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5月21日
東京湾観音の売店で、富津市の観光ガイドマップを配布していて、
近くの青堀(あおほり)駅に 『古墳の里ふれあい館』 があるのを家内が見つけてくれた。
上総湊(かずさみなと)にある 『ソムリエハウス酒匠の館』(小泉酒造)に立ち寄ってから、青堀駅へ向かった。
青堀駅の周辺には古墳がたくさんあって、地図ではさながら大阪の堺市のような眺め。
館内で無料配布していた内裏塚古墳群のガイドブックやマップをもらい、内裏塚古墳へ。
過去にあったはずの周溝は、今では埋められていて見ることができない。
地名の 『青堀』 は、現在も近くに残る 飯野陣屋の濠 のことかもしれない。
古墳ふれあい館で入手した 『内裏塚古墳群ガイドブック』 によると
出典: 『千葉県富津市 内裏塚古墳群 富津市文化財ガイドブック』 富津市教育委員会 2011
古墳の上へは自由に登ることができ、石室はみられなかったが、後世の神社があった。
5月21日にここへ登ったときにはすでに蚊が飛んでいたので、ゆっくり見るには虫よけスプレーを持参した方がよい。 午前中に貝ひろいをした磯根崎の近くには弁天山古墳があって、石室も見られるようなので、次回訪れてみたい。
副葬品保管場所: 国立歴史民俗博物館・富津市教育委員会・飯野神社
木更津市郷土博物館 金の鈴
須恵国(すえのくに)の古墳
万葉集 上総末の珠名娘子の歌
(注) 末 = 須恵 = 周淮(すゑ) |
古墳
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栃木県立しもつけ風土記の丘資料館に、家形埴輪が展示されていましたので紹介します。
(1) 富士山古墳の2つの家形埴輪
富士山古墳から2種類の家形埴輪が出ています
展示パネルを見ますと
富士山古墳は壬生町羽生田(はにゅうだ)に位置する6世紀後半の古墳で、墳丘直径85m、高さ12mの栃木県最大の円墳であることが判明しています。 墳丘は二段築成で、1段目が広く、「基壇(きだん)」になります。 埋葬施設は横穴式石室と推測されます。 墳頂部には大型の円筒埴輪や盾(たて)形埴輪が一周し、その内側に家や翳(さしば)などの埴輪が立てられていました。 家形埴輪には「入母屋造り(いりもやづくり)の家」と「円柱を持つ家」があり、いずれも高さ150cmを越える全国屈指の大型埴輪です。 墳丘1段目テラスにも大型の円筒埴輪列がめぐり、南西側では円筒埴輪列の外側で、人物や馬などの形象埴輪列の一部が確認されました。 その地点では8体分の埴輪が出土しています。 「しもつけの”埴輪群像” −そのすがたをさぐる−」 (資料1 p.34)を見ますと
「入母屋造りの家」は「上屋根」の部分が取り外せる、組み立て式になっています。 棟の部分には屋根をおさえるための板格子が表現され、棟の部分を串刺しにして留めた杭の頭が並んでいます。 棟の両側には板の先端が飛び出していますが、千木・堅魚木はありません。 屋根の表面に連続三角文が刻まれ、一つおきに赤彩が残っています。 壁の長い辺には長方形の小窓が、短い辺には円形の穴があります。 古墳から出土する埴輪は、実際にあったものの姿を反映した模型と考えますと、古代の建物にはいくつかの形態があったと推察できます。
「入母屋造りの家」は異常に窓が少ないですね。 これに関連して、奈良県佐味田古墳から出土した家屋文鏡に描かれた4種の建物とそれらの機能について、下のサイトで興味深く考察されています。
忘れられた機能/(2010) 建築絵日記
富士山古墳の窓の少ない家は、産小屋(サンヤ)であった可能性もあるのではないでしょうか。
(参考情報)
出産の情景 −産小屋をたづねて−(1996) 森田せつ子
一方、「円柱を持つ家」は、神殿のような立派な建物で、大阪府高槻市にある今城塚古墳の家形埴輪と似ています。 開放的な造りなので外界から中を窺うことができて、窓の少ない「入母屋造りの家」とは対照的です。 上記サイトの建築家さんが紹介されている家屋文鏡の4つの建物のうち、①「祭司の小屋」とよく似ていますね。 神殿として祭祀に使われたのではないでしょうか。
この家屋文鏡の説明図は、「忘れられた機能」/(2010) 建築絵日記
からコピーさせていただきました。
「入母屋造り」の家は、家屋文鏡の4つの建物とは違っています。 屋根の下半分以下の様子は、ちょっと飛びますが、昔の南国フィジーの家と似ています。
上図) Plate 21a. Navatanitawake Council House, Bau, c. 1880.
