正林堂 本の気休め

群馬県渋川市の小さな本屋が、本に関する話やお客さんとの会話、地域での出来事、ホームページの更新情報などを気ままに綴ります。

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贈与 その3

贈与の問題を語るうえで、
もうひとつ避けて通れないキーワードに
人間の真の生産力とはなにか、という問題がある。

よく日本は、小さな島国でありながら、世界に誇る技術力、生産力で
先進国の仲間入りをした異例の国であるといったような表現を耳にするが、
これは実態をもっとよくふまえたうえで話してほしい。

過去にも他のところで引用した文ですが、
2002年に岩波書店から『いくつもの日本』という全7巻の講座もののシリーズが出ていますが、
その冒頭第1巻のまえがきの最初の部分に、以下のような表現があります。

「北緯45度31分(宗谷岬)から20度25分(沖ノ鳥島)
および東経153度58分(南鳥島)から122度56分(与那国島)まで、
そのうちに広大な海洋を抱えるとはいえ、この日本の範域は、
南北約3500キロメートル・東西約3000キロメートルにおよぶ。
より具体的に日本の国土面積は約37万8000平方キロメートル、
そこに約1億2600万の人口を擁する。

国の長さが3000キロメートルを越す国は、中国やロシア・アメリカなどの超大国を除けば、
インドネシア・チリ・アルゼンチンなどしかない。
また世界191カ国のうち日本は、面積でも上位ほぼ四分の一に近い五四位、人口が八位にランクされる。

これは第二次大戦後、アジア・アフリカに小さな独立国が急増したことにもよるが、
面積的に見ても、むしろ日本は大きな国の部類に属している。
身近な東アジア周辺で比べれば、台湾の面積はほぼ九州程度で、
北朝鮮の人口は首都圏のそれに近似する。
西欧でも、面積はフランス・スペイン・スウェーデンに次ぐが、
人口で日本を超える国はなく、例えばオーストリアは、面積・人口ともに北海道に等しい
(『日本国政図会』2000年度)。
つまり、日本は決して小国などではなく、
経済的にも物理的にも大国なのである。」


ひとくちに国の生産力が高い、低いといっても
その国の生産性効率の高さ如何で順位がそれほど劇的に変わっているわけではなく、
生産力を決定している圧倒的要因は、
国土の広さと、その国土の持つ資源力、
それと人口によって決定されていることをよく見て欲しい。

学生時代、サークルで経済学の勉強会をしているときに先輩が、
人間の最も生産的活動は、子どもをつくることなんだよ、
と言っていたが、そのときはこの意味をシモネタジョーク程度にしか理解していなかった。
今になって、この意味をかつてなく深くとらえなおす価値があると
前に私の手作り栞の記述で紹介したプレママ・トレーニングというコミュにかかわって
感じるようになった。
これに立ち入るとまた脱線にブレーキがかからなくなってしまうので、
サラリと言うと、人口問題、命を授かること、結婚し子どもを生むこと、家庭が明るく平和であること、
子どもを増やしたいと感じる社会であること、これらは、
すべて地球の生命の輝きそのものの問題であるのだと。

話しを戻す。
現代が、いかに高度に発達した資本主義社会であろうと、
その生産力の主要部分は、国土から産出される資源
石油、天然ガス、金銀銅をはじめとする鉱物資源、
森林や海洋から得られる資源とその所有になによりも決定づけられていることを
忘れてはならない。
最先端の産業ですら、ウラン、やチタン、アルミなどの資源、
半導体産業などであってもその素材は、天然資源からはじまっていることに変わりはない。

つまり、生産力の圧倒的大部分は、
今も大自然からの「贈与」によって成り立っているということです。

もうすこし厳密い言うと、
大自然からの「贈与」と「略奪」。

さらにもう少し厳密にいうと
大自然からの「贈与」と「略奪」と「独占」。


さらにまた少し別の角度、地球生命科学などの立場からいうと、
地球上で真に生産的活動をしているのは植物だけである、という見方もある。

植物以外のあらゆる動物やその他の資源はすべて、
植物によって生みだされたエネルギーの移転、移動、蓄積の結果にすぎない、
というのである。

このことからも、人間の生産力いかんの圧倒的な部分は
大自然からの贈与によって担われている、
ということができるのではないだろうか。


昔の共産主義思想は、反資本主義的独占にばかり目がいって、
この大自然そのものの価値と贈与の問題をよく理解していなかったのではないだろうか。
この理解如何で、人間の労働、「働く」ということの意味が大きく変わってくるのだと思う。

テーマ館のキーパーソンとして紹介している哲学者、内山節の文章で
出典がみつからないまま、曖昧な記憶による紹介ですが、
木とは、ひたすら与えつづけて、なんでも許してくれる存在であることを
次のような表現で書いています。

木は、小鳥が巣をつくらせてください、といえば
「いいよ。」とこたえてくれる。
雨がふったときに雨宿りさせてください、といえば
「いいよ。」という。
木の実をわけて食べさせてください、といえば
「いいよ。」という。
寒いので木の枝を薪に使わせてください、といえば
「いいよ。」という。

さらに、今度わたしの家をたてたいので全部ください、といえば
「いいよ。」という。

これは木だけの話しではなく、
自然だけの話しでもなく、
人間社会でも同じ「贈与」というもののすがたです。


(以下はまた次回につづく・・・・
     うーん、まとめられるだろうか?)

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