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サンタフェにて ヒルトンホテルで迎えた土曜日の朝。食堂へむかうと、昨日のようにデイヴィッドは既に席についていた。アメリカ人は早起きだ。 今朝はきのうほどむずかしい顔はしていない。今日彼は奥さんへのおみやげ(多分インディアン・ジュエリー)を持ってサウス・カロライナへ戻らなければならないので、一緒にする最後の食事だ。 前から気になっていたことを、目の前のクリスチャンにたずねてみた。 「聖書には二人のジョンがいるのではないですか?」 新約聖書の中の、洗礼者のヨハネとヨハネ福音書・ヨハネの黙示録は、記述内容や雰囲気が全く違っており、これらのヨハネは別の人で、最低でも二人のヨハネがいるのではないかと感じていた。 「その通り、二人のジョンがいる。」デイヴィッドは答えた。「聖書を読むのか。ならおすすめの本がある。読むなら、絶対ジョンの福音書がいい。」 と熱心に語り始めた。今朝の問いは、どうやら彼に気にいってもらえたようだ。なぜヨハネの福音書がおすすめなのかは結局分からなかったが、ジョンの名前を出したのは成功だった。 朝食を済ませ、デイヴィッドにお礼と別れの挨拶をした後、ガイドブックやカメラをリュックに詰めてロビーに座り、前もって予約していたツアーのガイドが到着するのを待った。 写真は翌日訪れたロレッタ・チャペルの祭壇右の壁。ステンドグラスに人の顔と牛の顔。それを石彫のケルビムが支えている。 |
アメリカ
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サンタ・フェは合衆国建国以前からある、アメリカ最古の町だ。 メキシコ・アメリカ戦争(1846)で敗れる前の1790年におけるサンタフェの人種構成は下表のようであった。 ネイティブ・アメリカンの男のうち、約半数は奴隷として使われていた。女は奴隷としてカウントされている数が少ない。「コヨーテ」と言うのは、コヨーテを犬のように飼っていてその数を数えたのではなくて、ネイティブ・アメリカンの「コヨーテ族」の人数を示したものだろう。「コヨーテ」がなぜ「インディオ」に含められていないかは興味深い。言語が違ったためか、身なりが異なっていたためか? その後サンタフェの人口は下図のように増加した。 増加したとは言え、州都であるのに、例えば山口市の約半分、萩市と同じくらいの人口である。街並みがきわめて美しく歴史を感じさせる点や、国の辺境に位置することでも、萩市と似ている。 サンタフェの人口が6〜7万。米国内に人口10万以上の市はいくらでもあるだろう。だが、それらはいずれもサンタフェよりも後にできた町である。より短期間で人口がサンタフェ以上になっているわけだから、人口増加の度合いは上のグラフを越えている。日本だと例えば京都は1200年の歴史があるあるが、米国の都市が成立したのは、ここ200年くらいのことだ。 このように新しい国家である米国で消費されている資源の量は、一人当たり年間約80トン。ドイツの40トンや日本の20トンをはるかにしのいでいる(注1)。さらに、世界中の富のうち59%をもっているのがアメリカ人である(注2)。最近200年間で築きあげられたこの地球上のアンバランスこそ、アメリカン・ドリーム実現の結果といえるのではないだろうか。 (注1)「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」武田邦彦著,洋泉社 (2007) (注2)「世界がもし100人の村だったら」池田香代子,マガジンハウス (2001) |
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サンタフェで購入したCompass American Guides “Santa Fe” には、ニューメキシコの風景やネイティブ・アメリカンの写真がページ一杯に印刷されていて極めて美しい。ホテルや食事についてのこまごまとした記事は少なく、サンタフェや周辺の歴史について延々と叙述されており、旅行中の空き時間には恰好の読み物を提供してくれている。 その中で私の目を惹いたのは、下の記事であった。 “Santa Fe” Lawrence W. Cheek著、COMPASS AMERICAN GUIDES (2000) による。 上の写真も長崎へ投下されたのもプルトニウム爆弾である。プルトニウム型が彼らの期待通り爆発するかについてはウラン型に比べて不確かであったため実験が行われたようだが、爆発の威力は科学者の予想を超えたものであった。 米国が原爆投下に至ったもっともらしい理由はいくつも挙げられる。だが実際にこれを目撃した軍人や科学者はどのように感じたのだろうか。実は現場から遠く離れたところで政治は行われているのではないだろうか。 (参考記事)「模擬原爆」http://blogs.yahoo.co.jp/xgdpj936/23858873.html 「原爆爆発時、広島、長崎上空での米国物理学者の行動と、地上で被爆した人の行動」 福井崇時著 http://www.viva-ars.com/bunko/ |
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ロス・アラモス国立研究所の敷地の一角にある施設の見学を終え、日米弥次喜多コンビは午前中に来た道をサンタ・フェへ引き返す。 日が傾く荒野の中を運転するデイヴィッドは、行きしよりも快活に、 「夕食は何にしようか?」 「ほら、あそこに変わった形の岩が見えるぞ!」とか、 「あの黄色い葉が茂った樹はcotton wood(ハコヤナギ)っていうんだ」 とか話してくれる。 サンタ・フェでの夕食。昨夜のステーキは臭くて硬くて、ほとんど手をつけられなかった。 そこで彼は私のために軽食屋を見つけてくれた。 メニューはスープとお粥とサラダ・バーだけという、ベジタリアンのための?カフェテリア。 お蔭様で、くつろいで食事を取ることができた。 彼は機嫌よくウェイトレスと話している。今夜は金曜の夜だ。 食後はフリータイム。 デイヴィッドは奥さんのためにお土産を探している。 私は本屋でサンタ・フェのガイドブックを買ってホテルへ戻った。 本を開きロス・アラモスについてのページを探した。以下のようなことが記されている。 「ロス・アラモスでは今なお平和が論争されている」
