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5月1日(月)
新鹿の砂浜から、駅へ戻りました。
8:35発の多気行きに乗ります。
新鹿(あたしか)駅
新鹿駅のホーム 波田須方面
新鹿駅の裏山
新鹿を発車した多気行きの列車から、新鹿湾
逢神坂トンネルを通って、二木島(にぎしま)へ到着。
二木島湾
遠くに見える2つの山がたぶん英虞崎(あごさき)。その右が牟婁碕(むろさき)。
今回訪れようかと、迷っていたところです。
長い曽根トンネルをくぐると、風光明媚な曽根町につづいて、賀田駅。
賀田(かた)駅
賀田駅を出ると、川のむこうの山すそに、こんもりとした杜があって、
その下の斜面にはお墓が並んでいるように見えました。
長い亥が谷トンネルを抜けると、三木里です。
三木里駅 (走ってきた賀田方面)
朝から暑い日で、三木里駅で降りた人は日傘をさしています。
三木里を出ると、左に見える山が八鬼山でしょう。
♪あなたと越えたい、八鬼山越え
長い名柄トンネルを通ると、九鬼駅。
九鬼駅を出て、九鬼トンネルに続いていくつかのトンネルをくぐると、尾鷲湾が見えてきます。
尾鷲湾と火力発電所の煙突
タンカーの船着き場のような突堤が見えます。
大曽根浦は、熊野古道センターに近い駅です。
大曽根浦で新宮行きと交換すると、次は尾鷲(おわせ)。
尾鷲に 9:12 に到着しました。新鹿から 37分の各駅停車旅でした。
![]() 熊野古道センター
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駅
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5月1日(火) 熊野市に宿泊した翌朝
早朝の列車に乗るために、宿を6時過ぎに出ました。
朝の熊野市駅
京都の実家へ帰る途中の寄り道で、この日の昼に松阪で近鉄に乗り換えるまでの自由時間です。
松阪までの切符は昨夜購入しておいたので、これから行く新鹿では「途中下車」です。
ホームに多気行きが到着し、すぐに新宮行きも到着しました。
特急南紀2号の到着を待つ多気行き
特急南紀2号が到着するまで、2本の普通列車が熊野市駅で待機します。
YouTube 朝の熊野市駅 多気行きと新宮行き https://youtu.be/P8xlPvOVsPY
特急南紀2号が到着 https://youtu.be/AneGNW6Js-8
前日の名古屋始発の車内放送で知ったのですが、特急南紀には、1両の車両がグリーン車と普通車に分かれた車両が連結されています。そのキロハ84が目の前に停車しました。
南紀2号が発車してから、多気行きに乗車。あとを追うように発車します。
トンネルを通って、大泊駅。またトンネルを通って波田須駅。
波田須(はだす)の海と、田植えが終わったばかりの棚田
波田須駅到着直前に海と棚田がちらっと見えます。海に面した棚田ほど素敵な景色はありません。
波田須駅 熊野古道と徐福の宮への案内板
波田須にはミカンの樹や茶畑もあります。
昨年はここで降りて新鹿まで歩きました。今年もここで降りたかったのですが...
私にとっては磁石のような不思議な場所です。
波田須を発車するとまたトンネルをくぐると、きれいな海岸が見え、新鹿に到着しました。
YouTube 新鹿到着前に見える海岸 https://youtu.be/WOnVru9KzLw
新鹿駅を出る多気行き https://youtu.be/MqW3Y19iC-4
新鹿駅 名所案内板
いい天気です
![]() 新鹿駅から真っすぐに海岸へと向かいました。
荷物は駅に置いておくつもりだったのですが、荷物を持ったまま夢中で歩き出していました。
新鹿駅前。 海岸を走る国道311号線への道案内
国道311号線は不思議な国道で、ほぼ熊野古道の伊勢路と中辺路にそってつながっています。 5分も歩かずに国道に出て、国道のむこうの川を渡ると海岸です。
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5月 3日
紀勢本線の熊野市から2つめの波田須駅で下車し、徐福の宮を見たあと
大吹峠を越えて、大泊駅にたどりつきました。
大泊駅
いなかの駅は良い感じです。
駅前にコンビニが無いのはちょっと不便ですが...
