設我得佛。國中人天。不得神足。於一念頃。下至不能超過百千億那由他諸佛國者。不取正覚。 たといわれ仏を得たらんに、国のなかの人天、神足を得ずして、一念の間において、しも百千億那由他の諸佛の国を超過することあたわざるに至らば、正覚を取らじ。 今は飛行機で地球の裏まで行けるので、昔と比べると神足を得たようなものだ。 だがもう少し視野広げて、隣の星まで到達することをイメージしてみよう。 一念のあいだに宇宙空間を超過するとは、どんなスピードだろうか。 例えば光速で進むことができる宇宙船を得たとして、その宇宙船から発する光線の速度には、宇宙船の速度が加算されることはなく、どちらの方向に対しても一定の毎秒30万kmというスピードで進む。 重力を伝える速さも光速と等しいそうだ。 したがって、いかに最速の乗り物を得ても、光速を超えることはできない。 ところが、太陽系から一番近いクンタウルス座のα星リギルまで行くのでさえ、光速で移動しても4年かかる。 一念では無理だ。 天眼・天耳・神足いずれにしても、肉体としてそれを備えるのではなくて、そのような心を持ちなさい、と言ってるのだろう。 皆んなそうであったら良いな、という菩薩さまの願いであり決意なのだろう。 身近な例えで言うなら、困っている人や動物を助けるのに、救急車のように、ピザ屋さんのように、アンパンマンのように、すっ飛んで行きなさい、ということだろう。 臓器移植を待つ人が、臓器が届いた異国の病院まで一瞬にして移動できたら、何て素晴らしいことだろうか。 |
仏教
[ リスト | 詳細 ]
設我得佛。國中人天。不得天耳。下至聞百千億那由他諸佛所説。不悉受持者。不取正覚。 たといわれ仏を得たらんに、国のなかの人天、天耳を得ずして、しも百千億那由他の諸佛の所説を聞きて、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじ。 百千億那由他の諸仏が説く言葉を聞いて、全て理解しなさい。 私たちの耳では、人の話を聞くことができても、理解できるのは日本語で話されたときに限る。 動物の世界では、コウモリは自分が出す超音波が反射するのを聞いて夜でも飛べるし、イルカは海中で超音波を発しておしゃべりしている。 象は超低音を聞き取れるので、スリランカに津波が押し寄せる前に逃げることができた。 これらの外れた音は人間の耳では聞き取れない。 諸仏が説くところを聞くためには、やはり「天耳」が必要だ。 それでは「天耳」を持って聞く話とは、どんな話だろう。 キリスト教では、神がアブラハムに、あるいはモーセに語りかけたときは、一対一であった。 イエスが説いたときも、周りにいる弟子たちに対してである。 ここで百千億那由他の諸仏が説く言葉とは、特定の誰かに語って聞かせるものではなくて、全方向へ放射される宇宙の波動のようなものではないだろうか。 “All for one, one for all” という言葉がある。 誰かにとっての諸仏の語りかけは “all for one” であるし、ひとりの仏が発するメッセージは “one for all” だ。 それは「天耳」を持てば、誰でも何時でも聞くことができる。 「天耳を得る」とは、仏法を聞き取るには耳で聞くだけではなく、心で感じ取りなさい、という意味ではないだろうか。 静かな場所に座って、耳だけではなくて心も澄まして。 |
設我得佛。國中人天。不得天眼。下至不見百千億那由他諸佛國者。不取正覚。 たといわれ仏を得たらんに、国のなかの人天、天眼(テンゲン)を得ずして、しも百千億那由他の、諸佛の国を見ざるに至らば、正覚を取らじ。 百千億那由他の諸仏の国を見なさい。 ここでは、できるだけ広い、限りなく広い空間をイメージしなさい、といってるのだろう。地球上の国の数はたかだか百や千くらいなので、やはり宇宙まではみ出してしまう。 私たちの太陽系があるこの銀河系の中には、千億個(10の11乗)くらいの別の太陽(恒星)があるそうだ。しかし、お経では那由他を見なさいといってるので、銀河系からもはみ出して見なければいけない。那由他は10の72乗なので、これを銀河系の星の数10の11乗で割り算すると、10の61乗個(10万恒河沙)くらいの銀河系(星団)が見えてくる、ということか。 この太陽系に一番近いシリウスやプロキオンの恒星系を見ることすら人間には困難なので、やはり「天眼」を得なければならない。 ガンジス河の砂を一粒取って、砂を形成する二酸化ケイ素の原子のうち1個を眺めてみれば、それが私たちの住む太陽系であった。とすれば、一旦銀河系から抜け出して広い宇宙のなかにさまよったとすると、もう二度とこの太陽系には戻れないだろう。仏さまの天眼を持ってすれば、それが可能なのかもしれない。 そのように広い宇宙の中の、銀河系の中の、太陽系の中の、地球上の、人間として、たまたま私たちは生まれた。かなり幸運なできごとにちがいない。 |
設我得佛。國中人天。不識宿命。下至不知百千億那由他諸劫事者。不取正覚。 たといわれ仏を得たらんに、国のなかの人天、宿命を知らず、しも百千億那由他の、諸劫の事を知らざるに至らば、正覚を取らじ。 (注)宿命 :前世から定まっている運命。 劫 :きわめて長い時間の単位。多く宇宙の生滅などについていう。(広辞苑) 那由他:10の72乗。一説には10の60乗。恒河沙(10の56乗)に1京(1億の1億倍)を掛け た数量。 「那由他」という大きい数に加えて「劫」が出てきたのだから、ここでは、イメージできる限りの長い時間について考えてみなさい、ということなのだろう。この時間は、何十億年という地球や太陽の寿命を超えて、宇宙の歴史にまではみ出している。銀河系のような宇宙が無数にあり、それら宇宙の寿命についてまで考えてみなさいということだろうか。 その中における「宿命」を「識」りなさいと言っている。人間の寿命は短いし、太陽ですら老いを迎えることは避けられない。人間として生まれ出るチャンスは、地球の上で恐竜が絶滅しマンモスが絶滅した後、人口爆発により地球環境が乱され人類が滅亡するまでのごく短い1千万年くらいの時間の中にしか無い。 マヤ族のように太陽が老いるのを心配するには及ばない。ひとつの文明が滅びるのに、それほど長い時間は要しないのだから。 仏教はスケールが大きい。 |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
設我得佛。國中人天。形色不同。有好醜者。不取正覚。 たといわれ仏を得たらんに、国のなかの人天、形色(ギョウショク)不同にして、好醜(コウシュ)あらば、正覚を取らじ。 たとえ私が仏になったとしても、国のなかの人や天人の姿形が違っていて、美しい者や醜い者がいるようでは、本当に悟ったとはいえない。 美醜は表面的なもので、どんな美女も皮一枚。悟った人にとっては意味の無いこと。という意味だろうか? エレファントマンのことだろうか? それとも巨大な人間の目から見ると、蟻の顔や姿は同じに見えるということだろうか? |



