徹底検索、堀進

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あの世

死後の先輩たちは光り輝く天使にもなっていないし、呪われた小悪魔にもなっていない。人相や容貌だけでなく、強さも弱さも、賢さも愚かさも、たずさえた生前のその人のままである。コナン・ドイル、なわ

人が死ぬと、その魂は、目の前に横たわっている死体とは別に、まったく同じ姿をした光り輝く肉体をまとっていることに気づいてびっくりする。ただし、この肉体は、物質からできているものではないらしい。家具や壁はもちろん、山のなかでさえ、何の抵抗もなく通り抜けてしまう。どこかへ移動しようと考えると、一瞬のうちにそこへ行ってしまう。知覚がひじょうに明晰になり、感覚はより鋭く、完璧になっていて、より自由な行動ができるようになっている。なわ

あの世では、思ったことがすぐに具体的な形になって現れる。悪い人は悪い事を想像するから、おどろおどろした所になる。思えば何でも創れるが、霊魂だけは創れない。なわ

あの世で安楽に暮らすための方法とは何か。少しでも上の階層に行くこと。ひと言で言えば、人の喜ぶことをしてやる、人の喜ばないことをしない、というのが大原則である。子供のような人間、ひとにだまされやすい人間が、あの世ではいちばん好まれるのである。この世の地位、財産や学歴が無い者ほど好まれる。丹波哲郎、なわ

転生している時より霊界にいる時の方が、現実をずっと良く自覚しているのだ。一種の混乱期を経るとは言え、魂は霊界で真の生を見い出し、色々な事を自覚するのだ。霊界は君たちの世界以上に実体のあるところ。君たちの世界というものは、霊界の実像が歪められて投影されたものに過ぎないのだ。ギリェム

霊界では太陽は動かず、天の一点に留まっており、その明るさには変化がない。地上のような四季もない。霊界では空間の感覚もない。どんな遠くでも思っただけで瞬時に移動できるし、意識も瞬時に通じ合える。なわ

死後の世界は何をやっても自由だが、だんだんと自分を縛っていた欲望が薄れていく。食べなくても生きていけるので食べることが少なくなる。替って出てくるのが霊性を高めたい成長したいという意欲。

死後の世界の生活のパターンは地上生活とよく似ています。違うところといえば、地上生活は地球の自転をはじめとする環境の力によって制約されますが、こちらでは当人の精神的欲求によって決まるという点です。

人間でいたとき、社交界の花形だとか、自分が善く思われようとばかり思っていた人は、霊の世界では悪霊となる。その霊の本質がそのまま現れる。名声が欲しいために慈善家になっているような人も悪霊。アセンションしたいために善人ぶっている人も悪霊。なわ、大摩邇

霊の世界は、その人間のもっとも内部にある本質が明らかにされる。だから、人間だったときの外面は、霊界ではまったく役に立たない。それをもっとも典型的に示す例は、学者だった者などの外面的知識とか、宗教家たちの偽の信仰などが、霊界でまるで役に立たなくなるケースである。なわ、大摩邇

「赤ん坊は無垢なのだから、死後、すぐ最上の天国に招き入れられるのか」これに対し、その霊は答えた。「彼らは無垢とはいえ、それは悪に接する機会や、悪を自分で発揮する機会がなかったということにすぎない。だから、それだけでは最上の天国に入る資格はない」なわ、大摩邇

地獄の霊は、人間のときの悪業に対する刑罰として地獄に落とされ、そこで刑罰を受けているわけではない。地獄の霊は、地獄が自分に合っているがゆえに、自分で自由に地獄を選んでそこに行くということだ。なわ、大摩邇

死んだ人間は、死後の第1状態から第2、第3状態への変化を経験しつつ、本物の霊になっていく。この変化は、霊界における一時的な居留地である精霊界で行なわれる。第3状態に進めば、はじめて本物の霊になるわけだが、その前の第1、第2状態では、まだ人間と霊の中間の存在に留まっている。なわ

幽界は、地上で蒔いた種が芽を出すところでもある。疑い深い人、自殺者、発狂者などは、幽界でも人里離れたうす暗い谷間のような場所に住む。地獄的な心を持っていれば、地獄のような世界が現われる。これに対し、天界的な心を持っていれば天界のような世界が現われる。なわ、大摩邇

現界が物質分子でできているように、幽界の自然や事物は、幽質分子で構成されている。幽体をもって幽界の大地を歩けば、肉体をもって現界の大地を歩くのと同じ感じがする。空行く雲、流れる水、野辺の花、森の木、すべては現界と変わりがない。なわ、大摩邇

この世は物質の世界である。この物質界に比べて、見えない死後の世界・幽界は物質になりきらない半分だけの物質(これを半物質、または霊物質という)の世界である。霊魂も幽体もオーラなども半物質である。なわ、大摩邇

木内鶴彦さんは死亡後に幽体離脱し、1000年前の四国へ行き、当時の人の体を借りて、土佐神社の神木に「つる」というひらがなを書きつけた。生き返った木内さんは土佐神社の神木に「つる」の字を発見した。新科学と健康と雑学