下図)Plate 21b. View of Bau, looking over the long visitors’ house to Navatanitawake, c. early 1870s (Fiji Museum photo).
出典は「ヒューゲル男爵のフィジー旅行記」(資料2, p.112)です。 "Council House" とありますので、国会議事堂のようなものだったのかもしれません。下の写真では周囲の建物に比べて高くそびえ立っていることがわかります。
(2) 菅田44号墳の家形埴輪
さて、しもつけ風土記の丘資料館に戻って見ますと、細長い家形埴輪が展示されていました。
これは足利市の菅田44号墳から出たもので、上の富士山古墳の「入母屋造りの家」を縦に半分に割ったような形をしていますね。 似ているのですが、棟の上に四角い板ではなく、堅魚木が4本載せられています。 左のパネルに「堅魚木(かつおぎ)」と「千木(ちぎ)」について説明されていますので読んでみましょう。
「千木」と「堅魚木」 不鮮明な写真ばかりで申し訳ないですが、この家も富士山古墳の入母屋造りの家と同様に窓(入口?)が小さく、左の側面には丸い窓が開いています(資料1, p.45)。
(3) 神保下條2号墳
資料館の入り口には、高崎市の神保下條2号墳の復元模型が飾られていました。
ポチで拡大↑
山のてっぺんの真ん中に、家形埴輪が飾られています。 前のブログで見た奈良県御所市室の宮山古墳では、前方後円墳の後円頂上にある石室のすぐ横に家形埴輪が並んでいた様子が橿原考古学博物館に復元されていました(参考情報3)。 家形埴輪は、たくさんある埴輪の中でも特に大切なものだったのではないでしょうか。
(参考資料)
(1) 第28回秋季特別展の図録 「しもつけの”埴輪群像” −そのすがたをさぐる−」, 平成26年, 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館
(2) “The Fiji Journals of Baron Anatole Von Hügel 1875~1877”, edited by Jane Roth and Steven Hooper, 1990 Fiji Museum Suva, p.112
(参考情報)
1) 佐味田宝塚古墳
2) 天理参考館で企画展「東国の古墳文化」を見る
3) 家形埴輪(日本各地の比較)
室宮山古墳石室の復元(橿原考古学博物館)
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しもつけ風土記の丘資料館の埴輪の馬を見てみましょう。
この秋、特別展として栃木県下野市の甲塚(かぶとづか)から出土した多数の埴輪が展示されています。
甲塚の発掘では、人型埴輪の列の後方(左側)に4頭の馬が並んでいたそうです。
4頭は馬具飾りの程度がまちまちで、先頭の馬埴輪1 が、最も豪華な装飾です。
胸・肩・尻にぶらさげられている『馬鐸(ばたく)』というものを、初めて見ました。
装飾が豪華なことから、古墳の主が乗っていた馬と考えられます。
出土した埴輪の表面を詳しく調べると、もともと塗られていた色が分かるそうです。
この馬は白馬だったとのことです。
復元模型では、とても美しい姿が再現されていますね。
この埴輪馬1 のもうひとつの特徴は、左上の写真でお分かりのように、鞍の右側に、横向きに両足をそろえて座れるように足置きの板が取り付けられている点です。またがって座るのではなく、横向きに座るというのは、女性が乗馬するためのものだったのでしょうか。この馬が古墳の主のものだとすると、古墳の主は女性だったのではないかと、当日の講演会で日高先生は推定されていました。
先頭の馬に続いて、下のような馬の埴輪が並んでいました。
馬の列の後ろへ行くに従って飾りがシンプルになります。馬4 には鞍が無く、裸馬に乗馬していたのか、あるいはまだ仔馬で、乗馬用とされていなかったのかもしれません。
これら馬の表情は、前回紹介した飯塚古墳の男女の埴輪もそうですが、楽しげで優しい顔をしています。当時の関東の生活は、なかなか豊かなものだったのでしょう。
馬具については、多くのwebサイトで説明されていますが、ここでは東京国立博物館の記事を紹介させていただきます。
左図の馬は熊谷市上中條日向島から出土したそうです。
馬の飾りの名前が説明されています。
これら埴輪に描かれている飾りの通りに、実際に金属製の実物が出土しているそうで、驚きです。
上右は群馬県大泉町から出土とあります。
甲塚の埴輪馬1 のお尻には、杏葉(ぎょうよう)の代わりに馬鐸が付いていました。
