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11月30日、父が亡くなりました。
この一週間、殆ど何も食べなくなり、
「年は越せないだろうなぁ」と
覚悟はしていたのですが、
いざその時を迎えると、
やはりショックでした。
葬儀の準備で慌ただしくしていますが、
母の顔がどんどん老いて行って、
60年も連れ添った伴侶の死は
いかにショックだったかがわかります。
準備していたクリスマスカードは、
今年はそのままお蔵入りですね。
もちろん、お年賀も、今年はお休み。
ほぼ毎日、老人ホームに通って
父の相手をしてきたけど、
母は、自分だけになったら、毎日は来なくてもいいと言います。
そういう訳にもいかないでしょう。
今度は、母の『老い』と対峙していく・・・。
もう、涙は出ません。
今度は、母を守っていきます。
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「人間」の家族
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この8月で、ムスコとムスメは無事に誕生日を迎えた。
息子の発達障がいがわかった時、
この子は自分の力で生活できるようになるんだろうか?と
そればかりが心配だった。
ところがどっこい、
必要に迫られて自動車の免許を取得し、
マイカーでの通勤。
時折、どこかに遠征してみたり、
私の代わりに車を出してくれたり。
車の経費も、最近は衣類も、
自分の収入で賄っている。
諭吉さん一人ではあるが、
食費として家計に入れてもいる。
小3で生死の境をさまよったムスメ、
完治することのない病気ではあるが、
完治と言ってもいいくらいの「寛解」で、
服薬がある以外は
何の制限もなく過ごしている。
4月から就職したパティシエは、
見ていると、結構肉体労働。
それでも音を上げることなく続いている。
この子も車を買ったが、
手持ちでは足りない分を親(私たち)から借り、
毎月きちんと返済している。
それぞれ、ハンディが発覚した時点では
将来のことを悩んだのだが、
人間とは、生命力の塊なのだろう。
この先、高確率で、
親の方が先に居なくなるのだが、
この子たちならきっと、
何とか生きていけるんじゃないかなと思っている。
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両親が老人ホームに入所してから間もなく丸5か月。
母は、多少の不満はありつつも、
手厚い対応に、感謝の日々
。父は・・・
不満だらけの日々
。呆けも、進行している様子
![]() 。物忘れがひどくなり、
教会の方が訪問してくださっても、
「誰か」がわからない
。このままじゃ、呆けは進む一方。
何とかいい手はないものか?
思いついたのが、唯一の趣味の、「囲碁」。
父、実は、有段者
。自宅にいたときは、ご近所の方が
週に一回来てくれていたのだが、
ホームでは、相手をしてくれる方がいなくて、
退屈していた。
そこで・・・
「お父さん、囲碁、教えて
」バックリと、喰いついた
。普通の盤の1/4サイズの盤を使い、
超スーパーど素人が入門。
父、喜んじゃって、
私が行く日は、機嫌がいい。
しかも、打ち方はしっかりしていて、
私に、一生懸命教えようとする。
よし、これで、いくらかでも呆けの進行に歯止めがかかれば。
転がってくる巨大な岩を
爪楊枝で止めようとするようなものだろうが、
機嫌よく過ごしてもらえるだけで良し。
ついでに私も、ボケ防止。
一石二鳥だ。
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ぼんやりしてたら、丸2か月も空いちゃいました。
いろいろありました。
父と母のことで、なんだか負い目を感じてしまい、
言われるがままに動こうとして、壊れました。
一日に2回、3回と、ホームに顔を出し、
職員さんから
「娘さんの方が、壊れちゃうみたいで、心配。」
と言ってもらった時には、嬉しかったです。
頑張ってるの、気が付いてもらえたようで。
入所させてから、4ヶ月目に入りました。
最初の1ヶ月は、毎日。
多い日は、2回、3回と顔を出し、
「週休」ならぬ、「週9」でした。
そこから週7になり、
今は、週5かな。
でも、自分のスケジュールをできるだけ優先させるようにして、
時間を取っています。
父の部屋と母の部屋(別室です)に、
それぞれ大きなカレンダーを貼り、
父と母の通院予定だけではなく、
私のスケジュールも大きく書き込んでいます。
(それでも、「今日は、何で来られないんだっけ?」なんて
電話がきますけど)
親の要求を100%受け入れることが親孝行だと思い込んでたけど、
それでわだかまりができてしまったら無意味だし。
適当に受け流せるように、努力中。
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先月の末から、
実家の両親は、老人ホームに入りました。
母の腰を考え、
父の暮らしと介助を考え、
申し訳ないけれどの選択です。
ホームは、自宅から歩いても行けるところ。
財源は・・・
父と母が今まで蓄えたものを使い果たしてもらうつもりです。
天国にお金を持っていくことはできないし、
私も弟も、遺産をあてにはしていないし。
そんなものよりも、
ガラスの骨になった母の腰をどう守るか、
自宅に残っている父が、
母と過ごす時間を多くとるにはどうしたらいいか、
父の生活を介助していくには、
同居する弟家族と近所に住む私の家族とでは
いろいろな負担が大きくなってきたことと。
介「助」です。
介「護」ではありません。
市内の、10か所ほどの資料を取り寄せて検討したところ、
自宅から一番近いところで
二部屋の空きのあるところが、
設備的にも評判も、一番よかったんです。
母は、呑気に入所しましたが、
父は、生活の急変に、しばらく戸惑っていました。
食事の時間や、
「できればこうしてほしい」という施設側の医療機関のことなど。
でも、半月を過ぎた現在、あきらめてくれたようです。
最期までホームで過ごしてもらうつもりはなく、
母の腰が、普通の住宅での暮らしに対応できるようになったら、
自宅に帰ることが目標です。
自宅をバリアフリーに改築することは、ちょっと無理。
あまりにもしっかりした家を建てたため、
改築が、かなりの大仕事になっちゃうみたいなんです。
自宅の、父と母の部屋は、
全く手を付けずにそのままにしてあります。
外泊した時に、いろんなものが片付けられちゃってたら、
「もう、帰ってくるな」に取られかなないので。
(もちろん、掃除は義妹がしてくれましたが)
いつでも帰ってこれます。
帰ってきてほしいです。
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」
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