かさぶたろぐ

旅行反芻的部落格。貝類很好。

アメリカ

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ワシントンと言ってもダレス空港は郊外の田園の中にあります。
 
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空港に接近するため飛行機が旋回すると、露天掘りの鉱山が見えます。
石灰石を採掘しているようです。
 
石灰石の厚い層があるということは、ここは昔海底だったということでしょう。
数千万年前に当地は海底だったと言っても、キリスト教徒は信じてくれるでしょうか?
 
採掘場のそばには森に囲まれた住宅地が見えてきます。
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送電線が走るところは、森が真っすぐに刈り取られています。
 
 
ダレス空港に着陸すると、エチオピアや南アフリカからの飛行機も到着していました。
 
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コンコースB に到着し、入国審査があるコンコースC-D までは、1×2階伸縮自在のバスに乗って移動。ANAで到着したので日本語の案内もありスムーズ。
 
入国審査は長い行列で、私の後ろにはアフリカから来たのであろう黒い巨体の乗客が並んだ。
審査はきびしい。
「何しに来たんだ?」 「仕事です。」
質問のあと、指紋を取られる。4本の指をリーダーに乗せる。右手、左手。
終ったと思うと、「サム!」と言われる。 ???
親指も撮るのだった。
次に眼鏡をはずしてレンズをのぞかされ、顔写真を撮られる。
前のボストン行きのお客さんは、出発まであと15分! 相当あせっている。
私はあと30分ある。それでも入国審査を通過するまでに1時間くらいかかってしまった。
 
NH002 到着便の荷物の最後の1個が私のスーツケース。
それをピックアップして、再びベルトコンベアに乗せる。「OK, Go ahead!」 と係員。
 
OKと言われても、さて、乗り換える United Airline 3757 のゲートはどこか?
 
入国審査への移動のときに乗ったバスの中で渡された一覧表には、ゲート C24R と書いてある。
行ってみるとそんな番号のゲートは無い。 ???
 
近くの係り員に尋ねたいが、やたら長電話している。
別のゲートの係員にたずねると、「3757 なら D18 でここから 5 minutes walk だ」 と教えてくれた。
 
テクテクテクテク...
初めてのワシントンなのに、ゆっくり買物をする暇も無い。
 
コンコースDが見えてきました。
到着後に生存できるようコンコースの途中でとにかくバナナとリンゴを購入。
バナナは1房売りではなく、1本が1ドルくらいするようです。
 
D18 につくと、もう乗客はいません。
 
UA3757 United Express “MESA航空の便で小型のジェット機。
 
あたふたと地上から階段を登り搭乗。
最後の空席におさまりました。運よくまた窓際です。
 
安全パンフを見るとこの飛行機の型式は CRJ 700 で座席は左右に2名がけ
両翼の先をピンと縦に立てたまま飛ぶかわいらしいジェット機です。
 
離陸して、ひと息。
窓の外の景色も気になるが、眠くて仕方ない。現地時間ではまだ昼過ぎ。
 
さて、今回の仕事はうまく行くかどうか...
 
 
 
 
上から30%, June 10th のところに炭鉱労働者の肺疾患の記事。
 
 
 
   

アメリカへ

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海外への旅の初めはいつも九十九里浜からです。
 
今回はANANH002便に乗って渡米しました。
年をとると、段々と海外出張もおっくうになります。 
 
アメリカへ向かう機内は、早い夕食が運ばれさっさと夜に。
眠ろうと努力をしますが、アラスカの南海上を飛ぶ飛行機は遅々として進みません。
 
次に目を開けたときは北米大陸に上空で、ワシントン州 Moses Lake, Spokane
アイダホ州 Sandpoint, Coeur D Alene, Clark Fork River,
モンタナ州 Kalispell, Great Falls
といった地名がモニターに次々と表示されます。
 
サウスダコタ州 Mobridge Water Town 付近で夜が明けはじめます。
 
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北側を並行して飛行機が飛んでいました。デトロイト行きでしょうか。
 
 
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ミネソタ州はミネアポリス, サンパウロ の南を通り、Winona タウンの上でミシシッピ川を渡りました。
 
 
ミシガン湖をシカゴの北、昨年のデトロイト行きの航路よりもわずかに南を通り、エリー湖
Pelee Island の上を通過した後窓の下は雲に覆われ地上の景色は見えなくなりました。
 
雲が途切れ、最後のBlue Ridge山脈を越えるとワシントンはもうすぐです。
 
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ワシントン・ダレス空港では、うまく乗り換えられるでしょうか。
 
 
 
 
 

アメリカの記事

  
2011.5.22
Sandia 国立研究所で小規模な核実験が行われたとのこと
 
2010.8  アメリカのインデアンの移動
 
2002.10  New Mexico Santa Fe へ。
 
タオスのインデアン・マンション
 
野生のヒマワリ
 
 

Osama bin Laden to Heaven

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Portrait from Wikipedia
 
Congratulation!
Osama bin Laden was killed!
 
But I am wondering;
USA successes to kill Osama, but isn’t this very far from the September 11?
American people may say this killing is for justice.
But what is justice? Please let me know.
Why the Islamic people hate American people?
Do American people feel happy after murder?
 
 
 
「より安全な」世界でまかり通る恣意的な正義  
 
“Justice has been done.” Statement by Barack Obama
 
Bin Laden’s daughter confirms her father shot dead by US Special Forces in Pakistan
 

伊豆 下田とペリー

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                  下田港とペリー像

嘉永7年(1854年)3月のこと、ペリーはポーハタン号を旗艦とする7隻の黒船を率いて、横浜に続いて下田を訪れ、日米和親条約が締結された。これによって下田港と箱館港は開港されることになった。


神奈川に上陸した米海兵は警戒していたが、下田に降りた米兵はリラックスしていて、吹奏楽を披露したり、日本人と交流したという。ただ当時の銭湯が混浴であったのには驚き、卑猥で野蛮だと感じたそうだ。


ちなみにポウハタンはバージニア州に住んでいたインデアンの種族の名前である。
似た言葉としては、マンハタンもインデアン語らしい。
ポウハタン族の酋長の娘で白人と結婚したポカホンタス(おてんば娘)は有名人で、ディズニーの映画にもなったそうだ。


Wikipediaのポウハタン族の記事の中に、ウッドヘンジを囲んで踊っている挿絵がある。ミャオ族の踊りやメイポール・ダンスを想わせて興味深い。



ポーハタン号は、バージニア州 ノーフォーク海軍工廠で1850年に建造された。ペリー2回目の渡日の際に下田に寄港した。

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ペリーはこのあとポーハタン号に乗って箱館を訪れたとのこと。
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroloadcup/25736973.html


日米和親条約:(日本國米利堅合衆國和親條約 にほんこくめりけんがっしゅうこくわしんじょうやく) 1854年3月、横浜で調印された後、下田で詳細事項が設定された。当初の米利堅の目的は捕鯨等のため遠洋を航海する船への燃料補給だったようだ。この後、安政5年1858年に横浜沖で停泊するポーハタン号上で日米修好通商条約が結ばれた。
  
  

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