|
南紀の和深から潮岬がある串本までもどり、紀勢本線に乗って、三重県の熊野市まで移動します。
串本 9:27 → 10:40 新宮串本駅で 新宮行きの電車を待っていると、逆方向、大阪行きの特急が到着しました。
くろしお14号
新宮行きの電車は、串本を出ると、昨日見に行った橋杭岩の横を通り、姫駅、古座駅にとまったあと、古座川を渡りました。
古座川
紀伊半島南部の山からおりてくる水を満々とたたえています。
午前中の日差しを海側の車窓から受けて車内は暖かく、うとうと居眠り...
このあたりの海岸線も美しいので、前回の写真をご覧ください。
那智駅 那智大社や那智の滝の最寄り駅です。
那智には補陀落山寺 (ふだらくさんじ)があります。
日光の東照宮=二荒山(ふたあらさん=じっこうさん)では日光の男体山を神が住む蓬莱山と見なされたように、那智の山も神が住む山=ふだらくさん(蓬莱山)として崇められたと考えられます。滝が落ちるところが、神仙の山の条件のようです。
両者とも舟に乗って大陸からたどりついた民が定住地として選んだところではないでしょうか。
またうとうとして、新宮の手前で目を覚まします。
三輪崎
岩の隙間から、王子浜が見えてきました
新宮市の王子浜 YouTube
2両編成の青い電車は、新宮駅に到着しました。
電車は折り返し紀伊田辺行きに。お疲れ様。
新宮 10:52 → 11:29 熊野市 (多気行き)新宮駅で、三重県方面、多気行きの列車を待っていると、到着しました。YouTube
列車が発車するとまた、うとうと居眠りしました。
紀伊井田〜阿田和の間には、紀宝町ウミガメ公園 があって、こもよみこもちさんが紹介されています。
ウミガメのパンを買いたかったのですが...
熊野市到着前に目覚め、残りの昼食、いなり寿司を食べました。
熊野市到着。
熊野市 11:34発 多気行き YouTube
このあと、目的の丸山千枚田へ向かいます。
丸山千枚田は、本宮と伊勢神宮を結ぶく熊野古道の、風伝峠を越えたところにあります。
自動車が走らない時代では、隠れた山里の秘境だったと思います。
|
和歌山 三重
[ リスト | 詳細 ]
安指平見 8:47 ⇒ 串本駅 9:16 (くしもと町立病院行き)熊野古道の新田平見道を歩いたあと、安指平見(あざしひらみ)のバス停から串本町のコミュニティバスに乗って、串本駅まで戻ります。
(← 進行方向、串本方面)
安指平見のバス停から乗車したバスは、大部分は国道42号線を通るのですが、ときどき写真のように側道にそれて、駅や民家があるところを通ります。他の地域で乗車したコミバスも、目的地へ向かって直進せずにあちこちと立ち寄って進むところが予想外で面白いです。
田子駅を出て海岸沿いに見える、烏帽子岩
8:56 江田〜野凪(のうなぎ)のあたり
地元の方は、のんびりと乗り降りされるので、若干遅れ気味になります。遅れを取り返すために、運転手さんはかなりマイクロバスを飛ばされます。高速なので、上の写真は斜めに写っています。
8:59 田並駅
串本海中公園を過ぎて...
9:10 二色で国道に戻るところ
2〜3分時刻表よりも遅れているようです。
要所要所で国道から外れながらも、遅れないようにと、ミツバチのように忙しく運転されています。
串本で乗車する新宮行きの電車は9:27分です。間に合うでしょうか...
このあと、袋、須賀の浜を通り、国道に沿ってコの字型に曲がると、串本の中心街です。
無事、ほぼ定刻に串本駅に到着しました。
トイレに行き、荷物を引取り、三重県の熊野市までの切符を購入。
新宮行き 9:27発 の電車に、余裕で間に合いました。
こうやって気ままに行きたいところを旅できるのは、定刻通り走ってくれるコミバスやJRのおかげです。
串本町のコミュニティバスは、串本駅から4方面行きの路線が出ていて大変便利。
昨年の 潮岬 への往復の際にも利用させてもらいました。料金は200円で安いです。
下のサイトに路線図と時刻表が掲載されています。
|
|
8月16日
13時前に中辺路(なかへち)の牛馬童子口から明光バスに乗り、14時頃に田辺市へ戻りました。
帰りの電車は15時半だったので、紀伊田辺駅近くにある、南方熊楠の記念館を訪れることにしました。
駅前通り、『湊』 の交差点から西へ進みます。
海蔵寺の前を通った後、市街地の中を少し南へ入ると、『南方熊楠顕彰館』 がありました。
南方熊楠(みなかたくまぐす) は明治時代の植物学者で、菌類、とくに粘菌の研究者です。
ただならぬ力「粘菌」 吉川直哉先生
米国や英国への留学から帰国したのち、先ず那智で暮らし、那智の滝の近くにある陰陽の滝の上流、クラガリ谷などの森の中に入りびたり、植物の観察をされました。
『小生は田辺にありて、いろいろのむつかしき研究を致し申し候。例せば、粘菌類と申すは動物ながら素人には動物と見えず、外見菌類(植物)に似たこと多きものなり。』 (1)
