|
鯨波の海岸へ戻り、日没を眺めた。 波打ち際でサーファーがダッシュしては波に乗っている。 波がビーチに対して斜めに入ってくるので、波頭は右から左へと規則正しくくずれていく。 太陽が海に沈むところを見ると、低いデコボコの影が見えた。 秋分の時期、鯨波の太陽は能登半島に沈むのだろう。 泊めてもらった小竹屋旅館は、鯨波の砂浜から道路を渡ったところ。 海岸にも駅にも近くて便利な場所にある。 とても清潔な宿で、気持ちよくすごさせていただいた。 3時半頃に目が覚め窓の外をのぞくと、星が見える。 夜の海岸まで歩いていってみた。すごい、無数の星が出ている。 唖然としてふりかえると、オリオン座。 カシオペアからオリオンまで、垂直な天の川で結ばれているのだ。怖いくらいの星空。 すばるや牡牛座の角の星団が、双眼鏡で見たときのようにひとつひとつハッキリと見える。 オリオンの小3ツ星はもちろん、大3ツ星の左右の星の下にも小さい星が並んでいるのが見えた。 ゆっくりと進む星がある。人工衛星だ。ひし形に点灯したものや、点滅の光の強さが周期的に変わるものや、色んな種類のが夜空を無言で横切る。 夢中で星空を眺めていると、深夜の信越線を、夜行列車が3本、西へと通り過ぎて行った。 そう言えば学生時代に、特急日本海に乗ってこの路線を2回往復したことがあった。朝目覚めると山形だったり、富山だったり、で新潟を通った記憶が無い。深夜に寝台車がガクンと揺れて車内放送も無く停車した駅が、新潟のどこかの駅だったのかもしれない。 冬になると太平洋側では夜空は澄んでいるが、星座を眺めていると寒さが厳しい。冬の星座をゆっくり眺めるなら、日本海側で9月の夜中に起きて見ると良いようだ。 人間は無数の星の中でくらしていることが分かる。 |
新潟・山形
[ リスト | 詳細 ]
|
9月の日本海。低いところに夏の雲。高いところには秋の雲。 国道8号線を、薬師堂の海岸を目指し歩いて行く。 国道の広い路側帯には信越線を跨ぐ歩道橋が付いている。 これで線路を越えて降りて行くと、薬師堂海岸に出た。 砂浜に貝殻が落ちていることを期待したのだが、クボ貝がぽつり、ぽつりと落ちている程度。 城の腰岩の崎を超えると、西鯨波の浜。 ここでは、コタマ貝とマクラ貝を拾った。 海岸沿いに鯨波まで戻れないので、引き返す。 薬師堂の跨線橋を渡って国道へ戻ると、日は大分かたむいていた。 国道8号線を歩いて、鯨波へ戻る。 自動車は、わきをブンブンと飛ばして行く。自動車が無ければ暮らせないアメリカの風景を思い出す。 鉄道はさびれた。自動車が大変便利なので乗客が減ったのだろう。 乗客が少ない割には、運行本数はなるべく減らすのではなく、代わりに連結する車両の数を減らすような努力がされている。 皆んながもっと電車を利用し、電車を走らせる電気は原子力発電所や水力発電所で作っていけば、二酸化炭素排出量はずいぶん抑えられるはずだ。 1時間に1本の電車を待つ時間が惜しければ、その間、携帯電話を眺めたり読書をして待ってはどうだろう。 |
|
小竹屋旅館に荷物を置いて、西側の海岸を目指して歩きはじめる。 小川のそばにコスモスが咲いていた。 コスモスというと、思い出す話がある。こどもの小学校の教科書にのっていた。 一つの花 今西祐行 作 「一つだけちょうだい。」 これが、ゆみ子のはっきり覚えた最初の言葉でした。 まだ戦争のはげしかったころのことです。 そのころは、おまんじゅうだの、キャラメルだの、チョコレートだの、そんな物はどこへ行ってもありませんでした。おやつどころではありませんでした。食べる物といえば、お米の代わりに配給される、おいもや豆やかぼちゃしかありませんでした。 毎日、てきの飛行機が飛んできて、ばくだんを落としていきました 町は、次々に焼かれて、はいになっていきました。 ゆみ子は、いつもおなかをすかしていたのでしょうか。ご飯のときでも、おやつのときでも、もっともっとと言って、いくらでもほしがるのでした。 すると、ゆみ子のお母さんは、 「じゃあね、一つだけよ。」 と言って、自分の分から一つ、ゆみ子に分けてくれるのでした。 「一つだけ――。一つだけ――。」 と、これが、お母さんの口ぐせになってしまいました。ゆみ子は、知らず知らずのうちに、お母さんのこの口ぐせを覚えてしまったのです。 「なんてかわいそうな子でしょうね。一つだけちょうだいと言えば、なんでももらえると思ってるのね。」 あるとき、お母さんが言いました。 すると、お父さんが、深いため息をついて言いました。 「この子は、一生、みんなちょうだい、山ほどちょうだいと言って、両手を出すことを知らずにすごうかもしれないね。一つだけのいも、一つだけのにぎり飯、一つだけのかぼちゃのにつけ――。みんな一つだけ。一つだけの喜びさ。いや、喜びなんて、一つだってもらえないかもしれないんだね。いったい、大きくなって、どんな子に育つだろう。」 