徹底検索、堀進

あちこちの優れた情報を引用させていただいて載せます。詳しくは本文を。

全体表示

[ リスト ]

光明を得るとは

【投稿記事】和尚ラジニーシ 【光明1】 「光明を得る」とは?そのためには?

アセンション / 2012-03-11 15:56:00
(ハイアーセルフ33さんからの投稿)

◎ 神秘家の道 P57〜59

・・・。意識の最高の高みに達した人は、新しい潜在能力を身につける。そして最も重要なことは、今度はその人は下にも降りて行けるということだ。彼は、以前なら降りて行けなかったような、より暗い領域へ入って行けるだけの光りを持つ。以前なら、マインドの下に落ちることは、間違いなく狂うということだった。マインドは、小さな光の点だからだ。そこからもし落下すれば、暗闇の中に落ちて行く事しかできない。しかもその暗闇はますます濃くなり、そこから戻ってこられる可能性などなくなってしまう。

だが、もし先にマインドのより高いレベル――超意識、集合超意識、宇宙超意識――に達していれば、人は大変な光を持つことになる。光そのものになる。そうなれば人は無意識、集合無意識、宇宙無意識の下界へ降りて行く事ができる。しかもどこへ行こうと、闇は消える。人は七段階の全範囲――光に満ちた連続体になる。これが私の言う「光明を得る」ということだ。

そうなれば、もう発狂することはあり得ない。その人間にはもはや恐怖はない、死さえも恐怖ではない。事実、人は自分の原初の欲望を達成したのだ。あなたはもう一度、存在そのものの子宮の中にいる。再び心配もなく、責任もなく、緊張もなく、完全にくつろいで――それがどこに導こうとも。ただ存在を信頼して。存在の導いて行く所がどこであろうと、それがいいのだ。

どんな欲求もなく、どんな欲望もなく、どんな目的地も持っていない。面倒なことはすべて、存在に明け渡してしまった。今や永遠の子宮を手にいれたのだ。光明を得た人が、完全なくつろぎのうちに生き、かつ死ぬことができるのはそのためだ。もはや生も死も何の違いもない。彼は永遠の一部、宇宙そのものの一部になる。

だから、沈黙のうちに境界線に近づくときには、心配することはない。「沈黙の内にある」ことがその保証だ。沈黙の中では、そこから墜落するようなところに行くことはあり得ない。沈黙の中で人が近づいて行くのは、そこからは超越しか起こらないような地点だ。

人のマインドが苦悩と不安であまりにも一杯になっているときには、その人は、そこから墜落が起こり得るような境界線に近づいている。だから、これを判断基準として覚えておかなければならない。 思考で一杯になっていればいるほど、それだけ狂気に近づいているということ――あと一歩の瀬戸際にいるのだということをだ。

◎神秘家の道 P36〜39

(質問)(長いので前半省略)・・・。〈生〉は私が望むどんなものでも与えてくれます。あなたを通じて、本当にいろいろなやり方で贈りものが降り注いできて、おとぎ話がずっと続いているようです。〈生〉が物憂く過ぎ去って行く中で、私は次から次へと楽しみに出会います。この状況があまりにも楽でうれしくて、光明を得ることへの欲望など、はるか彼方に見えるのです。どうかコメントして下さい。

(和尚)光明への願いがはるか彼方に見えるのはいいことだ。なぜなら、光明を得たいという願いこそが、達成における最大の障害だからだ。それは真理を求める者にとって永遠の疑問のひとつだ。導師は一方では「光明を達成せよ」と言い続け、もう一方では、「それを欲してはいけない」と言い続ける。だが、かわいそうな弟子にとっては、これは大いなる謎だった。師はふたつのことを言っている、それを欲せよ、そしてそれを欲してはいけないと。それこそが、唯一欲すべきものだからそれを欲せよと。その欲望が障害になるが故に、それを欲してはいけない、と。
 
みんなを当惑させないために、私の働きかけ方は違っている。話をしていようといまいと、ただみんなと一緒にいることで、ただ自分のハートのすべてをみんなに与え、みんながそこで光明の何らかの味わいが得られるような状況を創り出すことで……。光明を得ることの、そのわずかの味わいでさえ、あなた方がこの瞬間、今ここにとどまるには充分だろう。あなた方は、光明を得ることも含めて、あらゆる欲望を忘れる。
 
もしあまりにも至福に満ち、あまりにも満足しているために、一瞬、心の中にどんな欲望もないような状況が創り出されるとしたら、あなた方は大いなる教訓を学んだことになる。この無欲の状態がずっと続いたら、光明を得ることなど、気にする必要はないのだと――。それは、むこうからやって来るだろう。こちらがそこへ行かねばならないことはない。それはどこかで待ちかまえている対象物ではない。こちらがそれを願い、見つけ出し、懸命に働きかけ、そこまで行かなければならないような――。それは単に、欲望がないときのあなた方自身の状態なのだ。
 
