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引続き、憲法十七条から 四にいう。 群卿(マエツキミタチ;大夫)や百寮(ツカサツカサ;各官司)は、 みな礼法をものごとの基本とせよ。 民を治める肝要は、この礼法にある。 上の行いが礼法にかなわなければ、下の秩序は乱れ、 下に礼法が失われれば、きっと罪を犯す者が出てくる。 群臣に礼法が保たれていれば、序列も乱れず、 百姓(オオミタカラ)に礼法が保たれていれば、国家はおのずと治まるものである。 「日本書紀」 巻第二十二 推古天皇 日本の名著1 中央公論社 (1983) より (注) 孔子が陳蔡の野で兵糧攻めにあったとの故事がある。 いにしえの陳の都は、現在の淮陽(ホワイヤン)にあたる。淮陽の湖に浮かぶ弦歌台(シャンゲタイ;上の写真の遠方)が、孔子が兵糧攻めに遭った場所だという。 2006年の春に当地を訪れたときには、孔子ゆかりの地とは知らず、ただのんびりと風景を眺めていた。 孔子の死後も、陳の都は「礼」を学ぶ場所であったそうだ。おそらく、湖上に浮かぶ寺院のような建物が、「礼」の学校だったのだろう。 |
日本書紀
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. (写真はWikipediaからお借りしました) 引続き、憲法十七条から 三にいう。 天皇の命をうけたら、かならずそれに従え。 譬えるなら君は天、臣は地。 天が万物を覆い、地が万物を載せる。 それによって四季は規則正しく移りゆき、万物を活動させるのだ。 もし地が天を覆おうとするなら、この秩序は破壊されてしまう。 そのように、君主の言には臣下はかならず承服し、上が行えば下はそれに従うのだ。 だから、天皇の命をうけたらかならずそれに従え。 もし従わなければ、けっきょくは自滅するであろう。 「日本書紀」 巻第二十二 推古天皇 日本の名著1 中央公論社 (1983) より |
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引き続き、憲法十七条より。 二にいう。 あつく仏教を信仰せよ。 仏教はあらゆる生きものの最後に帰するところ、すべての国々の仰ぐ究極のよりどころである(注1)。 どのような時代の、どのような人々でも、この法をあがめないことがあろうか。 しんそこからの悪人はまれであり、よく教えさとせばかならず従わせることができる。 仏教に帰依せずして、どうしてよこしまな心を正すことができよう。 「日本書紀」 巻第二十二 推古天皇 日本の名著1 中央公論社 (1983) より (注1) 当時の中国(隋・唐)や朝鮮半島(高句麗、新羅、百済)では日本に先立って既に仏教が信仰されていたことに基づく文言であろう。
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