そんなとき、お父さんは、決まってゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。 それから間もなく、あまりじょうぶでないゆみ子のお父さんも、戦争に行かなければならない日がやって来ました。 お父さんが戦争に行く日、ゆみ子は、お母さんにおぶわれて、遠い汽車の駅まで送っていきました。頭には、お母さんの作ってくれた、わた入れの防空頭巾をかぶっていきました。 お母さんのかたにかかっているかばんには、包帯、お薬、配給のきっぷ、そして、大事なお米で作ったおにぎりが入っていました。 ゆみ子は、おにぎりが入っているのをちゃあんと知っていましたので、 「一つだけちょうだい、おじぎり、一つだけちょうだい。」 と言って、駅に着くまでにみんな食べてしまいました。お母さんは、戦争に行くお父さんに、ゆみ子の泣き顔を見せたくなかったのでしょうか。 駅には、ほかにも戦争に行く人があって、人ごみの中から、ときどきばんざいの声が起こりました。また、別の方からは、たえず勇ましい軍歌が聞こえてきました。 ゆみ子とお母さんのほかに見送りのないお父さんは、プラットホームのはしの方で、ゆみ子をだいて、そんなばんざいや軍歌の声に合わせて、小さくばんざいをしていたり、歌を歌っていたりしていました。まるで、戦争になんか行く人ではないかのように。 ところが、いよいよ汽車が入ってくるというときになって、またゆみ子の「一つだけちょうだい。」が始まったのです。 「みんなおやりよ、母さん。おにぎりを――。」 お父さんが言いました。 「ええ、もう食べちゃったんですの――。ゆみちゃん、いいわねえ。お父ちゃん、兵隊ちゃんになるんだって。ばんざいって――。」 お母さんは、そう言ってゆみ子をあやしましたが、ゆみ子は、とうとう泣きだしてしまいました。 「一つだけ。一つだけ。」 と言って。 お母さんが、ゆみ子を一生けんめいあやしているうちに、お父さんが、ぷいといなくなってしまいました。 お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。あわてて帰ってきたお父さんの手には、一輪のコスモスの花がありました。 「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、大事にするんだよう――。」 ゆみ子は、お父さんに花をもらうと、キャッキャッと足をばたつかせて喜びました。 お父さんは、それを見てにっこり笑うと、何も言わずに、汽車に乗って行ってしまいました。ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながら――。 それから、十年の年月がすぎました。 ゆみ子は、お父さんの顔を覚えていません。自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。 でも、今、ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいに包まれています。 そこから、ミシンの音が、たえず速くなったりおそくなったり、まるで、何かお話をしているかのように、聞こえてきます。それは、あのお母さんでしょうか。 「母さん、お肉とお魚とどっちがいいの。」 と、ゆみ子の高い声が、コスモスの中から聞こえてきました。 すると、ミシンの音がしばらくやみました。 やがて、ミシンの音がまたいそがしく始まったとき、買い物かごをさげたゆみ子が、スキップをしながら、コスモスのトンネルをくぐって出てきました。そして、町の方へ行きました。 今日は日曜日、ゆみ子が小さなお母さんになって、お昼を作る日です。 「国語 四下 はばたき」光村図書より |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
2009.9.19 南魚沼市の樺野沢。龍沢寺の前には樺沢城跡入口がある。 上越線の線路沿いの山道を登っていく。 「土塁」や「空掘」の札が立つ道を上がったり下がったり、15分くらい歩いただろうか、 目の前が開けて樺沢城本丸跡に着いた。 ちょうど稲刈りの時期で、黄金色の田を見渡せた。 ここでひと休みし、湯沢駅で買ったお弁当で昼食。 帰りは登って来た道を戻る。 フクロウが見送ってくれた。 |
|
上越国際スキー場前駅から歩いて5分くらいのところに龍沢寺はある。 山門をくぐると境内はひっそりとして、穏やかなたたずまい。 住職さんのご家族か、小さな子供が遊んでいる。文殊菩薩のお寺。 お母さんが、「そろそろお昼にしよっか」と子供を呼ぶ。 龍沢寺は上杉家ゆかりのお寺で、「上杉景勝公 生誕の地」とある。 本堂の前には池があり、端正な姿のハスが咲いていた。 山門をくぐり寺を出た。 〔注〕 龍沢寺境内は入場無料。本堂内拝観料は200円。 最寄の上越国際スキー場前駅は無人駅。駅には飲み物の自動販売機とコインロッカーがある。 |




