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父親の遺品となった、オリンパスペンEEです。 今となっては殆ど見かけませんが、ハーフ判だったため通常の倍の枚数が撮影できました。 出た当時(1962〜63年頃)は画期的な機能だったEE(Electric Eye)、宣伝文句も、 「ボタンを押すだけで写るEEカメラ」でした。 価格は¥9,200円、当時の公務員の初任給が2万円弱でしたから、もし現在なら10万円程度は する計算になりますね。カメラは高価な買い物だったことが分かります。 一度もOHに出したことがありませんが、幸い今でも元気に動いてくれています。感謝。 |
カメラの世界
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日中野外での撮影で、難しいものの一つが光加減です。 写真に夢中になりはじめてしばらくの間は、太陽が燦燦と照りつける時間帯の撮影が最適と思っていました。 逆光なんてもってのほか、論外、てな感じです。 その頃に撮った写真を今見ると、何となくのっぺりとした印象を受けるものが多いです。 「影」が重要な役割を果たしていると気が付いたのは、かなり経ってからのことでした。 それからは人物でなく風景写真でも、太陽の位置と照り具合に漸く気を使うようになりました。 でもなかなか満足のいく作品を撮るのは難しいですね‥毎回が勉強です。 使用機器:アサヒペンタックスSL SMCタクマー広角35mm シャッタースピード:1/125 絞り:F8 |
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最近は手軽に一寸何かを撮りに行こうとすると、ついついデジカメに手が伸びてしまいますが、 撮ってすぐ結果を見なくてもかまわない場合は、フィルム式一眼レフを持ち出すこともまだまだ ありますね。 BKの愛機は露出計が付いていないため、全てをカンで決めることになりますが、それこそ “自己責任”ですから。昔々読んだカメラの本に、「露出は不足に間違うよりも過度になる方が良い」 とあったのを信じて幸い今まで、ひどい失敗をしたことは数えるくらいしかない(と思いますが?!) ただ、特に最近はデジカメに慣れすぎたのか、昔ながらの図体の大きな一眼レフでパチパチやっている様子が、何となく気恥ずかしいような感覚になることもあります。 これからフィルムは、おそらく従来のように使われることはありえないんでしょうが、それこそ一日 でも長く、生産し続けてもらいたいものです。 使用機器:アサヒペンタックスSL SMCタクマー広角35mm シャッタースピード:1/250 絞り:F11 |
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いまや、小学生でも携帯&カメラを持っている時代ですから‥ いや、どうのこうの言うわけではないんですけれど、何かあまりにも軽い気がしてならないんですよ。 そんなことを考えるお前のほうがおかしい、でしょうかね、やっぱり。 BKの小学生時代、もちろんデジカメのデの字、その痕跡すらなかった頃です。 「同級生がカメラを持っている」って、想像もできない程のことだったんですよ。 遠足に同級生が持ってきたカメラをみて、皆あこがれの目つき、羨望のまなざし、凄かったこと! BKも持って行ってたンですが、これが本当の子供用でしかもレンズの絞り環の一部が欠けていて、 かろうじて遮光はされている、といった恐ろしいしろものでした。 もちろん、白黒専用です。 何度かそのカメラを持って、写真を撮って帰る姿が不憫に見えたのでしょうか。 ある日、いきなり一眼レフがBKの目の前に出現した驚き、今でも覚えてます。 父親が化粧箱から取り出して、困惑しながらいろいろいじっていました。 聞くと、BKのことをきいた叔父が、いきなり一眼レフを送ってくれたとのこと。 ついでに、「とにかく撮りまくって上手になれ」という風な言葉とともに。 かえって父親の方が困った様子で、「お前使いこなせるか?」 でもBKはためらわず、「今日から使うから欲しい!」と言いました。 それがこの “アサヒペンタックスSL” です。
40年近くが経った今でも、ミラー、シャッターとも健在で立派な現役です。
本音を言えば、もらった当時は完全マニュアルタイプのSLにいまいち気が乗らず、なぜ露出計付きのSPにしてくれなかったのかなあ、と思ったものでしたが、 自分の感覚で露出を決める!ことの面白さがわかり始めてからは、むしろ有難く思いました。 あとで聞いたところ、叔父は若い頃から随分と写真をやっていたらしい。それでわざわざSLを、 さすが‥ このSL、登場機会はデジカメに奪われることが多いものの、今でもBKの宝である。
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