大泊の北側、尾鷲市方向の山
今朝はこの山を越えてきました。
大泊駅もトンネルとトンネルの間にある駅です。
大泊の南側、熊野市方面の山と、保線用の側線 山の左端には鬼ヶ城があります
写真の右手には熊野尾鷲道路の熊野大泊ICがあります。
9時47分発の新宮行きに乗って、新宮まで戻ります。
新宮駅のコインロッカーに宿泊荷物を入れ来ました。
熊野市の次の有井駅
国土地理院地図:
いつか訪れてみたい所です。
風伝峠の風伝おろし(冬の入り口頃に雲海の雲があふれおちるそうです):
紀勢本線は七里御浜に沿って、ほぼまっすぐに走りますが、海岸がほとんど見えないのは残念です。
熊野川の鉄橋を渡り、トンネルを抜けると新宮
川のこっちは三重県、川のむこうは和歌山県です。
(補足)
丸山千枚田
写真は Wikipedia からお借りしました。 ↑
通り峠と丸山千枚田
熊野市バス時刻表
世界各地の棚田:
雲南省紅河ハニ族イ族自治州元陽県の棚田
広西チワン族自治区桂林近く龍勝の棚田
ベトナムの北部サパの棚田
フィリピン ルソン島コルディリェラの棚田
棚田は日本のはるか南の国でも行われています。
むかし海外の棚田で稲作をしていた人が、何かの理由で日本に渡ってきて伝えてくれたようです。
炊いたか蒸したか 米
日本の米の炊き方は南方系。
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井戸尻遺跡がある信濃境駅に10時に到着。
中央本線 信濃境駅
上諏訪と小淵沢の間、富士見町の八ヶ岳南山麓の駅です。
信濃境 駅前通り
八ヶ岳から南に向かうと、南アルプス、甲斐駒ヶ岳が見えます。
八ヶ岳と南アルプスの間に釜無川が、深い渓谷を削り取っていて、
釜無川へ落ち込むゆるやかな斜面を少し下ったところに、井戸尻遺跡があります。
甲斐駒ヶ岳を望む下り坂、左が井戸尻考古館で、信濃境駅から歩いて20分ほどです。
駅から考古館までの道は、花が咲き始める早春ということもあって、実に良い感じの道でした。
井戸尻遺跡が栄えた5千〜4千年前、関東東部から甲州、ここ井戸尻を中心に諏訪湖や伊那谷にかけて、きわめて多くの縄文遺跡が点在していて、地図的に 『富士眉月弧』 文化と呼ばれています(資料1 p.10-12)。
館内には大変多数の縄文土器などが展示されていました。
曽利式とか、曽利産の土器も多いですが、曽利は井戸尻の西に隣接した集落です(資料1 p.81)。
蛇頭半人半蛙(はんじんはんあ)絵文深鉢 曽利
土器には、蛇(矢印)、蛙、渦や目玉や弧(三日月)などの模様が描かれていて、似たような模様が多くの土器で繰り返し造られているのですが、どれもみな少しずつ模様がちがっています。
模様の意味の解読がかなり進められていて、当時は科学以前の段階ですが、月の満ち欠けが季節や出産との関係で、宗教的に強く認識されていたようです(資料1 p.31-59)。
数学や文字は無いのですが、これら土器のデザインは芸術的で、大変パワフルで素晴らしいです。
岡本太郎的というか、現代の製品が何千年後に、これらの縄文土器よりも高い価値を持っているのかどうか...
いつのまにか人間は科学技術無しでは暮らせなくなってしまいました。
けれども、科学技術も使い方次第で、人間を幸せにしてくれるとは限らないのではないでしょうか?
竪穴式住居
すき間だらけで冬は寒いでしょうが、地震が来ても2階が1階に落ちてくるような心配はいらないのではないでしょうか?
縄文時代、2〜3千年もの間、この高原の寒い場所に人々が安定して生活できたのは、そのころの気候が暖かだったからではないかと思われます。
けれどもそれ以上に生活の安定をささえていたものがあります。
農業に適した形の石器が多数、このあたりの遺跡から出ています。
縄文時代は狩猟で、農耕は弥生時代からと学校で教わってきましたが、実は縄文時代にすでに農耕は行われていて、穀物から粉をひいて焼き、煎餅かパンのようなものも作られていたのです(資料1 p.13-30)。
資料1: 「井戸尻」 第8集、富士見町井戸尻考古館
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飯田線 七久保駅
麻績(おみ)神社へ行く途中で飯田線の駅を発見し、七久保駅で車を停めてもらいました。
この駅はなぜかわからないけれど、憧れの駅でした。
たぶん、中央アルプスを背景にした飯田線の写真を見かけたからでしょう
七久保駅前
七久保駅 駒ヶ根、伊那市、辰野方面
七久保駅 遠くに南アルプス
七久保駅 飯田、天竜峡、豊橋方面
以前には、この写真の右側へ日本石油の引込線があったようです。
奥野君の専用線日記 七久保のスイッチャー
ここへ来る前に友人は与田切川の公園に立ち寄ってくれましたが、
そこに貨車を牽いていたディーゼル機関車が展示されていました。
七久保駅で働いていたらしい、富士重工製DB15
当時の水色とはちがう塗色で、錆びが進んでいて可哀そうです。
七久保駅引込線配線の図
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