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奈良 나라

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2010.6.19 

また懲りずに桜井線に乗って来てしまった。

天理の次の駅、おととい訪れた柳本のひとつ手前の長柄(ながら)駅で降りる。
駅前にはきれいな休憩所がある。地図を確認する。

イメージ 1

さて、たくさんあるはずの古墳はどこにあるのか?
いちいち書かれてはいない。
とりあえず赤い線のコースで衾田(ふすまだ)稜[6]を目指すことにする。

あいかわらず駅前にはコンビニもマックも無いのだが、駅前通りは柳本と同じく
古い街並みで車通りも少なく、歩いていて気持ちがいい。

東へしばらく行くと、南北にのびる旧街道らしき路と交差する。
イメージ 2

この旧街道も、車通りはほとんどない。右手(南側)に神社があるようだ。

イメージ 3
      民家の奥に古墳があった。(6/21地図の4番)

イメージ 4


馬口山古墳。全長110m、前方後円墳。
墳丘上で特殊器台型埴輪の破片が発見されたことから、初期の古墳なのだそうだ。
墳丘に上ってみると、雑草がぼうぼう生い茂っている。
この辺りでこのような古墳の存在は、邪魔になるだけであって、どうでもよいといった感じ。
西都原や、綿貫観音山、崇神天皇稜など、よく整備された古墳とはちょっと様子がちがう。
藤本観音山とは似たような感じ。


 

黒塚

2010.6.17 崇神天皇稜のあと、黒塚へ。
 
イメージ 1
黒塚は、三角縁神獣鏡が33面も出たことで有名になりました。
 
全長約130m。
3世紀末〜4世紀前半。
後円部は山(東)向き。
前方部は細っそりして低い。
池に囲まれている。
墳墓周辺の造形は後世にかなり改変されたかもしれない。
 
墳墓の形は西都原の13号墳と似ていて、13号墳でも三角縁神獣鏡が1面出ています。
黒塚と近い時代の築造ではないでしょうか。
 
古墳の隣にはすばらしい展示館があり、石室の様子がよくわかります。
石室は東西に身長の3倍ぐらいの長さで、朱色に塗られています。
鏡の出土状況もわかるのですが、見ていると何となく、女性の墓だったのかな?
と思えてきます。
 
 
黒塚については、次のホームページなど多数webで報告されていますので御覧ください。
http://inoues.net/club/kuroduka_museum.html

三角縁神獣鏡 (irikuraさん記事)
 
三角縁神獣鏡の分布 
 
 
黒塚の展示館にいい地図が展示されていました(19が黒塚かな?)

イメージ 2
 
地図の上方、「天 理 市」の字の近くに、前方後円墳に混ざって前方後方墳が散在しています。
関東に特有だと思っていた前方後方墳が、奈良、山辺の古墳にもあることを、Kyomutekisonzaironさんの記事で知り、見てみたくなったのが、今回のきっかけでした。
 
この地図のせいで、もっと古墳見に行きたいスイッチが入ってしまいました。
 
2018年 10月 13日 引用転記
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181013-00000526-san-cul

奈良出土の三角縁神獣鏡は中国製か 蛍光X線で分析

10/13(土) 8:25配信  産経新聞
10/13(土) 8:25配信  産経新聞         

 奈良県天理市の黒塚古墳(3世紀後半)から出土した33面の三角縁神獣鏡について、京都市の泉屋博古館(せんおくはっこかん)が大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)で蛍光(けいこう)X線分析したところ、鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ一致することが分かった。橿原考古学研究所が今月刊行した調査報告書「黒塚古墳の研究」で紹介されている。

 三角縁神獣鏡は、古代中国の魏が邪馬台国の女王卑弥呼(ひみこ)に贈った「銅鏡百枚」とする説がある。ただ、中国国内では確認されておらず、中国製か国産かをめぐって長く議論が続いている。今回の調査結果により、黒塚古墳の三角縁神獣鏡が中国で製作された可能性が高まったといえ、論争に一石を投じる成果となりそうだ。

 33面の三角縁神獣鏡は平成9〜10年にかけて実施された発掘調査で、竪穴式石室(長さ8・2メートル、幅1・2メートル)から出土。一つの古墳からの出土数としては全国最多で、文様や銘文から全て中国から輸入された舶載鏡(はくさいきょう)と考えられている。

