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第一章
異常気象で殺伐としたニュースがまるで打ち上げ花火のように飛び込んできては消えていく。
世の中が漠然とした不安の中にあり、人々が当てもなく己の役割をひたすら引きずり、まるで沼地に深く足をとられるかのようにひたすらその日を消化しようと歩んでいる。
8月の異常な涼しさの後、迎えた9月は一転、太陽の光がまるでオレンジ色のレーダー光線が揺れるように輝く猛暑である。
「あー!今日の仕事もひと段落か。さてこの後は何をしようか? 当てもなく、さまようように時間を刻む作業はこの辺で中止して、自分のために少しでも形の見える何かをしたいものだ!」と思って小さなビルの5階にある箱のような事務所の回転椅子をグルリと回して、後ろの5階の窓から太陽がまばゆく光が踊っている外の風景を眺めた時から、私にとっての事件が始まったのである。
窓の外は下町の小さなビルが立ち並びその全てを静まりかえったような9月の青一色のきらめきが包んでいるとき、そのきらめきの中に黒い稲妻がまるで原爆の死の灰が降り注ぐように流れ落ち、テレビの画像が壊れたような光景が目に広がった。
異常は左目である。
「来た!」何か知れない不気味な不安が全身に走った。
メガネを投げ捨てるように書類が散らばっているデスクの上に置き、奥の流し場に一目散に走った。
左目を閉じ、その上に冷たい水道の水を力なく流した。
それは今の自分にとって何の効果もないということは漠然と意識の中にあるのだが、不気味な不安をなぜか水が洗い流して元に戻してくれるような思いが瞬間したからである。
私はこのかた60歳になるまで入院はもとより手術らしきものは幸運にして一切経験をもっていないのである。
手術らしきものといえば数年前に小さな親知らずの歯を近くの病院の口腔外科で取り除いたくらいである。
このくらいの処置は一般の病院経験者にとっては取るに足りないまるで指にとげが刺さったくらいの簡単なことであろう。
この取るに足りない手術とはいえない処置でも私にとっては一大事で全く大変なできごとである。
全くの病院恐怖症で手術などといううものは私にとって死ぬに等しい恐怖なのである。
まさにそれが運命の定めのように迫ってきたのである。
弟二章
今日は9月13日である。朝の陽光はおだやかで、よどんでいるようではあるが今日もまた、うだるような暑さのエネルギーを溜め込んでいるかのような疎ましい静けさである。
何事もないかのように妻と子供たちも今朝も起きてきて、日々変わらない夫々の作業をたんたんと無口に始めている。
ただいつもと少し違っているのは、今日はなんとなく皆、肩に力が入って、行動がいつもよりキビキビしているような気がする。
下手な役者が少しでも目立つように大げさに振舞っているかのようである。
それも今日は私の網膜剥離手術の為の入院日であるからかも知れない。
千葉の自宅からT医大へは片道約1時間のドライブである。
次男が私の入院に付き添うために、今日一日会社を休んでくれた。
さて、出発となり私は子供の車の助手席に置物のように座った。
妻は後ろの席に胸をはって座っている。
こういう自分とって難関の時こそ普段はあまり見せたことのない親父の隠れた強さを誇示しようと思うのだが、自分の体がいつもより若干、小さく貧相になったように感じられる。
日ごろの自分といううものはそう突然に変えられないものである。
取り敢えずT医大まで搬送されるはめになった。
車の後ろの妻は平然としているが、元来、女というものは出産を本能にもってこの世に生まれ出たので、本能的に体内に肉体的苦痛に対する抵抗力を男より多く持っているのかも知れない。
T医大に着き、受付で入院手続きをし案内されたのは6階の眼科病棟の二人部屋である。
8畳位の細長い一室を真中で分厚いカーテンで仕切り2室に分割している。
先入者の男はYといい、小柄で病気など無縁のような元気なじいさんに見えた。
右目に眼帯らしきガーゼを絆創膏で貼り付けている。
年は70歳位であるが背筋がシャキッと伸びて小柄な体ながら精気があふれている。
既に手術が終わり経過がよさそうで、退院が近いような雰囲気である。
わたくしにとって入院は始めての経験で不安この上ないが、他に心配なことは同室人との関係をうまく作れるかということである。
何せ私は根っからの社交べたを自認している。
何か仕事に関することとかの目的があっての交渉事はある程度の自信を持っているが、自分や家族に関わる事の社交がなぜか苦手なのである。
小さい時からの母親に過保護にされて育った報いかも知れない。
Y氏に取り敢えず早く挨拶を済ませることにした。
「Mです。 お世話になります。」といおうとしたが思い直した。
世話になるのは医者か看護士である。
取り敢えず「宜しくお願いします」にした。
こんな調子ではこの先が思い悩まされる。
妻と子供がT医大から帰った後の病室はかなり暑く汗が止まらない。
当分、風呂には入れそうにもないから先行き不安の種である。
病室にはクーラーが一つ窓際にあるが、先入者の占有部屋側にあり、新入り患者としては温度調節は遠慮しなければと思い我慢することにした。
老人はクーラー嫌いであることは、自分の親達で先刻承知である。
この先、待っている大変な手術のことを思えばこれ位の暑さはさしてる問題ではないと思いなおし、ひたすらタオルで吹き出る汗を拭くことにしたのである。
同室のY氏は白内障と緑内障の合併症の手術でこの病院に入院したようである。
Y氏に聞いたところによるとY氏の手術は2日前に既に終えておりあと1週間程度の入院加療が必要らしい。