耳も尻尾もピンと立っているのが、この頃の埴輪馬の特徴でしょうか。
左上の熊谷の馬はおっとりした表情ですが、行田市の酒巻14号墳から出た馬は、もっと精悍な感じで、騎馬兵が乗っていた馬かもしれません。
大泊瀬幼武の天皇の時代に、はにわ馬の物語があります。
『月夜の埴輪馬』(注) 史(ふびと)や書首(ふみのおびと)は、書物を書き記す職業で、当時すでに漢字を使えたこと、名前が伯孫や加竜であることから、中国から渡来した人であったと考えられます。 甲塚にもどりますと、この古墳の主が女性だったことをうかがわせる埴輪が他にも出ていますので、それは次回紹介したいと思います。
(参考書)
『しもつけの"埴輪群像"』 栃木県立しもつけ風土記の丘資料館 (2014), p.23, 61
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この記事は下記へ移動いたしました。
ご不便おかけして申し訳ありません
§ 室宮山 大型家型埴輪 House-shaped haniwa in Kashihara musium
5月2日
宮山古墳から出土した埴輪を見に、橿原考古学研究所付属博物館へ行きました。
宮山古墳の石棺の周りから出土した埴輪 Haniwa from Miyayama kofun
宮山古墳以外のところからでた埴輪 Haniwa from the other place
Left; "yosemune" roof, right; "kiritsuma" roof, and behind; "irimoya" roof.
寄棟だか切り妻だか、どう言えばいいのか分かりませんが、色んな形の家があります。
奥の家の屋根は面白い形で、どこかで見覚えありますね
それら展示物の中に板状の柱をもつ大型の家形の埴輪がありました。
『王の居館』 King's house with "chigi"(1) and irimoya style roof
屋根の形が特徴的ですね。堅魚木(かつおぎ)まであります。
側面は板状の柱に囲まれているだけで、風が通々ですね。
『王』はもちろん葛城の王ですが、暑がりさんだったのでしょうか?
それとも当時は今よりもっと気候が暑かったのでしょうか?
この板状柱は、何と、あの靫形埴輪と似た直弧文(ちょっこもん)で飾られていたのです!!!
with drawing of "Chokkomon" pattern
当時本当にこんな建物が建っていて、柱はこんな模様で飾られていたのでしょうか!?
詳細ご関心ある方は下記の朝日新聞の記事をご参照ください。
この家形埴輪は、現物が立っていたと思われる遺構が、宮山古墳から遠くない葛城山麓の極楽寺ヒビキ遺跡で見つかったことから、実際にこのような建物があったにちがいないと、注目されています。
極楽寺ヒビキ遺跡遺構平面図
Archaeological site of Gokurakuji Hibiki at Katsuragi
(不鮮明な写真が多くて申し訳ありません)
極楽寺ヒビキ遺跡
橿原考古学研究所付属博物館の説明板を見ますと
極楽寺ヒビキ遺跡の大型掘立柱建物復元模型
神戸大学工学部建築史研究室製作(S=1/10)
A model of the high floored house (2) at archaeological site of Gokurakuji Hibiki
素晴らしい模型ですね!!
この建物は、実在したに違いありません。
さて、これら室宮山古墳から出た家形埴輪には、他の地方で出たものと共通点がありそうです。
§ 赤堀茶臼山古墳の家型埴輪
Haniwa from Akabori-chausuyama, collection in the Historical musium of Gunma prifecture at Takasaki city
高崎市の群馬県立歴史博物館に展示されています。
説明板を見ますと
この建物には、下のような人物が出入りしていたのかもしれません。
An ancient dressed-up man
§ 西都原古墳の子持ち家型埴輪
私の心のふるさと?宮崎県の西都原(さいとばる)古墳からも、家形埴輪が出土しています。
House-shaped haniwa with small chambers, a collection of Saitobaru musium
Main house and both side chambers have "Kiritsuma" roofs, front chamber with "irimoya" roof,
magnificent but with no "chigi".
