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古墳

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奈良県 御所市 室の宮山古墳の後円部頂上にあった靫形埴輪。
 
イメージ 1
 
「靫」(ゆき)とは矢を入れる籠のこと。 背中に背負って使っていたのだろう。
 
イメージ 2
同じ埴輪の裏側 (エビみたいな感じのデザイン)
 
細部を見ると
 
イメージ 3
 
直弧文
 
直弧文(ちょっこもん)とは、バツ印の直線と、円の一部を切り取ったような弧を組み合わせた文様。
 
イメージ 4
うずまき
 
直弧文は九州の古墳、井寺古墳などに見事なものが出ている。
 
直弧文とは何だろうか?
 
まずこの古墳を訪れるきっかけとなったkawakatu先生の記事
 
熊本の井寺古墳(直径24m円墳)は
こじんまりとした古墳だが、中の石室は見事で、直弧文で飾られている
5世紀後半〜6世紀初頭とのこと
 
井寺古墳探訪記
熊本県装飾古墳館(石室内を自由に見られるパノラマムービー)
直弧文
 
 
吉備の千足古墳(陪塚第5号古墳、5世紀後半、全長75m)の障石にも直弧文がえがかれていたという
 
イメージ 5
 
弥生文化博物館
 
何と、本日UPされたkawakatu先生の記事によると、滋賀県の雪野山古墳に、上の靫形埴輪の原型らしき「靫」の現物が出たそうです。
 
 
 
 
さて引用が長くなりました。 
 
この宮山古墳には、上の靫形埴輪の他にも、たくさんの埴輪が出ています。
 
イメージ 6
 
家形はにわ  5個
靫形はにわ  3個
盾形はにわ 13個
甲冑はにわ  5個
 
靫、盾、甲冑 があることから、当時軍隊があったようです。
被葬者は、これらの埴輪に守られていたのでしょう。
 
 
 
 
 
中央公論社『日本書紀』巻第六 
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)
垂仁天皇 より

(垂仁)三十二年の秋七月の甲戌(11)の朔己卯(16)に、皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)が、薨じられた。葬りたてまつるまでに日数がかなりあった。天皇は、群卿に詔して、
「亡きひとに殉死する方法は、前に良いことではないということを知った。いま、今度の葬礼には、どのようにしたらよかろうか」 と仰せられた。そのとき、野見宿禰(のみのすくね; 出雲国出身)が進み出て、
「そもそも、君王の陵墓に、生きた人を埋めるのは、まことに良いことではありません。けっして後世に伝えることはできません。願わくは、いま適当な処置を協議して奏上いたしたいと存じます」と申し上げた。そこで野見宿禰は、使者を遣わして、出雲国の土部(はじべ)百人を召し出し、みずから土部たちを使って、埴(はにつち; 赤くて粘る土)を取り、人や馬おろび種々の物の形を造って、天皇に献上して、
「いまより以後、この土物(はに)をもって生きている人にかえて、陵墓に立てて、後世の法といたしたい」 と申し上げた。 天皇は、これをたいそう喜ばれ、野見宿禰に詔して、
「おまえの適切な処置はまったく私の気持ちにかなった」
と仰せられた。 そこで、その土物を、はじめて日葉酢媛命の墓に立てた。 そしてこの土物を名づけて埴輪という。
 

(2018.12.9)
 靫型埴輪

直弧文は再生防止の呪い

野見宿禰

 


御所市 宮山古墳

4月30日(月) 奈良県御所市 宮山古墳
 
神社の中に古墳の登り口がありました!
 
登って行くと、後円部のてっぺんに出ます。
 
ありました、靫形(ゆきがた)の埴輪!
(靫とは矢を入れる籠のことです)
 
イメージ 1
 
埴輪を発見し目的地に着いた! ということでまずは喜んだのですが
何と、埴輪の右下に、ポッカリと穴が開いているではありませんか!!
 
のぞいてみると、何と、石棺がありました!!!
 
イメージ 2
 
興奮して写真を何枚も撮ったのですが
 
イメージ 3
 
要は、下図のような石棺が、そのまま石室に収められたままで、一般見学者向けに開放されているのだ。
 
イメージ 4
 
説明板(左側)には、以下のように記されている。
 
 「雄大な長持形石棺」
  
  後円部に2つある主体部のうち、この南側の竪穴式石室には豪
 壮な長持形石棺が収められている。長持形石棺は5世紀の大
 王墓級の古墳のみが採用できた石棺で、宮山古墳被葬者の当時
 の権勢の大きさが偲ばれる。
  この石棺の石材は遠く兵庫県の加古川流域から運ばれた竜山
 石で、底石1枚、側石2枚、小口石2枚、蓋石1枚の計6枚で
 構成され、全面に朱が塗られている。
  蓋石の頂部には8区画の亀甲形の装飾が彫られ、各辺には2
 個ずつの縄掛突起がある。棺蓋の長さは、縄掛突起を含めると3.77m
 もあって、稀に見る雄大なものである。側石の縄掛突起や小口石
 の方形の装飾突起2つにも注目してほしい。
  この長持形石棺は、竪穴式石室に収められたままの状態で見
 学できる、全国でも唯一の貴重な資料である。
 
なるほどです。
古墳に登れるだけでなく、石棺も見放題さわり放題!
天皇稜と指定された古墳では許されないことが許されている、極めてありがたい古墳なのです。
石棺も上記のように、きわめて立派なもので、しかも古墳の全長は238mあって、あの崇神天皇稜なみです。
 
この古墳が天皇のものではないとすれば、一体誰のものでしょう?
石棺の中に埋葬されているのは、一体誰でしょう!?
 