サンタフェ・ニューメキシカン紙は1994年に報じた。50の州と53の国から集まった4万1千人の子供達が、原爆誕生の地ロスアラモスの町の入口に、平和公園の設置を要望した。ロスアラモス市議会は、公園が反核運動の市民を誘引する磁石になることを恐れて、提案を拒否した。 平和公園建設支持者は議会に「子供達の理想をかなえてやっていただけないでしょうか」と懇願した。 「平和と言っても、そのために命を賭けるものでも、そのために戦争を終結させるものでもない。単に人間の本性に対して感傷的な見方をしているにすぎない。」と議員は反論した。議会は平和公園建設を否決した。ここロスアラモスに平和公園が建設されることは今後も無いだろう。 第2次大戦中に建設されたこの町には、核エネルギー博物館や、核開発にまつわる豊富な歴史の鉱脈がある。ロスアラモスはまた、バンデリア国立公園やヘメス・マウンテンへのサンタフェからのお勧めワンデイ・トリップのコース上にある。 ロスアラモスの誕生は1939年8月、アルバート・アインシュタインがルーズベルト大統領にあてた手紙に始まる。彼はこう記した。「核連鎖反応を引き起こすことによって、膨大な力と、ラジウムのような新種の元素を生むことができそうだ... このようにして極めて威力のある新型爆弾を造れるかもしれない。」 アインシュタインの先見の明がある手紙と一緒に、巨大な力で長崎を破壊した「でぶっちょマン」と同型の原爆カプセルが、ロスアラモスのブラッドベリー科学館に展示されている。 サンタフェ北西の標高2200mの台地上にあるロスアラモスには、1943年以前は寄宿男子校があったにすぎない。戦争中に政府は、この学校に新型爆弾開発のための極秘の施設を造ることを決めた。ここは実は3番目の候補地であった。 マンハッタン計画(下注)を実行するための場所探しを任されたジョン H.ダッドレー少佐は初めユタ州の地を提案したが、そこでやっては余りにも多くの農作物を犠牲にすることになる。ダッドレーは次に、ロスアラモス西30マイルのヘメス・スプリングにしてはと考えた。しかし物理学者J.ロバート・オッペンハイマーは、ヘメス・スプリングスは峡谷であるという理由で拒否した。彼は広大な平地を要望した。 オッペンハイマーは戦争中、家族とこのロスアラモスで暮らすことになったが、彼が要求した広大な地平線は、機密保持によって徹底的に封じられるはめになった。手紙を出す際に、町の名を記すことは禁じられた。赤ん坊が生まれたときは、出生地はロスアラモスではなく、郵便局の私書箱番号で登録された。この町には法遵守も、刑務所も、貧乏人も、金持ちも無かった。歩道さえ無かった。科学者とその家族のために急いで用意されたアパートには、原始的な石炭ストーブしか備えつけられていなかったため、火災が頻繁に発生した。これが国家の最先端ハイテク研究都市とは... 研究者達は、開発中の兵器のことを「例のガラクタ」と呼んだ。マンハッタン計画の監督であるG.L.グローブスは科学者のことを、「これまでに招集された中で最高の気狂い達」と言った。 現在もロスアラモスは研究都市として存在している。約1万人の住民のほとんどはロスアラモス国立研究所で働く。研究所は核兵器の開発を進めてきたが、最近の平和な時代には超伝導などの研究も行っている。当然のことながら論争は今も続いている。ブラッドベリー科学館の一室は市民運動のために充てられ、1200万立方フィートにのぼる放射性廃棄物の埋設について「国立研究所の致命的な遺産」として告発したポスターを掲げている。 “Santa Fe” Lawrence W. Cheek著、COMPASS AMERICAN GUIDES (2000) より 核兵器は安易な戦争の発生防止に役立つ。 原子力発電で化石燃料の燃焼によるガス発生量を抑制できる... 自分の身を守るために銃を持つという発想に似ている。 日本はどこまで米国に追随して行くのだろうか (参考ホームページ)マンハッタン計画:http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/manh1.htm (参考ブログ)核兵器をつくること、そしてその代償 |
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ニューメキシコ州の古い街サンタフェに宿をとった翌日 朝サンタ・フェを発ったデイヴィッドが運転する車はルート285を北へ、ロス・アラモスを目指す。 西へと左折するためには、右の車線へ寄せハイウェイから出て一回転し立体交差する。自分で運転するのはまず無理そうだ。 一般道に下りても信号は全く無い。リオ・グランデを渡ると登り坂となる。 この辺りはメサ(台地:スペイン語でテーブル)が多いが、台地上の平らな面が昔の海底である。 沖積平野の海底が標高2000mくらいまで隆起した後、永年かけて降雨による侵食を受けた結果このような地形になったそうだ。 しばらく進むと、空軍用とおぼしき滑走路の脇を通り、ロス・アラモスの町に着いた。 交差点で道札を読むと、「オッペンハイマー通り」と記されている。どうやら物騒な場所に入ったようだ。 ここ ロス・アラモスの国立研究所 で原子爆弾は開発されたのだ。 |