屋根に二通りの形があります。
V字型に高所・外側へと張り出した切り妻屋根(中央と両サイド)と、
一旦寄棟風に絞った上に同様の切り妻屋根を載せたもの(手前の小屋:「入り母屋造り」と言うんですね)で、棟には丸みがあります。
でもそんなことよりも、大きい家の前後左右に小屋がくっついているのが、この家形埴輪の面白い点ですね。
によると
子持家型埴輪 西都原考古博物館でこの埴輪を見たときは、これは古代人が空想をめぐらせて遊び心で作った宇宙ステーションではないか? と思いました。
その後、群馬県や葛城の家形埴輪を見たときには、それらは実在した家のミニチュアと確信しました。
西都原の子持ち家型の建物も、実際に存在したのかもしれませんね。
ただ、これだけ立派な建物なのですが、堅魚木(かつおぎ)がありません。
堅魚木の有無は、何を意味するのでしょうか?
西都原考古博物館には他に、楕円形に近いような形の家形埴輪も展示されていました。
Haniwa with "chigi", collection of Saitobaru musium
こちらの棟には堅魚木がありますね!
右手の王様の冠のような小屋は、見張り用の砦でしょうか?
『日本書紀』には神武天皇も応神天皇も九州出身と記されていますから、
これら家のデザインのルーツも九州なのかもしれません。
【家屋文鏡】
橿原考古学博物館
http://inoues.net/museum2/kashihara2005.html (スクロールバーで上から50%のところ)
ヒマヤ・サンヤ
家屋文鏡に描かれた4軒の建物には堅魚木は載っていません。
4軒のうち倉庫を除く3軒は、入り母屋造りのようです。これらのうち、①「祭祀の館」は、葛城の「王の居館」と似た造りではないでしょうか。
とすると、この4軒も架空の絵柄ではなくて、実在した可能性が高いのではないでしょうか。
Note:
(1) "Chigi" are the wood bars on the top of the roof, which are usually seen at Japanes shrines. It is also called "katsuogi". I wonder why were they placed, giving stability on the roof, dignity for the architecture, or a kind of magic for protection from fire?
(2) High-floored houses were built for protecting people and precious goods like crops from flood and rats, originated from south east asia. It might be the house for the noble peaple or the place of devine service in ancient Japan.
東京国立博物館
纏向の4軒 Four styles houses at Makimuku, Nara.
高床式、入り母屋と切り妻。
三重県松坂市の家形埴輪 A roof with fish fine at "Haniwa museum" in Matsusaka city, Mie
高床の入り母屋の棟の上には堅魚木のかわりに鰭がついている!!
摂津の今城塚の埴輪
南海の文化
高床式は東南アジア由来で、高い屋根は宇宙を表していた?
2019.2.17 追記
家屋文鏡(かおくもんきょう) 銅鏡の作り方とともに、家屋の建築方法も伝わってきたのだろうか。漢式鏡とのことだが、漢字は記されていないようだ。
近つ飛鳥博物館の建築物模型とジオラマ: horusさん presents |
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5月2日
奈良県御所市、室(むろ)の宮山古墳から出土した埴輪を見に、近鉄電車に乗って橿原考古学研究所付属博物館へ行きました。
博物館には予想をはるかに超えて、宮山古墳の出土物が詳しく展示されていました。
石棺と埴輪の出土状況を見てみましょう。
石棺の右側に、靫形埴輪や家形埴輪が並んでいます。
家形埴輪はもともと5基あったのでしょう。
3基が昔の姿のまま残っていたようです。
家の造りは建築家ではないので、どう説明すればよいのか分かりませんが
左端は、いわゆる寄棟(よせむね)でしょう。
この形は、奈良時代を経て現在にも引き継がれているようですが
棟梁のところが丸いですね。
人が安心して住めそうな家です。
右の2棟は、切り妻と呼んで良いのでしょうか?
屋根の妻面が外に向かってせり出す、独特の形です。
どこかで見たような気がします
説明板を読んでみましょう
なるほどですが 、もっと詳しい説明が欲しいです...
こ の石室は、私がこれまで見てきた洞穴のような石室とは違って
石棺をやっと覆うくらいの小部屋です。
現地では、石棺の蓋の突起部が平たい石積みの壁にめりこむほどでしたので
石室は石棺を安置した後に石棺を覆い隠すように造られたと考えられます。
埴輪はその石室の周り、石室のすぐ近くに、きれいに並べて配置されています。
群馬の 綿貫観音山や、埼玉の将軍山 では築造の段の継ぎ目の犬走りのようなところ、兵庫の五色塚 では墳頂に、宮崎の祇園原古墳 では古墳の外周に、いずれも古墳を囲むように多数の埴輪が並べられているようで、この宮山古墳のように石棺を守るような埴輪の配置は初めて見ましたので新鮮に感じました。
埴輪の役割
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