教室、入らなきゃダメ?

もう、教室じゃないぞ。職場だぞ!!

ムスメのこと

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スタートしました

ムスメ、無事に入社式を終えました。
只今、社内研修中。
お辞儀の仕方
挨拶の発声法
歩き方
ムスメは厨房で採用になったはずなのに、
一般職と同じ内容での研修です。
クタクタになって帰宅してからでは
大好きなお菓子を作って発散させることもできず
欲求不満のカタマリです。

一般組は、三か月間の研修。
厨房組は、即戦力になってもらわないと困るとのことで、
研修は三週間だけ。
それでも、
今まで2年間、毎日学校で厨房に入っていたムスメには
長過ぎる期間みたい。

「もぉ〜だめ
「もぉ〜〜〜いやだ

聞く方が、嫌だよ。

あと二週間頑張れば、
憧れの(バイトしてたけど)厨房だ
ガンバレ、ムスメ



保護者会・・・?

ムスメの就職先が無事に内定し、
喜んだのが、1月6日。
内定先から「保護者様、親展」などという封書が届いたのが
1月10日。
 
早くも内定取り消しかと、ドキドキしながら開封すると、

「就職内定者の保護者懇談会」

の、ご案内。
期日、2月5日。

行ってきました。
企業の説明DVDを視聴して、
施設見学をして、
質疑応答(質問が出なかったけど)をして、
お昼ご飯を戴いてきました。

子どもたち(といっても、大卒・専門学校卒だと、もう殆ど成人してる)が
4月1日に入社式を迎えてから
順調に社会人として歩き出すには、
保護者の協力が必要不可欠と考え、今年から始めたそうです。

入社式まで、あと2か月弱・・・。
あっという間に過ぎちゃうだろうなぁ。
もしかしたら、入社半年後とかに、
「ご家庭での様子を教えてください」なんて封書が
届いたりして・・・。

同期生が、欠けることなく
社会人生活を送れるといいな。


ムスメの就職が、ようやく内定しました

念願かなって、パティシエの卵の誕生です。

仕事で運転もしなきゃいけないようなので、

ムスメ用の車を購入。

最近は、昔のような“中古車”の広告が
あまり入ってこないので、

高いのを承知で、“軽の新古車”の専門店へ。

車体価格+何やらかにやらで、ケタの額になっちゃいました。
(それでも、新車で購入するよりは、いくらか安いです)

雪が一段落する、2月の半ばに納車。

それから毎朝、近所のお役所の駐車場で練習して・・・

ペーパードライバーで一年半。

車の感覚なんて、すっかり忘れてるんだろうな。

精神安定剤を服用してから助手席に座らないと。

子育て卒業も、もうまじかです。




帰宅難民

1月18日(月)・・・
朝はチラチラだった雪が、
次第に勢いを増して降り続け・・・
一日中止むことなく・・・

高速山形道、吹雪のために通行止め
自動的に、高速バスも全面運休

仙山線、雪のためにストップ

国道48号線も、ストップ(のちに開通)

ムスメは、仙台の学校から
帰宅できなくなりました。

学校では、
「山形から来ている子は、すぐに下校」
と言われたそうですが、
そのときすでに、帰宅手段は絶たれており・・・
一足先に情報を得ていた母(私)は
「至急ホテルを探せ」と3時半で指示。
駅もバス停もダメだと確認したムスメ、
急いでホテルに飛び込み、
有り金はたいて泊まれるところを探しました。