ということで、真っ暗な石棺の穴の中をのぞいてみたいのですが...
 
                                          (つづく)
                                     
 
熊本県井寺古墳
5世紀末〜6世紀初頭
と言うと、福岡王塚古墳、磐井の乱の前の時代、
河内王朝が弱体化して継体天皇が政権を継ぐ頃だろうか。
 
kawakatu先生が
「石室じゅう、これ直孤文で、壁は阿蘇ピンク石製のレンガ状石で覆われている。」
と紹介されている。
 
イメージ 1
井寺古墳石室内の直弧文様の装飾 (kawakatu先生による)
 
イメージ 2
井寺古墳石室内、阿蘇ピンク石の石積み (これもkawakatu先生からいただいたもの)
 
 
スカイトレッカーさんのブログに探検写真が多数アップされてます!
http://blog.livedoor.jp/ncc74210/archives/52453326.html
 
直弧文の解説

 

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石室の比較

明日香村で見た石室と、これまでに訪れた他の石室を比較してみよう。
 
1.石を積み上げたタイプ
 
●栃木県足利市 口明塚 2010.5
 
イメージ 1
 
粗削りで素朴な造りであった。地方の豪族の墓といった感じ。
 
 
●群馬県高崎市 綿貫観音山 2010.6
 
イメージ 2
 
前方後円墳の立派さもさることながら、ここの横穴式石室は、インカの遺跡を思わせるような、きわめて精巧な石組により造られている。一見して王様の墓にしか見えない。
『壁面は榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩の切石を積み上げ、天井石は吉井町産出の牛臥砂岩が用いられている』と説明板に記されていた。天井石は実に巨大だ。
副葬品も豊富だったようで、多数の埴輪は幸いにして群馬県立歴史博物館に展示されている。
 
※事前に連絡すれば石室内を見学させてもらえる
 
 
●明日香村 岩屋山
 
イメージ 3
 
精緻で豪快な石組み(閃緑岩)には驚かされた。
 
 
2.岩石を刳り抜いたタイプ
 
●明日香村 牽牛子塚
 
イメージ 4
巨大な石(凝灰岩)を刳り抜いて、母娘二人分の埋葬室がきわめて精巧に造られていた。
 
 
●埼玉県比企郡吉見町 吉見百穴  2009.5
 
イメージ 5
 
凝灰岩の山の斜面に無数の穴が開けられているのには驚いた。
古墳ではないし王の墓でもない。けれども左右一対の棺座がある点では、牽牛子塚と似ている。
牽牛子塚では左右の石室を隔てる壁を残して刳り抜かれているが、百穴には仕切り壁は無い。
偉い人だけでなく一般の人でも焼かれることなくこの石室に埋葬されたと考えられる、ありがたいお墓だ。
大分県に同様の横穴墓があるほか、沖縄にはこれよりももっと豪華な 亀甲墓 が、現在でも使用されている。
 
※吉見百穴は東上線の東松山駅から歩いて訪れることができ、穴の中を自由に見学できる、ありがたい遺跡だ。
 
 
以上のように、石室にはおおまかには2通りあった。
①石を積み上げ組み合わせて造ったもの
②巨石を刳り抜いたもの
 
古墳の中にある石室については、石室を先に造って、その後で土をかぶせる方が楽そうだが、はたしてそのような造りかたをされたのかは分からない。
牽牛子塚の場合、Wikipedia の記述が本当なら 70〜80トン の巨大な凝灰岩を二上山から持ってきて、わざわざ小さい丘の上に据え付けたことになる。中を刳り抜いたのは、丘の上に据え付けてからではないだろうか。
明日香の益田岩船は石室には見えないが、牽牛子塚と同様に、巨石を山上まで持ち上げて(どうやって???)水平を決めてから掘り始めたのではないだろうか。
穴を掘り抜くのに一体、何人の石工が、何日かかったのだろう。おそらくは被葬者の生前から造られていたのではないだろうか。
 
いずれにしても当時は火葬ではなく風葬(または土葬)だったので、貴人にしろ一般庶民にしろ、大切な人(自分のことかもしれない)の亡骸を頑丈な穴の中に安置することが重要と考えていたのだろう。
今は失われているが、ほとんどの石室には、元々入口を覆う蓋が嵌められていたのではないだろうか。
 
 
石室のまとめ
1.大きく分けて2とおりあって、石を積み上げた石室と、石を刳り抜いた石室がある。
2.当時は火葬ではなく風葬だったので、大事な遺体を頑丈な穴に安置することが大切だった。
 
今後の課題
・天皇稜の石室はどのような形体か
・石室の壁面に描かれている絵や文様から何が読み取れるか
・海外にも石室はあるか
・現代の埋葬方法の再考
 
 
 
須曽蝦夷穴古墳 ひとつの方墳に二室、板石積み
 
柳下里伝王陵古墳・慶尚南道金海市 片袖式、四壁持ち送り式ドーム
 
 
  
 

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2011219日付け 朝日小学生新聞より

 応神陵の立ち入り調査を許可

    宮内庁、考古学会などに
    古代天皇稜では初めて

 宮内庁は17日、第15代応神天皇の陵墓に指定している応神陵(誉田御廟山)古墳(大阪府羽曳野市)への立ち入り調査を、日本考古学協会など考古・歴史16学会に許可すると発表しました。 24日に実施されます。 古代天皇稜への立ち入りを認めたのは初めて。
 応神稜古墳は推定5世紀前半に造られた前方後円墳。 墳丘部は全長425メートル、高さ36メートル。 調査では推定約2キロの内堤を歩いて1周し、形状などを観察します。

 
 
 
應神天皇陵立ち入り調査へ:http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/44741061.html

  

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