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びわ湖ローカルエネルギー研究会
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再生エネ地域で推進! 大阪府内初「市民共同発電所」泉大津に完成
産経WEST

太陽光発電を始めた泉大津汐見市民共同発電所=泉大津市

 大阪府泉大津市が用地を無償提供し、市民らの出資で太陽光発電を行って売電収入から配当を行う「泉大津汐見市民共同発電所」が同市汐見町の下水道施設汐見ポンプ場内の空き地に完成し、順調に発電を始めた。市によると、市民と行政が連携した市民共同発電所の稼働は府内初という。

 定格出力は一般家庭の約14軒分に当たる49・9キロワット。場内にはコンセントも備え、災害時には最大13・5キロワットを非常電源として市民に開放する。

 運営主体はNPO法人「自然エネルギー市民共同発電」(大阪市中央区)。再生可能エネルギーの固定価格買取制度を活用し、関西電力に販売する。

 市によると、太陽光発電システムの設置費用1920万円の出資を募り、市民10人、市外から31人の出資があった。年1・2%の配当を目指しているほか、売電収入の一部を積み立てて市内での環境活動に役立てるため、環境団体の設立も目指しているという。

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北極点遠征が風前のともしび、温暖化の影響で

徒歩での到達が困難に

ナショナル ジオグラフィック 2015.05.29

2009年、極地冒険家のトマス・ウルリッヒ氏が、ロシアのフランツ・ヨシフ諸島のチャンプ島付近で、ところどころが解けた海氷の上をスキーで渡る。参考記事:「2009年の北極探検」(PHOTOGRAPH BY BORGE OUSLAND, NAITONAL GEOGRAPHIC)


「北極点遠征は、20世紀に絶滅した鳥、リョコウバトと同じ運命をたどろうとしています」と、米コロラド州を拠点とし、3回の北極遠征を成し遂げた極地冒険家エリック・ラーセン氏は言う。
 気候変動によって海氷が不安定になり、物資補給の手段も断たれるなか、徒歩により北極点を目指す冒険家は絶滅の危機に瀕している。

 さまざまな冒険記録を管理するウェブサイト「adventurestats.com」のトム・ショグレン氏によると、北極点遠征の定義はアラスカ、グリーンランド、カナダ、ロシアのいずれかの海岸線を出発し、北極の氷の上を、北緯90度の北極点まで徒歩で進むこと。北極点到達を成し遂げた後、復路をヘリコプターや飛行機に迎えてもらうのは自由だ。

 厳密には、外部からの補給や機械など動力の助けなしに、全て人間の力のみで成し遂げることが望ましい。つまり、補給物資を飛行機から投下したり、犬や帆、エンジンなど、スピードを上げたり荷物を軽くするためのサポートは一切受けない。

 ロバート・E・ピアリ少将が1909年に人類初の北極点到達を成し遂げたとされて以来(その後の調査で、本当に北極点へ到達したかどうかについて疑問が持ち上がっている)、北緯90度への徒歩行は247回行われているが、そのうち無補給・無動力での到達に成功した例は47件だけである。(参考記事:「北極点を制覇せよ:ピアリの遠征」

 無補給・無動力の徒歩行では、物資を積んだ重さ130キロ以上あるそりを引き、スキーやスノーシューズを履き、泳ぎ、登り、約770キロの行程を50〜70日かけて踏破する。住宅ほどもある大きさの氷の山を乗り越え、氷点下の海を泳いで渡ることもある。気温はしばしば零下40度にも落ち込む。ラーセン氏に言わせれば、「地上で最も困難な遠征」なのである。

 ところが、その困難を極める冒険の旅は、間もなく終わりを告げることになるかもしれない。2005年から2010年までに7つの遠征隊が無補給・無動力の北極点遠征に成功したのに対し、2011年以降はたったの1件なのだ。