最初に入ったところは、
シングルがすでに埋まっていて
ツイン(らしい)部屋の料金を言われ、
物事を知らないムスメが財布を開けて持ち金を確認しようとしたら、
フロントのお姉さんが
「メンバーカードを作って、系列のホテルなら、
 5,000円位で泊まれるから。」
と教えてくれて、電話で空きを確認し、
予約まで入れてくれたとのこと。
場所を教えてもらい、
溶けかかった雪でびしゃびしゃの道を歩いて
ようやくそのホテルを探し当て
(教えてもらったけどよくわからず、一度戻って確認した)
チェックインして、
「落ち着いたところ」
と連絡をしてきました。
※ブーツはすっかり濡れてしまい、
 エアコンで室内を暖めたところで乾きそうにない、
 明日は、どうしようか・・・
※スマホの充電が切れそうだ
※お腹が空いた(もちろん、素泊まり料金なので)
一つ一つ電話をよこし、
その度にできるだけ通話を引き伸ばし
初めての、しかも、緊急事態での
一人でのホテルお泊りで、不安なのが伝わってくる。
※ブーツは、バスルームにタオルがあるはずだから、
 申し訳ないけどそれを突っ込んでおくこと
※充電器は、ロビーかフロントにあると思うから、行ってみる
※残金を確認の上、近くのコンビニで、食糧調達

とどめは、
「顔を洗いたいけど、化粧水がない!」
これは、どうしようもない。
(後でロビーに行ったついでに、アメニティが置いてないかを
  確認したけど、髭剃りくらいしかなかったとの報告。)
顔を洗ったら、水で充分にパッティング。

なんだかんだで、一つ一つ電話で確認。
こちらも心配なので、普段以上に丁寧に返答。
何回電話が来たんだか・・・。

朝6時、
「起きたよ。ブーツは、何となくまだ湿ってる。
 ドライヤーで、ガーッとやってみる。」
切り忘れのない様にか、トリガーを引いていないと、
動作しない作りだとか。
8時半ごろ
「学校についた。朝ご飯は、コンビニに寄って調達した。」

なんと、19日にも高速道路が一時通行止め。
(衝突事故や、車両火災などで)
でも、学校が終わるころにはそれも解除され、
無事に帰宅することができました。
もう、財布がすっからかんなので、
もし二日続けて帰宅できなければ、
アパート住いの友達に
「お願い、今日、泊めて。」
と、頼むしかないところ。
まずは、帰れてよかった。





10周年??

昨日は、久々にムスメの通院の日でした。
考えてみたら・・・
ムスメが自己免疫性肝炎を発症したのは
今から10年前の7月25日(月)。
小学校3年生、夏休みの初日でした。
朝は元気に学童保育に行ったのに、
お昼に「発熱したから」とのお迎え要請の連絡があり、
かかりつけの小児科に連れて行ったのは3時(午後の診察開始)。
すでに、黄疸が出ていました。
すぐに県立の病院に紹介状を書いてもらい、
連れて行ったら、即、入院。
それから一週間の間に容体は悪化、
7月31日には、救急車で隣の県の子ども病院に転院。
担当医師の説明を聞きながら、
景色はTVドラマを見ているような・・・。
このまま悪化するようなら、最悪、肝移植も視野にと言われ、
ただ、祈るばかり。
様態が安定するまでは、2週間だったか3週間だったかすら
ハッキリとは覚えていません。
でも、8月下旬の誕生日の時には
個室から4人部屋に移っていて、
りんごで作った誕生ケーキ(脂肪分など、食事制限があったので)を
作ってもらって大喜びしたのは、はっきり覚えています。
病棟の看護師さんたちから、サプライズで
Happy Birthdayと、お祝いしてもらいました。
退院してからも、不登校になったりいろいろありましたが、
ムスメは、服薬は続けているけれど、
日常の生活はなにも制限なく過ごしています。
今は、食事制限を経験したからこその
製菓・調理への興味からでしょうか、
パティシエを目指して頑張っています。
自動車学校にも、夏休みを利用して通っています。

10年前に出会った医師たち・・・
その途中のどなたが欠けても、
ムスメは助かりませんでした。
医療過誤が叫ばれる中、
どなたが自信過剰になっても、
ムスメの命はありませんでした。
自分よりも専門の医師にゆだねようとしてくれた、
開業医のお婆ちゃんドクターと県立病院の小児科のドクター。
バトンを受け継ぎ、考えられる限りの治療をしてくださった、
現在の主治医のドクター。
そのドクターたちをムスメに引き合わせてくださった神様。
感謝以外の何物でもありません。



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