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9月 3日(月)
納骨と実家の模様替えを終えて、父の退院まで京都に滞在できるとよかったのだが
翌日の9月4日(火)は、大型の台風21号が近畿を襲うとの予報なので、実家の戸締りをして
さっさと横浜市の自宅へ帰ることにした。
山科駅で甥と別れ、京都15:58発の 【ひかり474号】 に乗車。
無難なC席に着いたが、名古屋でDE席が空いたので、E席へ移動。
浜松を出たところでお弁当を開いた。
淡路屋の但馬(たじま)牛めし重
夕方の新幹線は混むもので、静岡で隣のD席に他の乗客が着き、車内はほぼ満員に。
日本坂トンネルを抜け富士川鉄橋にさしかかる手前あたり
台風前夜のおだやかな富士山
18:22 新横浜に到着
翌日の9月4日は会社に出勤したが、台風21号が近畿を通過、その間関東でも強い風が吹き続けたので関西の風はさぞかしひどかっただろう。
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9月 3日(月)
姉の納骨をしてもらうことになり、甥と合流して山科の毘沙門堂へ。
毘沙門道 疎水を渡る。上流は琵琶湖。
毘沙門堂 勅使門への石段
お寺に上がらせてもらい、執事長さんにご挨拶。
姉の 「戒名が良すぎる」 と文句を言うと、「なくなった人の悪口を言ってはいけません」 と諭された。
蓮の花咲く庭を通って、本堂へ案内された。
毘沙門堂の庭
天井に龍が描かれたほの暗い部屋で、半年おくれの葬儀を厳かにとりおこなっていただいた。
橙色の袈裟、かわいた鉦の音、なんとなく東南アジア的でエキゾチック。
母の時と同様だが、住職さんは交代されている。
今回は父と姉は不在、代わりに甥が出席している。
野辺送りの儀礼が終わると、お骨とお札を持って墓地へ。
墓地の奥、竹藪の手前にお墓がある。
墓の前で甥も手を合わせておがんでくれた。
あたりまえのことなのだが、私の家族は神も仏も信じず宗教儀式が苦手で
墓の前で手を合わすということを、私は家内から教わった。
甥も当家の墓にお参りするのは、これが初めてだった。
台風でなく、こんな良い天気の日にあたって良かった。
納骨が終わり、甥も一緒に実家に帰った。
今週の後半には父が退院する見込みなので、筋力が衰えた父が生活できるよう
2階にあったベッドなどを1階へおろす作業を、元気な甥っ子が中心になってやってくれた。
甥は私同様遠く離れた関東に住んでいるため、姉が使用していた通信契約の解除や不動産名義変更の事務手続きがまだ終わっておらず忙しい。
世の中のいろんな制度は、どうしてこんなに複雑になってしまったのだろうか...
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9月2日(日)
姉の納骨が9/3と決まったので、また京都へ向かう。
今回は家内も同行してくれた。
いつものように 【こだま645号】 でゆったりと。
静岡をすぎ日本坂トンネルを抜け焼津に出たところ (→進行方向)
京都に到着。
病院で父と面会。明日ようやく姉の納骨ができると報告。 父は思いのほか元気でベッドの上に座り、元気に話してくれる。
回復が順調なら今週の後半には退院できるとのこと。 廊下をヨチヨチと歩き、病院からの西山や東山の景色を案内してくれた。
東山はちょうど南から雨雲が通過するところで、大文字山が見えrたときには比叡山が雨雲にかくれていた。
帰り道。西日をあびた丸太町
烏丸丸太町
この角を左に曲がったところにある飯屋、「ごはん日和」で夕食をとった。
※烏丸丸太町は、「からすまるまる、ふとまち」 ではなく 「からすま、まるたまち」 と読みます。
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8月26日(日)
自宅でゆっくりと休日
朝の犬の散歩...
前日につづき、よい天気
おいと連絡がとれ、京都のお寺のお墓に姉の納骨をすることで了解してもらった。
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8月25日(土) 山科
台風20号が通過した京都は、さわやかに晴れた。
入院した父に持っていくシャツや下着を山科の西友で買ったあと、丸太町の病院へ。
衣棚通り
道の先に山が見えるところが、京都のいいところ。
丸太町通りを走る市バス 銀閣寺・白川通り経由高野行き204番
市バスの正面の色は昔から変わらない
病室から 京都の街
帰りがけに父は力をふりしぼって自力でトイレに行ってくれた。根性。
丸太町通り
室町教会
烏丸丸太町 左は御所、丸太町通りの先には東山
烏丸通 右は御所。
地下鉄に乗って山科へ戻り、荷物を回収。
京都駅
18:26 【のぞみ250】に乗って、横浜へ帰宅。
車内で近江牛弁当。
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