また、神社の森が残るよう、田辺周辺にある神社の統廃合に反対し、小さな○○王子と名の付く社も含めて、保存されるよう活動され、日本における自然保護運動の先駆者と見なされます。
熊楠の顕彰館の中ではビデオが放映され、たくさんの本や菌類などの標本があって、暑い日に避難して涼むのにはもってこいの場所でした。入場料は300円。
電車の時間が近づきましたので、紀伊田辺駅へ戻ります。
闘鶏神社へつづく門前町
熊楠は、この闘鶏神社の神主の娘さん、松枝さんをお嫁さんにもらい、研究活動や自然保護の運動を精力的に続けることができたそうです。(1)
(1) 別冊太陽192 『南方熊楠 森羅万象に挑んだ巨人』 中瀬喜陽監修, 2012, 平凡社
|
|
みなべ町の千里の浜はウミガメの産卵地。
ウミガメは5〜7月に産卵のため上陸して海へ戻る。
浜に人がいるとカメは海に戻るので、カメの上陸を見ることはできない。
産卵する場所を決めて、穴を掘って産みはじめると、人が近づいて観察することができる。
卵は2カ月ほどで孵化する。
千里浜での産卵回数は係りの方がカウントされているようで、本州では最も多い産卵回数が確認されている(1)。
卵が鳥に食べられないように、産卵が確認された場所の上には金網が設置され保護されている(4)。
カメは撮影禁止ですが、産卵場所の写真を撮らせてもらいました。
産卵は、波打ち際からできるだけ離れた砂浜の上の方まではいあがって行われる。
満ち潮で海水につかると、卵がだめになる。
カメの子は満ち潮の夜に孵化するが、陸側に自動車や家の明りが見えると、明るい方へ向かうので、海へ戻れなくなる。
陸に明りがないと、海面の方が明るいので、海へたどりつくことができる。
限られた時期の夜間に産卵や孵化があるので、産卵回数が多いここ千里浜でも、容易にカメに出会うことはできない。
千里浜を去るのは惜しいが、17時前に引き上げた。
日が傾いた千里浜
南部駅に戻ると、宿泊する紀伊田辺行きの電車は18時。
時間があるので、駅前の海岸まで歩いて行くと...
ウミガメがいました!
南部湾の浜におりてみると、千里の浜とはまったく違い、ゴロゴロの石ころの海岸です。
南部湾のようにゴロゴロの石では、カメが掘るのは大変だし、卵も割れてしまうでしょう。
千里浜の砂は、1〜3mmくらいの細かい石の粒で、貝殻やサンゴが砕けた砂ではなく、砂浜の色は白くはありません。それでも粒子が比較的小さいので、ウミガメの産卵に適しているのでしょう。
千里浜の砂
(青い点の間隔 = 10 mm)
(注) 千里の浜でウミガメの産卵を観察するには、みなべ町への申請が必要です。今回事前に申請したところ、すでに産卵時期は終わったので、来年の6月〜7月前半に来てください、とのことでした。
みなべ町のサイト(1):
ウミガメの孵化の記事(2):
本州に上陸するウミガメはアカウミガメ Caretta caretta で、絶滅危惧IB類(EN)。
(4) ウミガメ保護ハンドブック
|
|
8月15日(月)
和歌山県 みなべ町は、日本一の梅の産地です。
紀勢本線 南部駅
12時前に特急で到着しましたが、いきなり海へ行っても暑いので、涼しそうなところへ...
駅前から コミュニティ・バス が出ているので、それに乗って南部川上流の山間部へ行こうと思いました。
みなべ町 コミバス
ところが12:30発のコミバスに乗車するのは、私ひとりです。
おまけに山側には雨雲がかかってきました。
運転手さんと相談し、南部川の上流へ行くのはやめにして、近くの道の駅 うめ振興館 まで行ってもらうことにしました。
到着すると案の定、雨が降り始めました。
振興館の方は、久し振りの雨だと喜ばれていました。
振興館では、お土産に可愛い梅干しをもらいました。
紀州みなべの梅といえば、南高梅(なんこううめ)の梅干しですね。
振興館では、梅干しが健康に良いこと、いろんな梅の種類があることや、南部の歴史について紹介されていました。
屋上からは南部川の景色が眺められます。
雨あがりの南部川
振興館の前には、明治22年の台風のとき流されてきて生え残ったという楡(にれ)の木があって、そのそばに水神様が祀られていた。
13時49分の龍神バスに乗って、みなべ駅へ戻ります。
途中、三鍋(みなべ)王子 の神社がありました。
龍神バス 梅振興館前 時刻表
龍神バスは、終点の西で、田辺から来る龍神温泉行きのバスに乗り換えられるようです。
龍神村へも、一度訪れてみたいです。
ja3mouさん: 龍神村 丹生ヤマセミの郷へキャンプ
(蛇足)
「みなべ」の表記に南部と三鍋があるということは、どちらも当て字の可能性が高いです。昔は馬飼部・鳥取部・綾部・服部(はとり=はたおり)のように、何かの職業の部族(村)を〇〇部と呼んでいましたから、「みなべ」は「水の部」の意味で水に関係ある村だったのかも知れません。
|





