巻第二十九 天武天皇 下より 『(天武五年の夏四月に) 「諸王・諸臣の封戸(ヘヒト)の税(オオチカラ)は、京より西の国に賜るのをやめ、東の国にふりかえて賜うこととする。・・」 「礪杵郡(トキノコオリ:岐阜県土岐郡)にいる紀臣訶佐麻呂(キノオミカサマロ)の子を東国(アズマノクニ)に移し、その国の百姓(オオミタカラ)とせよ」と言われた。』 日本書記 中央公論社1983, p.414 『(天武十四年の秋七月の乙巳の朔)辛未(カノトヒツジ;27日)に、詔して、 「東山道(ヤマノミチ)は美濃以東、東海道(ウミノミチ)は伊勢以東の諸国の優位者には、みな課役を免除せよ」と言われた。』 壬申の乱での功績により東国の民は徴税・課役について優遇される。 『(天武十一年)五月の癸巳の朔甲辰に、倭漢直の人々に、姓(カバネ)を賜って連(ムラジ)といった。』 日本書記 中央公論社1983, p.416, 430 『(天武十三年)五月の辛亥(カノトイ)の朔甲子(キノエネ;十四日)に、帰化してきた百済の僧尼および俗人合わせて二十三人を、みな武蔵国に住まわせた。』 同上, p.436 天武十三年は684年。 東国に定住の地を与えられ、大陸から渡来した民の地位が認められていく。 以上のように概観すると、中国に侵略された朝鮮半島の民が日本へ流入したことに伴って大和朝廷は大いに混乱したが、それを経て奈良王朝が確立し、日本の政治体制が整ったように見られる。 百済の民、安房の那古船方に至る:http://blogs.yahoo.co.jp/hopi519/50844929.html |
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2009年03月28日
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