言葉が肉となった 初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。 この言葉は、初めに神と共にあった。 万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。 言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 「新約聖書 詩編つき」 共同訳聖書実行委員会,日本聖書教会,1987 ヨハネによる福音書 第1章より (注)原著では「言葉」ではなく「言(ことば)」の字が使われています。 さて、初めに神さまが語られた言葉は何語だったのだろう? そのころ、人間はみな同じことばを話していました。 人口がしだいに増えると、人々は東の方に移って行きました。こうしてバビロンの地に平原を見つけ、大ぜいの人がそこに住みついたのです。 やがて大都市を建設しようという話が持ち上がりました。永遠に残る記念碑として、天にも届くような塔の神殿を造り、自分たちの力を見せてやろうというのです。 「こうやって一致団結すれば、あちこちに散らされる心配もなくなるというものだ。」 そう豪語すると、人々はよく焼かれた堅いれんがをうずたかく積み上げ、アスファルトを集めてモルタル代わりにしました。 神様は降りて来て、人間どもが造っている町と塔をご覧になりました。 「いやはや、何ということだ。同じことばを使い、政治的にも一致して事にあたれば、人間はこれだけのことをやすやすとやり遂げてしまう。この分だと、あとでどんな事をしでかすか、わかったものじゃない。何でもやってのけるだろう。こうなったら地上へ降りて行って、彼らが違ったことばを話すようにしてしまおう。そうすれば、互いに何を言っているかわからなくなる。」 こうして、神様は人間を世界の各地に散らしました。もう都市建設はできません。この都の名がバベル(「混乱」の意)と呼ばれたのは、このためです。 「リビングバイブル【旧新約】」新版 いのちのことば社 「創世記」11章より その後も人間は数々の都市を建設し続けてきました。 アラブ首長国連邦のドバイに建設中のブルジュ・ドバイ(Burj Dubai; 写真はWikipediaから借用) 建設に携わる作業員の多くはインドやバングラデシュからの出稼ぎ労働者。業務の指図は英語で行われているのだろうか。 聖霊がくだる 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話しているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 「話しているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミヤ、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などの住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。 ペトロの説教 すると、ペトロは11人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。 「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。 今は朝の9時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。」・・・(後略) 「新約聖書 詩編つき」 共同訳聖書実行委員会,日本聖書教会,1987 使徒言行録1 第2章より 聖霊とは、それほどに優れた能力を持つ霊なのだ。イエス・キリストも聖霊によって語られていたのだろうか? 現代にも、聖霊に満たされた人がいるのだろうか? |
キリスト教
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さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。
「先生、永遠の命を得るにはどんな善いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは言われた。
「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。
「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」
そこで、この青年は言った。
「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」
イエスは言われた。
「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
「新約聖書 詩編つき」 共同訳聖書実行委員会,日本聖書教会,1987
マタイによる福音書 第19章より
16 And behold, one came and said unto him, Good Master, what good thing shall I do, that I may have eternal life?
17 And he said unto him, Why callest thou me good? there is none good but one, that is, God: but if thou will enter into life, keep the commandments.
18 He said unto him, Which? Jesus said, Thou shalt do no murder, Thou shalt not commit adultery, Thou shalt not steal, Thou shalt not bear false witness,
19 Honour thy father and thy mother: and, Thou shalt love thy neighbour as thyself.
20 The young man saith unto him, All these things have I kept from my youth up: what lack I yet?
21 Jesus said unto him, If thou wilt be perfect, go and sell that you hast, and give to the poor, and thou shalt have treasure in heaven: and come and follow me.
