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知っとうや歴史

私がご紹介する歴史の真実は、それが事実であったとしたら、皆さんの歴史観が一変する驚愕の内容なはずです。もちろん、細かい点は別として、大まかにはこの内容が真実だと判断して書いています。全て現地調査とインスピレーションからです。私が、考えて書けるはずがありません。すべて、波動、霊性が高まったのたまものなのです。内容を信じられるかどうかは、皆さんの波動によるのです。知っとうや

増上慢とは、仏教でいまだ悟りを得ていないのに得たと思念して高ぶった慢心のこと。
阿修羅とは、悪神とされて、常にインドラ神と争う悪魔・鬼神とされた。

人類は猿から進化したものと洗脳され、現実世界を生きています。そういう人間も、寿命を全うし魂状態に戻った時に、初めて地球の歴史の全てを見せられ、「はっ!」として後悔するそうです。知っとうや


4000年くらい前のことだと思います。増上慢が大暴れし、阿修羅界が乗っ取られます。そこで、天は、地球を統括するトップとして、天津神が三位一体となった饒速日尊を、宇宙船(天の磐船)で地上に降臨させ、地上を統治させました。これが約3500年前のことなのです。饒速日尊(にぎはやひのみこと)が天皇の祖にあたる所以です。現在の佐賀市大和町付近に初の朝廷を開いたのです。知っとうや

古墳とされていない、各地にある小山なども、古墳であることが多いのです。そういう小山の周りには、小さな祠(ほこら)などが祀られています。神代の古墳は、当時活躍していた神々(天界の存在)の死後、それらの神々崇めるため、大きな墳墓を造り祀った。


イエスキリストは日本人。伊勢神宮内宮の天照大御神も実はイエスを祀っている。イエスは日本人であり、神道の最高神であり、かつ皇祖神であるとなったら、世界の常識がひっくりかえるから隠している。豊受大神=外宮とは、イエスの代わりに処刑されたイスキリの魂を祀ったもの。知っとうや


現在の筑紫地区(福岡県筑前町から朝倉市辺り)に、最初の都(佐賀大和朝廷以前の都)ができたようなのです。邪馬台国は3世紀頃の話です。それよりもはるか二千年以上前に、日本列島の最初の都が造られたのが筑紫地区なのです。
増上慢を中心とした阿修羅に侵略され廃墟となってしまいます。次に神々は、隣の佐賀大和に都を造ります。これが饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)の時代です。しかし、これも侵略され廃墟になります。
それから数百年後、上代になった際に、天香具山命(後の神武天皇)が、奈良の大和に都を移します。
邪馬台国は、3世紀に卑弥呼(後の神功皇后)を中心に造られた、神代の都を復活させられた筑紫の国です。その後、4世紀になり、卑弥呼が神功皇后になって全国行脚した際、奈良大和の都を復活させたのです。知っとうや


これまで、神武天皇や崇神天皇、継体天皇、安閑天皇、明治天皇などは、本物の天皇が殺される等して、すり替えられ、侵略されてきたことを書いてきました。天皇以外でも、歴史上の為政者の多くはすり替えられているようです。平清盛、源頼朝、足利尊氏、そして以前、記事にした徳川家康。これらも増上慢がすり替わったものです。知っとうや

神功皇后の時代以降、日本は、朝鮮半島を阿修羅から救うため援軍を送ってきました。天智天皇の時代の白村江の戦いもそうです。豊臣秀吉の時代の朝鮮出兵も、実は阿修羅と戦っていたのです。幕末から明治初期にかけても、阿修羅との間で朝鮮半島を巡る攻防が続いていたのです。知っとうや


何故、平氏と源氏が対立するようになったかと言えば、背後には全て阿修羅がいて。正神界VS阿修羅界(邪神界)の代理戦争だったのです。他の改竄された歴史も全てそうなのです。阿修羅は、一般大衆に対しては憑依・ウォークインによって、また時の権力者等に対しては、すり替えという手法によって、朝廷を支配しようとしてきたのです。人類中心の文明が始まった神武天皇の頃からずっとです。知っとうや