死んだら、大ていの人は目が醒めると大人の人に連れられて、地上と同じ家のたくさんあるところへ行くのです。いま家があると言ったけど、本当は無いんです。でも地上の家と同じように、そこに住むことが出来るんです。
あたしが心の中で家のことを考えるとそこに家が出来るんです。あたしたちのお友だち同士が子供に見えるのも、お互いが心の中に子供のイメージを画いているからなのです。おばさんたちだって、お互いが子供の気持になって付き合ったら、次第に子供に見えてくるはずよ」
あたしの身体は地上の人が固いと言ってるもので出来ているのではありません。空気よりもずっと軽くてキメの細かいもので出来ています。その身体には自分が思う通りの形や色を付けることが出来ます。大摩邇

幽界は、物質界とは比べられないほど自由です。思念すれば、すぐ具象化するという世界ですが、それでも理想からは甚だ遠く、とりとめのない空想や、激しい感情により、ねじまげられた異象が、さかんに出没する境地らしいのです。大摩邇

死後の世界の記憶があることで唯一良いということがあったとすると「死ぬことは怖くない」ことだそうです。死んだ後で戻った世界を覚えており、あの穏やかな所に戻れるなら死ぬことは怖くない、と言うのです。だからと言って死に急ぐことはないと言うのです。池川明、船井

死者の精神は、他界直後はしばらく睡眠状態に陥るのが通例である。あっという間に死んだ場合など、怨みや憎悪といった激しい感情を抱いたままに死んだ場合には、その感情が邪魔をして眠れず、したがって霊的感覚も芽生えないので、いつまでも地上的波動の中でさまようことになる。=自縛霊。なわ

死んだら、中間境での調整期間中に、本人の気づかないうちに、霊眼でも見えない霊によって、さまざまな霊波によって癒やされている。罰を与えるのは悪魔でもなく神でもない。神の使いでもない。罪そのものの中に罰が蔵されており、それが良心の呵責となって自覚されるのだという。なわ

幽界では、地獄的な心を持っていれば、地獄のような世界が現われる。これに対し、天界的な心を持っていれば天界のような世界が現われる。地獄的な心は他人は不幸しても、自分だけは利益を得たいという利己的な心。天界的な心は他人の幸福を見て喜ぶ利他的な心。なわ

死後の世界。あたしが心の中で家のことを考えるとそこに家が出来る。子供の気持ちになっていると子供になる。あたしの体は空気よりもずっと軽くてキメの細かいもので出来ています。来たばかりの人にはそんなことは出来ません。心の使い方がわからないからです。人以外は全て作れる。なわ

あの世では学歴は無いほうが好まれる。地位や財産が無かった人のほうが好まれる。人にだまされやすい人のほうが好まれる。そして、あの世では人が喜ぶことをすることだ。丹波哲郎の死者の書、大摩邇

肉体を棄てたあとにおいても、彼は往々にして地上生活の根本的性質の実性を悟ることができないで、愚かにも生前の空しい夢にあこがれる。その結果、これらの霊魂が帰幽後において逢着するものは、だいたい地上生活そのままの光景である。永遠の大道、なわ

霊の世界では思念が具体化するようである。それで“物”が存在するように思える。進化するとその一種の創造力が別の形で活用されることになる。なわ

金日成は意識の世界(死後の世界)ではかなり責められているようです。金正日も責められることでしょう。現世で崇められる存在になると、死後は悲惨であるようです。ひふみ神示、日月神示☆そして、来世は前世と正反対の立場になって、凶暴な国の奴隷的存在になることでしょう。

死後の世界は現世とあまり変わらない世界だが、欲望を満たすことをやめようと思えばやめられる。食べることをやめようと思えばやめても生きていける。そして、向上しようと思う意欲ができてきて、何かを学び始める。http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse1002-1.html

霊界における年の取り方は、たとえば70歳で死んだとすると、人間界とは逆にだんだん若返っていき、「20歳」までさかのぼると、そこで年齢がストップする。また、幼くして死んだとすると、これはだんだん成長していって、やはり「20歳」でストップすることになるのだ。http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/osanami-toshie.html

死後の世界では、似た者同士が集まり異質の者は反撥し合う。かくして美しい界層はますます美しくなり、醜い界層はますます醜くなっていく。そして邪心に満ちた者ばかりが集まってその邪心をむき出しにし合いながら生活している。そこを地獄という。http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/browse0911-2.html#30

人間が肉体の衣を脱いで“心と魂”があの世へ行くと、心を肉体とした霊人になるのです。心も魂も霊界ではこの世の肉体と同じく形のある“身体”なのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/apocalypse-bbs1107.html

“死”は1つの部屋から別の部屋へ移る通路でしかありません。2つの部屋は装飾も家具の配置も非常によく似通っています。そこが大事な点です。皆さんにもぜひ理解していただきたいことです。この世もあの世も、同じ神の支配下にあるのです。同じ神が、全界層を経綸しておられるのです。

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