 泉屋博古館はその後、スプリング8の強力な放射光を使い、蛍光X線分析を実施。鏡に含まれる錫、銀、アンチモンの3元素の組成数値を調べ、グラフ化したところ、古代中国の前漢後期〜三国時代(紀元前1世紀〜3世紀)の鏡の組成数値の分布エリアに収まることが判明。黒塚古墳の三角縁神獣鏡と前漢後期〜三国時代の中国鏡が、同じ原材料で作られている可能性が高まった。一方で、同古墳から出土した画文帯(がもんたい)神獣鏡1面も、同じ分布エリア内に収まっている。

 泉屋博古館は過去にも、久津川車塚古墳(京都府城陽市)出土の三角縁神獣鏡などをスプリング8で蛍光X線分析し、同様の結果を得ている。

 中国青銅器を専門とする同館の広川守副館長は「黒塚古墳の鏡は材料的には中国鏡と考えられる。どこで作られたのかは分からないが、中国で製作された可能性もある」としている。


  

崇神天皇稜

2010.6.17
イメージ 1
龍王山
 
奈良から桜井線に乗り柳本へ。駅は無人で電車はワンマンカーなので、一両目から降りる。
駅前にはコンビニもマックも無いが、地図はある。 看板で道を確認し、駅前通りを黒塚へ向かう。
駅前通りといっても細い路で、奈良らしい家が多く、車通りも少なくて気持ちがいい。
 
イメージ 2
柳本駅前通り
 
黒塚を通って国道169号線に出ると、サークルKがあった。近くには崇神天皇稜もあるので、少し高いところに登って見下ろせないかと思い、龍王山(冒頭の写真)への道を少し登る。竹林があったり森林が茂っていて、残念ながら見晴らしの良い場所はなかった。山道にそって雨水が流れ落ち、水たまりやぬかるみが多いので引き返し、崇神天皇稜へと向かった。
 
イメージ 3
崇神天皇稜 
 
崇神天皇稜(行燈山古墳)は大変立派な古墳だ。
全長242m、周濠360m。
前方部は後期の前方後円墳に比べると小型で、地図や航空写真ではホタテ型に近いように見える。
しかし実際に見てみると、この前方部だけでも結構デカい。
 
 
 
崇神天皇稜の周濠は後の池(後円部のC型の池)と前の池(前方部のコ型の池)とからなる。
前池と後池の間には土堤がある。
イメージ 4
 
前池(写真左下)と後池(写真右)とでは水面の高さが劇的に違っていて、後円部から前方部を見下ろすとスリリングな楽しさがある。
 
イメージ 5
崇神天皇稜(行燈山)前方部  遠方かすかに大和平野
 
 
(崇神十二年)
秋九月の甲辰の朔己丑(16日)に、はじめて人民の戸口を調査し、また調役を賦課した。これを
男の弭調ユハズノミツキ;獣肉・皮革などの狩猟生産物)、
女の手末調タナスエノミツキ;絹・布などの手工業生産物) という。
これによって、天神地祇はともに柔和となり、風雨は時に順って、百穀は成熟した。
家々には物が満ち足り、人々は満足して、天下は非常に平穏になった。
そこで、天皇を誉め讃えて御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)と申し上げた。

                           中央公論社『日本書紀』(1983)による
 
日本書記では同じようなできごとが重ねて出てくることがあるが、ここでは崇神天皇のことを「日本国を初めて統治した天皇」と呼んでいる。
おそらく3世紀後半、大規模な古墳の築造が始まったころのこと。
   
 
崇神天皇稜の山側を通る『山辺の道』は、桜井から天理にかけての山沿いに南北に連なる農道をハイキング用に適宜つなぎあわせたような道だ。
本来の山辺の道は現在の国道169号線か、その西下の、箸墓後円辺から天理市の竹之内町の下まで真っすぐ南北に延びる街道だったのではないか。
 
日本書紀に、『天皇は、即位されてから68年の冬12月の戊申の朔壬子(五日)に、崩じられた。時に、年120歳。翌年の秋八月の甲辰の朔甲寅(十一日)に、山辺道上陵に葬りまつった』(中央公論社)とある。
イメージ 6
 
12月の崩御から翌年8月の埋葬までの8ヶ月間、遺体はどのような状態で置かれていたのだろうか。
磯城の瑞籬宮で殯されていたのだろうか。
 
 

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