義経は覚醒しており、神レベルの身体能力、神通力を持っていました。壇ノ浦の戦いでの八艘跳びなどです。
義経をかくまった奥州藤原氏を巻き込んだ戦いとなり、二年後の1187年には義経は自刃し、奥州藤原氏も頼朝に敗れたことになっています。
義経は、源義経という人間を死んだことにし、別人にすり替わったのです。
源義経のままではミッションをやり遂げることが難しくなり、仏教家、親鸞に転身したのです。知っとうや

最澄が法然に生まれ変わり、空海が親鸞(源義経)に生まれ変わっているのです。
偽親鸞。皆さんが、よく知る肖像画の親鸞こそ、増上慢(阿修羅トップ)がすり替わったものなのです。法然の死後、親鸞は消息不明となり、帰京した際には増上慢がすり替わっていたのです。
偽親鸞の死後、法然や本物の親鸞が広めようとしていた浄土宗とは異なる教義の浄土真宗が誕生し、今日まで大きな影響を与えてきている。浄土真宗とは阿修羅の宗教なのです。知っとうや

本物の親鸞は、偽親鸞が暗躍しだした中で、再起するタイミングを待つため、ひっそりと活動し、全国行脚しながら結界を解いていたのです。1215〜1250年くらいの間のことだと推測します。
日蓮は法然の魂の生まれ変わりなのです。法然時代、阿修羅に誘導された無念を晴らすために、天の采配で生まれ変わったのです。法然から生まれ変わった日蓮は、法然と親鸞が阿修羅の罠に嵌ってしまい、偽親鸞が登場し、本来の二人が意図していた教えとは異なる専修念仏が広まったことを正そうとしたのです。
当然、阿修羅は、邪魔者の日蓮を排斥しようとします。それらの一連の流れが、1260年から始まる松葉ケ谷法難に始まる、日蓮の数回に渡る苦難なのです。
ところが、この間、日蓮はどうも命を落としたようなのです。1262年頃のことだと思います。そこで、天は、後釜の日蓮を用意したのです。それが、源義経がすり替わった親鸞だったのです。驚愕でしょう!親鸞は1262年に亡くなったことになっていますが、義経はこの年に親鸞を捨て、二代目日蓮にすり替わったのです。
二代目日蓮のクライマックスが、元寇の神風です。この神風は二代目日蓮が法力によって起こしたものなのです。
千葉県の清澄寺を中心に活躍したのが初代日蓮、人生後半の山梨県久遠寺を中心に活躍したのが二代目日蓮です。二人合わせて真の日蓮なのです。知っとうや


平安時代、鳥羽上皇の時代。九尾の狐の霊が、藤原得子という女性(玉藻の前)に乗り移つり、鳥羽上皇に寵愛されるようになる。そして、本后を追いやり后にまで上り詰める。それ以降、鳥羽上皇は独裁的な政治が目立つようになり、崇徳天皇に譲位を迫るなどし、朝廷は混乱し保元の乱へ繋がる。
鳥羽上皇崩御後、崇徳上皇を初めとした朝廷は、藤原得子の正体を暴くため、陰陽師、安倍泰成(安倍晴明の後裔)に依頼。藤原得子は九尾の狐に憑りつかれていることが発覚。安倍泰成の真言によって藤原得子の憑依が解かれ、九尾の狐が姿を現す。九尾の狐は、霊体となった後も憑依等によって悪事を働くが、安倍泰成によって、とうとう那須で殺生石にされてしまう。
殺生石になった九尾の狐は、その後も毒ガスを放出して、付近を通りがかった人や付近の家畜に被害を与え続けた。そこで、1385年源翁心昭(げんのしんしょう)という僧によって殺生石は砕かれ、その際、那須を中心に九つに分かれて各地へ飛散してしまった。
九尾の狐を完全に封印するには、当然、その呪いを解く必要がありました。そこで、今年4月までに、私が全ての殺生石の邪気(呪い)を祓いました。知っとうや

これまで、神武天皇や崇神天皇、継体天皇、安閑天皇、明治天皇などは、本物の天皇が殺される等して、すり替えられ、侵略されてきたことを書いてきました。天皇以外でも、歴史上の為政者の多くはすり替えられているようです。平清盛、源頼朝、足利尊氏、そして以前、記事にした徳川家康。これらも増上慢がすり替わったものです。知っとうや

