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この一年・・・
4月に父が大腿骨を骨折してから、11月30日に老衰で亡くなるまで、
毎日が父と母の為にありました。
入院で急速に認知症が進んでいった父。
何を、どう言い聞かせても、
理解し記憶する能力を失っていく父には通じず、
私のスケジュールはそのたびに変更をしなければならず、
いつまで続くのだろうかと
誰にも愚痴ることができずに・・・。
同じように老人介護をしている友人に
頻繁に手紙を書いて愚痴り、
彼女の返信を読んで、自分だけではないと言い聞かせ・・・。
父の最期は、想定していたそれとは違い、
これが人の死なのだと傍観している自分を感じ。
父が逝って丸一か月。
「今迄みたいに来なくてもいいから」と言っていたはずの母が、
やっぱり今までと同じように訪問することを要求してくる。
母も、軽度ではあるものの、認知症が確実に進んでいる。
そして、いずれはこの≪老い≫が、自分にも来るのだと考えさせられ・・・。
結論
≪人間は、老いから逃れることはできない≫
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11月30日、父が亡くなりました。
この一週間、殆ど何も食べなくなり、
「年は越せないだろうなぁ」と
覚悟はしていたのですが、
いざその時を迎えると、
やはりショックでした。
葬儀の準備で慌ただしくしていますが、
母の顔がどんどん老いて行って、
60年も連れ添った伴侶の死は
いかにショックだったかがわかります。
準備していたクリスマスカードは、
今年はそのままお蔵入りですね。
もちろん、お年賀も、今年はお休み。
ほぼ毎日、老人ホームに通って
父の相手をしてきたけど、
母は、自分だけになったら、毎日は来なくてもいいと言います。
そういう訳にもいかないでしょう。
今度は、母の『老い』と対峙していく・・・。
もう、涙は出ません。
今度は、母を守っていきます。
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今年も、明日でおしまい。
義母が亡くなってから、
ダンナは30日から実家に泊まって、
義父と新年を迎えている。
今日も、向こうにダンナを置いてきた。
明日は、子どもたちも行く予定。
私は、犬たちがいるので、
お泊りは、無し。
いつになく
あっという間の1年だった。
何があったという訳ではないんだけど、
まさに、風が吹き抜けるように
過ぎた感じがする。
施設に入れた両親から
振り回された日々だった。
ほぼ毎日、出勤簿が欲しくなるようなペースで
せっせと通った。
私の都合を考えない呼び出しに、
両親の「老い」を感じるようになった。
『親孝行な、いい子チャン』は、
そういつまでも続くものではない。 私のどこかが、悲鳴を上げている。
来年は、何かが起こりそうな気がする。
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この8月で、ムスコとムスメは無事に誕生日を迎えた。
息子の発達障がいがわかった時、
この子は自分の力で生活できるようになるんだろうか?と
そればかりが心配だった。
ところがどっこい、
必要に迫られて自動車の免許を取得し、
マイカーでの通勤。
時折、どこかに遠征してみたり、
私の代わりに車を出してくれたり。
車の経費も、最近は衣類も、
自分の収入で賄っている。
諭吉さん一人ではあるが、
食費として家計に入れてもいる。
小3で生死の境をさまよったムスメ、
完治することのない病気ではあるが、
完治と言ってもいいくらいの「寛解」で、
服薬がある以外は
何の制限もなく過ごしている。
4月から就職したパティシエは、
見ていると、結構肉体労働。
それでも音を上げることなく続いている。
この子も車を買ったが、
手持ちでは足りない分を親(私たち)から借り、
毎月きちんと返済している。
それぞれ、ハンディが発覚した時点では
将来のことを悩んだのだが、
人間とは、生命力の塊なのだろう。
この先、高確率で、
親の方が先に居なくなるのだが、
この子たちならきっと、
何とか生きていけるんじゃないかなと思っている。
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ムスメ、無事に入社式を終えました。
只今、社内研修中。
お辞儀の仕方
、挨拶の発声法
、歩き方
、ムスメは厨房で採用になったはずなのに、
一般職と同じ内容での研修です。
クタクタになって帰宅してからでは
大好きなお菓子を作って発散させることもできず
、欲求不満のカタマリです。
一般組は、三か月間の研修。
厨房組は、即戦力になってもらわないと困るとのことで、
研修は三週間だけ。
それでも、
今まで2年間、毎日学校で厨房に入っていたムスメには
長過ぎる期間みたい。
「もぉ〜だめ
」「もぉ〜〜〜いやだ
」聞く方が、嫌だよ。
あと二週間頑張れば、
憧れの(バイトしてたけど)厨房だ
![]() ガンバレ、ムスメ
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