又Y氏の手術は局部麻酔で始終、手術の様子が片方の目で見えていたようで奇妙な感じであったともらした。
ただ手術を終えている気軽さからか全く態度が明るい。
ひとしきり自分の手術は局部麻酔で全く痛くなく簡単な手術であったと何かにつけて話しかけてくる。
それに比べて比較的に大変な全身麻酔手術を数日後に控えている自分にとっては余計に大変に思えてくるわけであるから、全く迷惑千万な話である。
入院前から私の手術は入院後の3泊後に決定している。
弟三章
一泊目の翌日から手術前の精密検査が始まった。
病院の朝は早く6時に担当医から各病室に呼び出しの放送があり、それまでに準備を終えていなければならない。
又同時刻になると看護士が巡回に来る。
各病室と診察室とは音声回線でつながっており自由に話が出来るようになっている。
診察の時間が来ると担当医及び看護士から呼び出しの声が部屋に流れ、それに患者が応答して、6回の中央にある診察室に行くことになっている。
診察室に行くと主任医師が待っておりそこでその日の最初の診察を受けるのである。
次は1時間程して教授の2回目の診察を受けてその日の診察が終了することになる。
これがほぼ毎日繰り返される日課である。
T病院に入院するにあたり網膜剥離とはどのようなものであるかとの説明を受けた。
それによると人間の網膜は写真機のフィルムのような役割をしており、外から目に入った画像を感知して再生するための網膜が眼球内の壁から剥がれ落ちてゆくのが網膜剥離である。
そのまま放置すれば完全に失明にいたる非常に怖い目の病気である。
又、網膜の剥がれが眼球の中央までくると視力の完全回復は困難になるとの説明を受けた。
出来るだけ網膜の剥がれが小さいうちに手術することが視力低下を防ぐための最も重要なことになる。
そのために医師が目の外側からレンズで網膜の剥がれの状態を詳細に観察していく。
要するに眼球内に貼りついている網膜の詳細な地図を作成して行くということである。
それは手術前の前々日と前日の2日にわたり詳細に行われた。
特に手術前日は網膜剥離手術の権威であるT教授から受けた。
いつものように朝7時過ぎ診察室に行くと暗室の中央に一つベッドが置かれており、まづそれに寝かされた。
T教授が小さい懐中電灯のような物を左手に持ち、右手に小さい丸いお皿位のレンズを携え、私の眼球内を懐中電灯で照らしながらくまなく覗いて記録していくのである。
その際、網膜の位置が見やすいようにT教授から私の視線の方向を指示される。
T教授の作業は間断なくほぼ1時間続いた。
見逃しがあれば、そこから手術後に又網膜が剥がれて、予定外の再手術となるわけであるから大変な技術が要求されるわけである。
私の場合は左目の網膜の上部が剥がれておりその剥がれ具合は全体の25パーセント程度を占めている。
これが半分程度まで広がり網膜の剥がれが中央部にかかれば視力の回復は非常に厳しいものになるとの説明を受けた。
然るに、入院中の手術までにも網膜の剥がれが進行しており、人により一気に剥がれてしまうことがあるから、全く不安な手術までの待ち時間となるわけである。
弟4章
私の手術日まで妻が各日に病室に来て洗濯ものを持って帰っていく。
最近は一人っ子である私の妻の年老いた父が、暗闇にひきずり込まれるかのように、老いと病を急速に深めている。
それだけでも妻にとっては,大変なことであるのに今回の私の突然の入院はなんとも致しがたい事態なのである。
親も子も老いに直面することは、幾多の試練の連続である。
あせらず、無理をせず現実をありのままに受けとめ、やれることのみやっていくしかないのであろう。
人間誰しも避けて通れない道なのである。
退院の後は、私が代わってやらねばとその思いを強くしながら寝ることにした。
ついに手術前日の夜を迎えることになった。
手術前の最後の検診に診察室に呼ばれたのは夜遅く8時ころであった。
今回の検診担当はT教授の一番弟子のN主任である。
落ち着いた自信のある態度とT教授に対する真摯な受け答えから見て30歳位に見えるが有能な医師のように思えた。
いつものように暗室のベッドに寝かされ横にN主任医師の部下と思われる見習い研修医が主任医師に寄り添うように立った。
N主任はレンズを左手にもち懐中電灯で私の眼球を覗き込み言う。「うーん、ここは一番見えにくく見落とす場所なので、患者の視線をこの辺にもって行き、すばやく覗けばこの位置の網膜が見えるよ。しかしこれが出来るようになるには2年位かかるけどね!」と見習い女医に言う。
「はい、分かりました。」と見習い女医は神妙に答えた。
この間、1時間あまり淡々とこの作業が続くわけであるが、どうもこの見習い女医は風邪を引いているのか私の顔を覗き込みながら1分おきくらいに絶え間なく鼻をグシャとかむのである。
どうも主任のN医師は私を見本にしてこの見習い女医に実習させているようである。
この見習い女医の技能の向上に私も少しくらい役立っているのだと思い直し、風邪をうつされるか知れないが我慢することにした。
検査が終わり病室に戻ると同室のY氏がすこぶる嬉しそうな顔をして座っていた。
「本日やっと退院の許可が出たので、明日の早々に退院です」と喜色満面の顔で言った。
私は一応「それは良かったですね!おめでとうございます」と答えたが明日に手術を控えている自分にとって少し複雑な気持ちになったのである。
~続く〜このブログの手記お読み頂き有難うございます。引き続き書きたいと思っていますが感想コメント頂ければ書く力が出てきますので宜しくお願いします。
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