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2009.5.3 (日)
山 門
埼玉県都幾川町には、歴史の古い寺、慈光寺がある。
慈光寺は、白鳳2年(673年)、僧慈訓によって千手観音菩薩が彫られ当地に祀られたのち、
鑑真和尚から教えを受けた釈道忠によって堂宇が整えられ開山されたと伝わる。
大般若経152巻や、国宝の法華経一品経を所蔵する。
慈光寺は、古い時代から法灯を絶やさず今に伝えている点で、埼玉県随一の寺院と言われる。
この日はゴールデンウィーク中の日曜日で火渡りの祭りがあったので、大変な人出。
山間には、法螺の音が響き渡っていた。
昔は葉に文字を記して文としたそうだ。
福来野さんの 坂東札所第9番 都幾山慈光寺
〔交通〕
東武越生線またはJR八高線の越生駅からバスが出ている。9:22, 10:44
都幾川町「役場第二庁舎前」で「竹の谷」行きに乗り換え、「慈光寺入口」で降りる。
山道を登る。徒歩約30分。
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関東
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近江遷都と壬申の乱のつづき 長々と「日本書記」のお世話になったが、振り出しの安房の国、那古船形へ戻ろう。 安房の船形にある崖の観音の開祖は西文氏(かわちのふみうじ)出身の行基であると伝えられていた。 Wikipediaで 西漢氏(カワチのアヤウジ) を調べてみると下のように記されていた 『「大和国を本拠とした東漢氏 (やまとのあやうじ)に対して西漢氏と称したが、東漢氏との関係については同族とも言われる一方でなかったともされる。また、百済系の氏族である西文氏(かわちのふみうじ)との関係についても不明である。当初直 (あたい)であったが、683年に連 (むらじ)、2年後に忌寸 (いみき)の姓が下賜された』
崖の観音を彫った人が行基その人であったかどうかも定かではない。ただ古代の河内や大和には多くの渡来系の民漢直(アヤノアタイ)が住んでいて、百済出身の民が関東へ移民したことは確かである。百済人の子孫がこの地で仏像を彫った可能性は十分にあると考えられる。 崖の観音は、今では風化して表情も定かではないが、はるかかなたの故郷である大陸を望んでいるかのように海を見ている。 (おわり) Nago-kannon temple, Chiba prif. |
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内房線の終点、館山の手前に「那古船形」(なこふなかた)駅がある。 駅を出て右手、海岸近くの山へ向かうと、崖の上に赤い寺院が見えてくる。「崖の観音」として知られる船形山大福寺だ。 お堂の中、薄暗い崖に、観音様が彫られている。 この寺は奈良時代に行基という僧によって開山されたそうだ。 関東にも古い遺跡や寺院が意外とたくさんある。 このあとイチゴ狩りに行って、たらふくイチゴを食べたあと、先週アップした沖ノ島へ。 宿は「人魚の湯」で有名な「海紅豆」でゆっくりと。 海の夕景がきれいだった。 翌朝は洲の崎灯台へ。藪の中でウグイスが鳴いている。姿は見えない。 館山の街へ戻る途中で、海岸へ降りる。貝が見つからないので穴の開いた石ころを拾う。 館山へ戻ったら、桜の名所館山城へ。 天守閣に登ると、春とは名ばかりで寒かった。 (おまけ) 外壁塗装前の那古船形駅:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Nakofunakata-station.jpg |



