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親が亡くなって初めて気が付いたこと |
雑感
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頭痛・吐き気、飲みすぎだ〜 分かっちゃいるのに、性懲りもなく馬鹿だ‥もう飲まない |
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「円相場が1ドル=**円台に突っ込んだ時、日本経済は根底から揺さぶられた。 “円高無策”を声高に批判する産業界。困惑する政府。 円高は、輸出志向型経済から内需中心への経済構造への転換を、日本に促している。 この激震で、日本経済はどう変貌していくのか‥」 文面をみると、まさに最新の経済批評といってもおかしくないですが、実はこれ、 『円とドル』:朝日新聞経済部編、講談社現代新書876、1987年初版、の一節です。 当時は、1985年のいわゆる“プラザ合意”以来、急速に円高が進み1ドル=240円から、一気に130円台に までなった時でした。 その他にも、23年前とは思えず現在と見まごうばかりの記述が、あちらこちらに見られます。 「黒字のかせぎ頭、自動車産業を直撃し、転換を迫られる戦略」 「産業界に君臨してきた鉄鋼業界も、鉄冷えといわれる苦境に、円高が追い討ちをかけた」 「余剰人員対策では、生産設備の合理化に伴う七千人の余剰人員を含めて、19,000人を減らす。 社員65,000人のうち、29%もの人が合理化の対象となったことになる」 「ここまで円高が進めば、産業界は海外から部品を調達したり、海外での生産を増やす動きに出るのは 当然だ」 など。 その対策として当時の中曽根首相は、 ・公共事業の前倒し契約 ・所得税減税 ・住宅金融公庫の融資限度額引き上げ ・中小企業対策、雇用対策 ・輸入の拡大、市場アクセスの改善 などの11項目にわたる、総額6兆円の内需拡大策を推し進め、かろうじて「最悪のシナリオ」は 避けられました。 ただ、当時のこの内需拡大策では、財源として建設国債を1兆3千億円追加発行し、さらにNTTの政府保有株の売却益もあてる、という方法をとりましたが、いまや政府債務残高が対GDP比で、200%に 達しようかという現在、もはやデフォルトへの道を歩むしかない、と危惧するのは杞憂でしょうか。 |
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子供のころ、早く18歳になりたかった時期があった。 |
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