周縁部に円筒埴輪列が存在し、その内側に自然礫による葺石が敷かれていることも判明した。

石室は海岸で採取される凝灰質砂岩の自然石(磯石)を乱石積(らんせきづ)みにして壁面を構築していたと見られるが、発掘時の詳細な記録を欠いているため、不明点が多い。

石室の規模は東側の甲石室が長さ5.7m、西側の乙石室が長さ7.5mで、乙石室の方が規模も大きく、副葬品内容も優れていることから、中心となる埋葬施設であったと見られる。

副葬品は、甲石室から人骨2体分とともに、直刀(ちょくとう) 5・鉄剣(てっけん) 2・小刀1・鎌1・角棒1・斧2・鉄鏃(てつぞく)が、乙石室から鏡1・直刀5・鉄剣1・鉄鎗(てっそう) 1・鉄鏃・金銅製胡籙(ころく)金具一式・斧2・骨製鳴鏑(なりかぶら) 9が出土している。

副葬品は鉄製武器と農工具を主体としており、墳丘規模から見ればその内容は比較的簡素とも言える。副葬品のうち金銅製胡籙(ころく)は朝鮮半島で製作された可能性がある。
当古墳の被葬者は5世紀に小糸川流域一帯を治めていた首長と考えられ、「国造本紀(こくぞうほんぎ)」などの文献に記された須恵国造の系譜に連なる人物を見られる。

墳丘部は昭和40年(1965) 4月27日に千葉県指定史跡、平成14年(2002) 9月20日に国指定史跡となっており、周溝部についても逐次国指定区域として追加されている。

なお、内裏塚古墳の墳丘上東側には「珠名冢碑(たまなちょうひ)」がある。
この碑は江戸時代後期の嘉永4年(1851)に山田重春という人物によって建立されたもので、奈良時代の『万葉集』に詠まれた「末珠名(すえのたまな)」と内裏塚の由来が記されている。『万葉集』巻九に「胸が豊満で腰が細く、男心を惑わす美しい乙女」として描かれた末珠名の歌は高橋虫麻呂の作と伝えられている。江戸時代にはこのような文学上の女性と古墳が結びつけられ、碑が建てられたほか、珠名姫神社という社もあったが、史実とは異なり、明治の発掘後に神社も合祀された。

出典: 『千葉県富津市 内裏塚古墳群 富津市文化財ガイドブック』 富津市教育委員会 2011


古墳の上へは自由に登ることができ、石室はみられなかったが、後世の神社があった。


イメージ 3


521日にここへ登ったときにはすでに蚊が飛んでいたので、ゆっくり見るには虫よけスプレーを持参した方がよい。

午前中に貝ひろいをした磯根崎の近くには弁天山古墳があって、石室も見られるようなので、次回訪れてみたい。

副葬品保管場所: 国立歴史民俗博物館・富津市教育委員会・飯野神社
 
木更津市郷土博物館 金の鈴
 
須恵国(すえのくに)の古墳
 
万葉集 上総末の珠名娘子の歌
(注) 末 = 須恵 = 周淮(すゑ)

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