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暦(こよみ)

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マヤのカレンダー

 
 書店に来年のカレンダーが並ぶ季節になった。無駄と思いつつ毎年マヤのカレンダーがないか探してしまうが今年もやはり出ていなかった。そこでインターネットで検索してみたら ”2009 Mayan Calendar” が Amazon.com で販売されていた。早速注文してみたら、1ヶ月後に到着の予定と記されていたが一週間で届いた。便利な世の中になったものだ。

 “2009 Mayan Calendar” にはマヤの暦について詳しく説明されている。



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  ツォルキン暦(聖暦)  13日と20曜日の組合せからなる260日周期のツォルキン暦は紀元前600年頃に成立した。13と20は公約数を持たないため、同じ日と曜日の組合せは260日後にようやく一巡して現れる。  日の数字は1から13 まであり、曜日はImaxからAhamまでの20種類の精(犬、蛇、猛禽類の横顔のようなのが見える)のアイコンで記される。  どの精の曜日に生まれたかによって、その人の性格や運命が決まると信じられている。


 マヤの数字では0〜19をおよそ下記のように表記されます。
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 ツォルキン暦では上の数字のうち1〜13と、犬や蛇の横顔などを描いた20種類のアイコンがセットになって、その日が何の日であるか表されます。
 日本の暦でも、1番目きのえね(甲子)に始まって60番目みずのとゐ(癸亥)で終わる干支が使われているのと似ています。



 マヤの暦で何曜日に生まれたかを知りたい方は、次のサイトで調べてみてください。その曜日の人の性格や運命、適する職業も記されています。
http://www.mayan-calendar.com

 
  

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                       千葉県 太海の夜明け


 新年明けましておめでとうございます。


 年の始めに際しまして、古代の日本について振り返ってみたいと思います。
              (写真と下の文は関係ありません)



日本書紀巻第二十二
豊御食炊屋姫天皇(トヨミケカシキヤヒメノスメラミコト) 推古天皇


(前略、推古)十二年の春正月の戊戌(ツチノエイヌ 35)の朔(ツイタチ)に、はじめて冠位を諸臣(マエツキミタチ)にそれぞれ賜った。

 夏四月の丙寅(ヒノエトラ 3)の朔戊辰(ツチノエタツ 5)(三日)に、皇太子は、みずからはじめて憲法十七条をお作りになった。


 一にいう。和を大切にし、人といさかいせぬようにせよ。 

 人にはそれぞれつきあいというものがあるが、この世には理想的な人格者というのもまた少ないものだ。それゆえ、とかく君主や父に従わなかったり、身近の人々と仲違いをおこしたりする。しかし、上司と下僚とが、にこやかに睦まじく論じ合えば、おのずからことは筋道にかない、どんなことでも成就するであろう。


                 「日本書紀」 井上光貞責任編集
                  日本の名著1 中央公論社 (1983) より


<和を以って尊しとなす>は偉大な誤解:
    http://blogs.yahoo.co.jp/kome_1937/52178809.html

  
 イエスがいつ生まれたのか、誰も知らない。福音書にも書かれていない。ただひとつの手がかりはルカの福音書に記されている、草原で羊の群れの番をする羊飼いだ。この話について学者達は、春から夏にかけてのことだったのではないかと推察している。

 キリスト教初期の頃、イエスの誕生日についてはそれほど注意が向けられていなかった。より重要と考えられていたのは、イエスの死と復活についてであった。

 ギリシアの教父オリゲネスによると、クリスチャンは自分の誕生日すら祝うべきではない、「誕生日を祝うのは異教徒がやることだ。」と言っている。

 初期のキリスト教創始者は、イエスの誕生日を決定しようと試みた。ある人は、神が太陽を創造した日に基づかなければと考えた。太陽の創造日は春分の日3月25日だから、イエスの誕生日は3月28日にちがいないと考えた。

 この考えはしかし受けなかった。おそらくどこかのお利口さんが、太陽が創られてからでないと春分の日なんか決められないじゃないか、と指摘したのだろう。こういう人は、どこにでもいそうだから。

 小アジアの聖バシリウス派Basilideansは、イエスはヨハネから洗礼を受けて初めて神様になったと考えた。この考えは後に「養子論」(注1)であり異端と断じられている。聖バシリウス派は彼らの考えに基づき、神の顕現の日を1月6日と決定し、その日を「顕現日」Epiphanyとした。

 冬至の時期の祝祭は、より一般的に行われており、春の復活祭と恰好の組合せをなしている。そもそもあらゆる宗教において、冬至の近辺に祝祭日が設定されていて(注2)、このような習慣は壊し難いものである。

 ニケア公会議の後、聖バシリウス派は好まれなくなり、顕現の祝祭日は、東方の三博士マギがベツレヘムを訪れた話に象徴されるように、異邦人に対する神(生まれたばかりのイエス)の顕現を意味するようになった。一方でその日はイエスが洗礼を受けた日であるという解釈も、その後何世紀かにわたって生きていた。

 さて、イエスの誕生日はいつかという問題が残っている。

 ローマには冬の祭日ならいくらでもあった。12月25日は太陽と関係する神ミトラスMithrasの誕生日とされていた。この日はまた、太陽神アポロの誕生日でもあった。ワインの神バッカスの祭日ブルマリアも同じ日に祝われていた。

 イエスの誕生日が12月25日に設定された理由は神秘的なものではない。人々がとにかく祝おうとしていたのだから、そこにキリスト信仰に基づく何らかの理由を付ける必要など無かったのではなかろうか(注3)。

 ローマで初めの12月25日のクリスマスは336年頃に祝われたようだ。コンスタンチノープルでは379年に、エジプトでは435年に祝われている。パレスチナの教会では6世紀まで、アルメニアの教会では今でもなお1月6日のクリスマスが見られる。

 
        “The Real History behind the Da Vinch Code”
         Sharan Newman著 BERKLEY BOOKS, NEW YORK (2005) より

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(注1) 養子論Adoptionism:イエスはもともと単なる人間であったが聖霊によって神の子となったとする説。(リーダーズ英和辞典,研究社による)

(注2) 冬至:アメリカ・インディアンのホピ族では、冬至にソヤル祭が始まる。すべての祭りで最も重要なもののひとつで、ソヤラングウル(全世界のために生命を一新すること)と呼ばれ、翌年のために生命の発展パターンを受け保証するための祭り。キバでの儀式は、沈黙と断食、長い精神集中にクライマックスを迎える。(「ホピ 宇宙からの聖書」徳間書店による)

(注3) ローマで多神教がキリスト教に取って代わられる時代に、従来の祝祭日12月25日が神様の誕生日としてそのまま生き残ったということだろう。


より詳しくて分かり易い説明がこちらにありました。
http://blogs.yahoo.co.jp/shgmmr/52964167.html

クリスマスはイエス・キリストの誕生日か?
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/51469701.html




 

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