高まる氷の危険

 北極点到達が困難になってきた大きな理由の一つは、気候変動によって北極圏の氷が変化していることだ。米国立雪氷データセンターによると、2015年3月に海氷が覆った北極の海域は、1981年の人工衛星による観測開始以来3月としては最低となった。夏の間も解けずに残る「多年氷」も、10年で15.1%というスピードで消失している。

 氷が薄くなると、ありとあらゆる問題が生じてくる。「歴史的に見て、北極の海氷は厚さが150〜180センチほどで比較的安定していたのですが、最近ではそれが薄くなって、割れやすく、とても不安定な状態になっています。その結果、表面の起伏が激しくなり、歩いて渡るのが困難になってきました」と、ラーセン氏は説明する。

 北極点への遠征を6度成功させてきたカナダ人北極冒険家リチャード・ウェバー氏も、氷が薄くなっていることは新たな危険をもたらすだろうと懸念する。「野営するのに適した多年氷がないと、薄い氷の上にテントを張らなければならなくなり、危険です。氷が夜中に移動する可能性もあります。テントの下の氷にひびが入ってしまえば、もうなす術がありません」

 多年氷が解け始めたことで、北極海の海氷の全体的な流れにも影響が出ている。通常、海氷はカナダに向かって南へ移動する傾向にあるが、最近の氷は薄く、砕けて小さな破片となり、風の影響を受けやすくなっている。そうなると自分の乗っている氷がどの方向へ流されるか見当がつかず、コースを大きく外れてしまうことがある。ただでさえ時間に制約のある困難な旅が、余計に長期化してしまう恐れもある。

 海氷の動きは今に始まったことではないが、今はそれが以前よりもずっと不規則で劇的になってきていると、NASAの上級科学研究員ロン・クウォク氏は言う。「20〜30年前と比べて氷の動きは速くなっています。薄い氷はスピードも出るし、風の影響を受けやすいのです」
 2007年の遠征で、ウェバー氏は1日あたり10〜12時間歩いたはずだが、氷が南の方向へ移動していたため、実質的には同じ場所でずっと足踏みをしていたようなものだったという。「それまでと比べてはるかに厳しい旅でした」

ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受けたロバート・E・ピアリ氏の北極探検隊。1909年4月6日、旗を掲揚した氷丘の前で撮影。(PHOTOGRAPH BY ROBERT E. PEARY, NATIONAL GEOGRAPHIC)

北極点までのチャーター便が廃止

 北極点遠征をますます困難にしているもう一つの大きな問題は、小型飛行機による支援が受けられなくなってしまったことだろう。北極点へ唯一エアチャーター便を飛ばしていたケン・ボレック・エア社が昨年11月、経済的な問題を理由に、個人の北極点遠征の支援を今年で打ち切ると発表したのだ。

 カナダのカルガリーを拠点とする同社は、1970年に北極圏での石油開発を支援するために運行を開始した。その後、北極点遠征の支援も行うようになり、雪や氷の上で発着できる小型機を使って、遠征隊をグリーンランド北東のワード・ハント島まで送り届けていた。遠征隊はそこから北極点を目指す。到達後は現地での出迎えサービスも行い、時には移動中の遠征隊のために補給物資を空中投下したり、緊急時の救助活動も行った。

 ケン・ボレック・エアで10年間パイロットとして勤務しているウォリー・ダブチャック氏は、氷の状態が変化していることは認めているものの、それが原因で北極点へのフライトを止めたのではないとしている。「確かに氷の状態は変化していますが、だからと言って北米から北極点への飛行がひどく困難になったというわけではありません。ただ、現地で行う仕事がほとんどなくなってしまったというだけのことです」

 飛行サービスが利用できなくなったことで、北極点遠征を考えていた人たちは計画の見直しを迫られている。「補給物資を今後どうするかが問題です」と、ラーセン氏。それに、ワード・ハント島までの移動手段も、出発地点へ立つことすらできない。

 近い将来、ボートによる初の北極点到達に挑む人間が現れるかもしれない。(参考記事:「ナショジオ写真家、植村直己の北極点遠征を語る」


文=Kelley McMillan/訳=ルーバー荒井ハンナ

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