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「いつもありがとね」。
BOφWYとしては2回目の 1986年『ROCK'N ROLL CIRCUS TOUR』12月10日の武道館ライブの打上げ半ばで 偶然にも(光栄なことに!)トイレで並んで立った時 ボクを見下ろしながら<カレ>はそう言ってくれた。
そして僕はそれだけで充分だった。。。
改めて言うまでもなく、間違いなく<カレ>は今も昔もこれからも “人類代表ギタリスト”であり、“世界標準ギタリスト”。
タランティーノ氏とのコラボだけでなく、近未来にあるかもしれないエイリアンとの第3種接近遭遇の際にも、ある政府が仕切る(かもしれない)晩餐会があるならば、間違いなく<カレ>は呼ばれプレイを求められるでしょうし。。。
<カレ>が25年前にBOφWYとしてのキャリアスタートした先の未来としての「現在」と、出現しなかった場合(Oh NO!!!!)とでは、明らかにいまの日本の音楽シーンは違っていたと思うと身震いすらしてしまいます。もしかしたらそれは音楽だけへの影響でなく、円相場とかスポーツのあやゆる成績や結果、数えきれない恋愛の行方や、酒類の消費量・・・・そんなとこにも影響を与えてるに違いない。それほど大きな、大きすぎる存在。今までもこれからも。。。
ボクが光栄にもスタッフとしてご一緒出来たのは、<カレ>のBOφWY時代、アルバム『Just a Hero』からアルバム『PSYCHOPATH』までの間だけでした(その後ボクはCBSソニー(現 SONY RECORDS)へ)。
当時 BOφWYのための宣伝部隊 B・BLUE・BOYS(ビー・ブルー・ボーイズ)という東芝EMIサイドで活動する宣伝スタッフでした。宣伝をしてたって言いつつも当時のバンドの勢いで言えば、もう、僕らレベルがBOφWYに何をしましたとかそんな事はなにもなく、ロックがビジネスになるという「動画」をその中でただ見てる、そんな感じでした。それは歴史で言えば 信長の家臣 木下藤吉郎(後の秀吉)の墨俣城(通称:一夜城)のエピソード、一晩で城が建設される状況を 現場で見てる感じに近かった。スピード感としても状況としても。
担当の上司・先輩方は、急激な変化と膨大な仕事のオファーのさばきとか大変だったと思いますが、ボクらは至ってメンバーの為にただ仕事するだけでしたし。。。
その意味でボクは BOφWYヒストリーに於いてけじめの「12/24渋公」も 翌年の「4/4・5 東京ドーム 2 days」も、Complexとしての活動も、そしてもちろんソロとしての<カレ>のまばゆいまでの活躍は、すでにスタッフとしてでなく、みなさんと同じように受け取ってる立場でした。
そして同じ音楽畑にいながらも、飛び込んでくる<カレ>のNews/New Releaseは常に斬新で驚きだったし(例えば『GUITARYTHM』のサンプル用のカセットテープは、ドッシリ重いメタルテープを使ってて業界騒然!)、今回の『ALL TIME SUPER BEST』の収録テイクのように 発表される楽曲は常にエッジな音で、「ロックの偏差値」(by 紺 待人氏オリジナル)の高い「オト達」で、ヤラレテマシタいつも(今作も)!
今年<カレ>がBOφWYでの初めてのステージからの軌道は、25周年。
ホントに素晴らしいことだと ただただ思います!
<カレ> TOMOYASU HOTEI。
人類が誇る最高のギタリストでありアーティストであることは元より、男が女のために泣いたっていいんだってことや、ロマンティストな事はイコール女々しいってことではないって事を示してくれたり、胸を詰まらす切ないメロディと、あのカッティングギターとソロフレーズで 常にファイティングポーズを崩さない(愛するモノのために)アティチュード。まさしく男として最高に格好いいという方向での まさにシンボライズされた孤高の人!
25周年は、ただただほんと素晴らしいことだって思います。
でもきっと<カレ>にすれば「ただの通過点」なんでしょうけど!
そしてもちろんそうなんだって 僕らはみんな分かってますしね!
「HOTEIサン、イツモアリガトウゴザイマス!!!」
from B・BLUE・BOYS 水野 隆仁 of 25th Committee
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