22 But when the young man heard that saying, he went away sorrowful: for he had great possessions.
“HOLY BIBLE” King James Version, Ivy Book, 1991, Ballantine Books
MATTHEW 19
清貧に励むと、いいことがある。 http://blogs.yahoo.co.jp/mariel_0929/42073857.html マネー http://blogs.yahoo.co.jp/sacerdosaeternus/32624470.html 神様と人とに献金 http://blogs.yahoo.co.jp/akaruihivi/22065636.html |
「だれも、二人の主人に仕えることはできない。 一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。 あなたがたは、神と富とに 仕えることはできない。」
「新約聖書 詩編つき」 共同訳聖書実行委員会,日本聖書教会,1987
マタイによる福音書 第6章より
No man can serve two masters: for either he will hate the one, and love the other; or else he will hold to the one, and despise the other. You cannot serve God and mammon.
“HOLY BIBLE” King James Version, Ivy Book, 1991, Ballantine Books
MATTHEW 6:24
文明の味をおぼえてしまった現代人は、富に仕えることはできても、もはや神に 仕えることはできない。 先進諸国に住むキリスト教徒は、聖書に書いてあることを自分のことだと思ってまじめに読んでいるのだろうか。 アメリカに住むユダヤ人などは、富に使える民の最たる者のように見える。 (注) mammon: (悪徳としての)富,拝金; (M-) マモン(富の神).(三省堂,デイリーコンサイス英和辞典) |
「人を裁くな。 あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向って、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。 自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。 そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
丸太の写真は丸和林業グループさんのホームページからお借りしました。
こんなデカい丸太が目の中に入ってたら痛いですよね...五にいう。 食におごることをやめ、財物への欲望を棄てて、訴訟を公平にさばけ。 そもそも百姓の訴えは、一日に千件にも及ぼう。 一日でもそうなのだから、年がたてばなおさらのことだ。 近ごろ、訴訟を扱う者は、私利を得るのをあたりまえと思い、賄賂を受けてからその申し立てを聞いているようだ。 つまり、財産のある者の訴えは、石を水に投げ込むようにかならず聞きとどけられるが、貧乏人の訴えは、水を石に投げかけるように、まったく手ごたえがなくはねつけられてしまう。 これでは貧しい民はどうしてよいかわからず、臣としての役人のなすべき道も見失われることになろう。 「日本書紀」 巻第二十二 推古天皇 日本の名著1 中央公論社 (1983) より イエス・キリストが上のように説いたのは釈迦(仏陀)の約400年後。 日本に仏教が伝来し日本書紀が編纂されたのは釈迦の約1000年後のこと。 |
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マザー・テレサ没後すでに10年もたった。 2007. 9. 6 神奈川新聞 広島の月下美紀(よしのり)さんは、毛筆でつづられたエッセー「墨の詩」に、次のように記されている。
日本では, 宗教というと うさんくさい競いに
まきこまれるので, 行政や教育の現場でも敬遠
されています。
それは 日本だけでなく 世界の宗教団体が
自己の教団の教理に, 人類すべてを従わせよ
うとして, 各教団が対立し, あるときには戦争し
差別している現実があるからです。
普遍的な真理の証明は, すべての宗教を容
認しながら, 人類すべての幸せのために, 自らの
生活をもって その教えを実践し, 自らの責任
を果たすことです。
私は縁あってキリスト者ですから, キリストの
教えは 大切に守り抜こうと思っています。
しかし, 他の宗教の方ともおつきあいが多く,
他の宗教にも限りない尊敬の念をいだいてい
ます。
今年はじめ マザーテレサをおたずねしたとき
イスラムの人には, コーランを, ヒンドゥの人には
バラモンを唱えてあげながら看護されている
のをみて, 私はキリストの愛をみることができま
した。
1993. 9. 19
月下美紀さんのエッセーより
http://blogs.yahoo.co.jp/mariel_0929/36279598.html http://blogs.yahoo.co.jp/jiayang440/11560542.html http://blogs.yahoo.co.jp/kyomutekisonzairon/44702814.html マザーテレサは、限りある人生のあいだ、愚直なまでにひたすら他人へ愛をそそぎ続けられた。 イエス・キリストが望まれていたのも、宗派にとらわれない本当の愛や献身だったのではないだろうか。
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