岡崎城主の松平元康は、戦の過程で、増上慢世良田二郎三郎元信にすり替えられてしまい、すり替わった偽元康が後に改名し、徳川家康となって天下を取ったのです。一方のすり替えられた元康は、滝川一益となって阿修羅系織田信長の家臣と成りすまし、明智光秀とともに本能寺の変を計画します。
本能寺の変は明智光秀ではなく、ウォークインされた秀吉、偽家康の家臣である阿修羅達によって実行され、織田信長(偽物、詳細は後述)は殺害され、元康と光秀の計画は失敗したのです。
偽信長は、1560年、本物の信長と元康の育て親である今川義元を、桶狭間の戦いで討ちます。この頃、元康も増上慢によってすり替えられます。
本物の信長は、命からがら逃げ延び、立場を奪われてしまったために別人になりすまします。それが、木下藤吉郎という人物、豊臣秀吉です。知っとうや

将軍家光が途中で赤面疱疹という疫病により亡くなったこと、その娘が家光にすり替わったこと、大奥が女性から男性に変わったことは、歴史的事実のようなのです。少なくとも第3代将軍家光から第5代将軍綱吉までは女性で間違いなさそうです。知っとうや
当時、赤面疱疹が流行り、たくさんの若い男性がこの病気に罹って亡くなっていったようです。その結果、家光が亡くなった頃には、江戸の男性の人口は女性の1/4になってしまったそうです。
家光は正妻(御台所:鷹司孝子)と不仲だったため、世継ぎができない状況だったようです。そこで、家光の世継ぎを作るために、家光の乳母として有名な春日局が、家光好みの女性を二条城内に集めたのが『大奥』です。大奥からは、お万(永光院)の方やお玉(桂昌院)など、8人の家光の側室が誕生しています。知っとうや






すり替えられたのは、明治天皇だけではありません。維新の英傑、大久保利通、桂小五郎、坂本龍馬、岩倉具視、大村益次郎、副島種臣、大熊重信など、多くの為政者が1867年後半から1870年頃にかけてすり替えられていったのです。知っとうや

西郷隆盛は少なくとも4人が存在し、西南戦争終結時に大連に逃げ延びた。西南戦争を逃げ延びた西郷隆盛(川崎尚之助)は、大連経由で李氏朝鮮に入ります。この時に、一緒に連れて行ったのが、大河ドラマ八重の桜の主人公山本八重(後の新島八重)なのです。山本八重は西郷(川崎尚之助)とともに李氏朝鮮に渡るため、別人に山本八重にすり替わってもらったのです。その別人の山本八重が、後に新島八重となったのです。
西郷と八重が日本から逃れて朝鮮半島に現れます。そして、天の采配で高宋と閔妃にすり替わり、李氏朝鮮を阿修羅の手から取り戻そうとします。閔妃は1895年10月に暗殺されることになりますが、これはすり替わった山本八重ではありません。閔妃にすり替わっていた山本八重は、暗殺を逃れ、秘密裡に帰国し、なんと晩年の勝海舟にすり替わるのです。知っとうや

明治維新の主要な立役者は、西郷隆盛を除き、ほとんどが阿修羅幹部によってすり替えられ、その結果、日本は間違った方向へ導かれたのです。すり替えられたのは、明治天皇、三条実実、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、大熊重信、伊藤博文などです。西郷隆盛もすり替えられそうになったのですが、何とか逃れ、最後まで抵抗したのです。それが西南戦争に繋がったのです。
西南戦争勃発の原因は、西郷らが征韓論を唱え、それに反対する岩倉具視、大久保利通らと徐々に溝が深まっていき、西郷が新政府に反乱したからだとされています。実は、これは全くの捏造で、歴史は改竄されているのです。西郷は、明治天皇を初めとした阿修羅に乗っ取られた日本政府を、少しでもいい方向に持っていこうとしていたのです。
このような阿修羅による為政者のすり替わりは、明治維新だけでなく、それ以前も頻繁に行われてきました。現在の正史とされている歴史は、ほとんどすべて勝者(阿修羅)による改竄の歴史なのです。知っとうや

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