この無欲こそ、最も至福に満ちた状態だ。そして光明とは、それを表わすもうひとつの名前だ。一瞬でもそれを知れば、それで充分だ。なぜなら、ふたつの瞬間を同時に与えられることは決してないからだ。常に一瞬だ。そしてもしこの秘密を、この瞬間を変容する錬金術を知れば、人は〈生〉を変容する秘密のすべてを知る。なぜなら、次の瞬間もまた同じ瞬間だからだ。それまでと同じことを、新しい瞬間にもすればいい。無欲の中にとどまり続ければいい。

私の臨在の許にいれば……私はそれをみんなのマインドの中にある混乱や当惑を避けるための手段として使っている。私はその味わいを与えることができる。そうすれば、今度はその味わいがみんなの面倒を見てくれる。初めは光明を求める願望はとてもかけ離れて見えるかもしれない。やがて自分がその中にいることで、そんなものはすべて忘れてしまう。それは自分の内なるものになる。そして確かに最初は、それは美しい夢のように見える。私たちは現実とその醜さに慣れているからだ。私たちは夢の中でしか美というものを知らない。
 
だからこういうことが起こればいつでも、自分がはっきりと目覚めているときでさえ、それはまるで夢のように感じられる。現実がこれほど慈しみに満ち、これほど途方もなく美しく、これほど崇高なものであるはずがない、と。現実にはこんな魔法はあり得ないと。だが、言って聞かせよう。実在はどんな夢より、いっそう魅力的だ。それはどんな夢より美しい。それは、この世の最もすぐれた詩よりもさらに詩的だ。
 
私たちが知っている現実は、本当の現実ではない。それは現実の上にマインド自体を投影する、醜いマインドを通して見た現実だ。私たちは現にあるものを見ていない。私たちが見ているのは常に、自分自身の偏見、考え、思考のすべてによってゆがめられている。しかもそれさえも、私たちは走りながらしか見ていない。私たちは決してくつろがない。私たちは、自分かどこへ向かっているのかも知らずに、いつも常に走り回っている。まるで何か失くし、あらゆるところで手当たり次第に見つけようとしているかのようだ。そして私たちは、それをどこにも見つけられない。なぜなら、いつでもこの思考が常に私たちと実在の間にあり、実在をゆがめているからだ。
 
私の臨在のもとで受容的であるなら、愛に満ちているなら、その思考は一瞬、離れる――それは離れざるを得ない。思考よりも重要なことが起こっている。それが、愛だ。人は自分自身さえ犠牲にできる――信頼の中で、人は思考を犠牲にする。そしてその思考が脇におかれた瞬間、人は実在を直に見る。と、それは実に美しい、名状し難いほどに美しい。そしてそういう瞬間、人はまちがいなく、自分が光明を得ることなど望んですらいないと感じる。もしこの現実が永遠に続くものなら、光明はこの上何を与えることができるだろう。

その通りだ。なぜなら、これこそが光明の始まりだからだ。まさに一瞥(いちべつ)を得た。そしてその一瞥でさえ、光明を求める欲望を捨てさせる――すると、その欲望を落とすことが、光明が起こることを容易にする、それはただ起こる。ある日突然、朝、目覚めてみれば、自分はもう同じ人間ではない。すると自らの変化とともに、全存在が変化している。そうなれば、それを保つために何かをするという問題ではない。それは白分のもとにとどまる。

実際は、たとえ捨てようと思ったところで、それを捨てることはできない。もう後戻りはできない。前進できるだけだ。そしてある日、自分の〈生〉に光明というものが、自分にとってはあまりに自然なもの−―まるで呼吸のような、まるで心臓の鼓動のような、自らの血管をかけめぐる血液のような――自分が感じることもできないような、自然なものになるときが訪れる。血液は足の先から頭まで全身を非常な速さでかけ巡っているのだが、私たちはそれを感じることはない。それとともに生まれ、それに慣れているからだ。

光明が単なる自然の現象になったとき、最後の神秘がその扉を開く。人は光明をも越えて行く。光明を越えて行くとは、人がただの当たり前に、この広大な宇宙の一部になることだ――何を要求することもなく、どんな優越性もなく、少しのエゴもなく。人はただ、朝日に照らされて蓮の葉から海に落ちる朝露のように、実在の海に融け込むだけだ。それが最後だ……。そうなればもう何も起こることはない。人は海になる。

光明にはまだ、自分の中の何かが残っている……きわめてかすかにではあるが、まだ「自分」という何らかの思いがある。また光明のゆえに、知らず知らずに、優越感を抱く。だからこそ、最後の一歩がある。そのほんのわずかな「自分」さえ解体するとき……今や人は、優れてもいなければ劣ってもいない。自分はいない。存在がある。仏陀はそれを涅槃(ねはん)と呼ぶ。仏陀はそれを表わす最適な言葉を選んだ。

http://blog.goo.ne.jp/flatheat

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事