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奈良県 御所市 室の宮山古墳の後円部頂上にあった靫形埴輪。
「靫」(ゆき)とは矢を入れる籠のこと。 背中に背負って使っていたのだろう。
同じ埴輪の裏側 (エビみたいな感じのデザイン)
細部を見ると
直弧文
直弧文(ちょっこもん)とは、バツ印の直線と、円の一部を切り取ったような弧を組み合わせた文様。
うずまき
直弧文は九州の古墳、井寺古墳などに見事なものが出ている。 直弧文とは何だろうか?
まずこの古墳を訪れるきっかけとなったkawakatu先生の記事
熊本の井寺古墳(直径24m円墳)は
こじんまりとした古墳だが、中の石室は見事で、直弧文で飾られている
5世紀後半〜6世紀初頭とのこと
井寺古墳探訪記
熊本県装飾古墳館(石室内を自由に見られるパノラマムービー)
直弧文
吉備の千足古墳(陪塚第5号古墳、5世紀後半、全長75m)の障石にも直弧文がえがかれていたという
弥生文化博物館
何と、本日UPされたkawakatu先生の記事によると、滋賀県の雪野山古墳に、上の靫形埴輪の原型らしき「靫」の現物が出たそうです。
さて引用が長くなりました。
この宮山古墳には、上の靫形埴輪の他にも、たくさんの埴輪が出ています。
家形はにわ 5個
靫形はにわ 3個
盾形はにわ 13個
甲冑はにわ 5個
靫、盾、甲冑 があることから、当時軍隊があったようです。
被葬者は、これらの埴輪に守られていたのでしょう。
中央公論社『日本書紀』巻第六
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)
垂仁天皇 より
(2018.12.9) 靫型埴輪
直弧文は再生防止の呪い
野見宿禰
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古墳
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4月30日(月) 奈良県御所市 宮山古墳
神社の中に古墳の登り口がありました!
登って行くと、後円部のてっぺんに出ます。
ありました、靫形(ゆきがた)の埴輪!
(靫とは矢を入れる籠のことです)
埴輪を発見し目的地に着いた! ということでまずは喜んだのですが
何と、埴輪の右下に、ポッカリと穴が開いているではありませんか!!
のぞいてみると、何と、石棺がありました!!!
興奮して写真を何枚も撮ったのですが
要は、下図のような石棺が、そのまま石室に収められたままで、一般見学者向けに開放されているのだ。
説明板(左側)には、以下のように記されている。
なるほどです。
古墳に登れるだけでなく、石棺も見放題さわり放題!
天皇稜と指定された古墳では許されないことが許されている、極めてありがたい古墳なのです。
石棺も上記のように、きわめて立派なもので、しかも古墳の全長は238mあって、あの崇神天皇稜なみです。
この古墳が天皇のものではないとすれば、一体誰のものでしょう?
石棺の中に埋葬されているのは、一体誰でしょう!?
ということで、真っ暗な石棺の穴の中をのぞいてみたいのですが...
(つづく)
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熊本県井寺古墳
5世紀末〜6世紀初頭
と言うと、福岡王塚古墳、磐井の乱の前の時代、
河内王朝が弱体化して継体天皇が政権を継ぐ頃だろうか。
kawakatu先生が
「石室じゅう、これ直孤文で、壁は阿蘇ピンク石製のレンガ状石で覆われている。」
と紹介されている。
井寺古墳石室内の直弧文様の装飾 (kawakatu先生による)
井寺古墳石室内、阿蘇ピンク石の石積み (これもkawakatu先生からいただいたもの)
スカイトレッカーさんのブログに探検写真が多数アップされてます!
http://blog.livedoor.jp/ncc74210/archives/52453326.html 直弧文の解説
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明日香村で見た石室と、これまでに訪れた他の石室を比較してみよう。
1.石を積み上げたタイプ
●栃木県足利市 口明塚 2010.5
粗削りで素朴な造りであった。地方の豪族の墓といった感じ。
●群馬県高崎市 綿貫観音山 2010.6
前方後円墳の立派さもさることながら、ここの横穴式石室は、インカの遺跡を思わせるような、きわめて精巧な石組により造られている。一見して王様の墓にしか見えない。
『壁面は榛名山二ツ岳噴出の角閃石安山岩の切石を積み上げ、天井石は吉井町産出の牛臥砂岩が用いられている』と説明板に記されていた。天井石は実に巨大だ。
※事前に連絡すれば石室内を見学させてもらえる
●明日香村 岩屋山
2.岩石を刳り抜いたタイプ
●明日香村 牽牛子塚
巨大な石(凝灰岩)を刳り抜いて、母娘二人分の埋葬室がきわめて精巧に造られていた。
●埼玉県比企郡吉見町 吉見百穴 2009.5
凝灰岩の山の斜面に無数の穴が開けられているのには驚いた。
古墳ではないし王の墓でもない。けれども左右一対の棺座がある点では、牽牛子塚と似ている。
牽牛子塚では左右の石室を隔てる壁を残して刳り抜かれているが、百穴には仕切り壁は無い。
偉い人だけでなく一般の人でも焼かれることなくこの石室に埋葬されたと考えられる、ありがたいお墓だ。
※吉見百穴は東上線の東松山駅から歩いて訪れることができ、穴の中を自由に見学できる、ありがたい遺跡だ。
以上のように、石室にはおおまかには2通りあった。
①石を積み上げ組み合わせて造ったもの
②巨石を刳り抜いたもの
古墳の中にある石室については、石室を先に造って、その後で土をかぶせる方が楽そうだが、はたしてそのような造りかたをされたのかは分からない。
牽牛子塚の場合、Wikipedia の記述が本当なら 70〜80トン の巨大な凝灰岩を二上山から持ってきて、わざわざ小さい丘の上に据え付けたことになる。中を刳り抜いたのは、丘の上に据え付けてからではないだろうか。
明日香の益田岩船は石室には見えないが、牽牛子塚と同様に、巨石を山上まで持ち上げて(どうやって???)水平を決めてから掘り始めたのではないだろうか。
穴を掘り抜くのに一体、何人の石工が、何日かかったのだろう。おそらくは被葬者の生前から造られていたのではないだろうか。
いずれにしても当時は火葬ではなく風葬(または土葬)だったので、貴人にしろ一般庶民にしろ、大切な人(自分のことかもしれない)の亡骸を頑丈な穴の中に安置することが重要と考えていたのだろう。
今は失われているが、ほとんどの石室には、元々入口を覆う蓋が嵌められていたのではないだろうか。
石室のまとめ
1.大きく分けて2とおりあって、石を積み上げた石室と、石を刳り抜いた石室がある。
2.当時は火葬ではなく風葬だったので、大事な遺体を頑丈な穴に安置することが大切だった。
今後の課題
・天皇稜の石室はどのような形体か
・石室の壁面に描かれている絵や文様から何が読み取れるか
・海外にも石室はあるか
・現代の埋葬方法の再考
須曽蝦夷穴古墳 ひとつの方墳に二室、板石積み
柳下里伝王陵古墳・慶尚南道金海市 片袖式、四壁持ち送り式ドーム
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2011年2月19日付け 朝日小学生新聞より
応神陵の立ち入り調査を許可
應神天皇陵立ち入り調査へ:http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/44741061.html
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