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好天の中、岸和田城へ。
私の周りでは、岸和田に城があることはあまり知られていないようです。
本丸には五重の天守閣があったとされますが、落雷で焼失。その後は再建されず、昭和29年に復興天守が建立され、現在に至っています。
1334年前後に岸和田古城を築城され、羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城されました。
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城
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昨日は午後から予定も特になかったので、足を延ばして近鉄奈良線で大和郡山まで行って来ました。単身赴任はこういう時、身軽でいいです。
時間は夕刻。大和西大寺で近鉄橿原線に乗り換え、大和郡山駅に到着。
大和郡山は安土桃山時代の秀吉の弟である豊臣秀長の統治以来、城下町として発展した街です。街を歩くと、その面影が所々に残っています。
大和郡山駅から徒歩5分ちょっとで、郡山城跡。
筒井順慶が築城。その後、豊臣秀長の居城となり、以降は柳澤氏が統治しました。
現在は、追手門、追手東隅櫓、追手向櫓が復元されています。
ただ、櫓の中は見物できず。観光客らしき人は皆無。
桜の季節には相当な盛り上がりらしいですが。。。
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川越城続編です。
そして、いきなり便所。
本丸御殿は多くの人が集まる建物であるため、各所に便所が設けられていました。大の方は閉じられています。
廊下は、場所によって床の材質が違います。けやき、ツガ、マツの3種類が使われています。
大広間は36畳。
来客が城主のお出ましまでの間、待機した部屋と考えられます。
こちらは正面玄関に比べて一回り小さな規模の玄関の中ノ口です。
この後は、川越市立博物館へ徒歩で移動。
暑さでヘトヘトです。。。 |
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今日は川越・東松山へ一人小旅行。この9連休では唯一の一人時間でしょうか。
今回の目当ては、100名城の川越城見物と、東松山の焼きとりグルメ。結果的にほぼ一日かかりました。
まず、東武東上線で川越まで移動し、小江戸名所めぐりバスの一日フリー乗車券(\300)を購入。
川越駅東口から出発し、約18分で博物館前に到着。
この博物館前の停留所に川越城本丸御殿があります。
東日本唯一の本丸御殿遺構です。
川越城は、扇谷上杉持朝が1457年に太田道真・道灌に命じて築城させた城です。築城の目的は、扇谷上杉領の北端の拠点とするためと考えられます。
その後、1590年、豊臣秀吉の関東(北条氏)攻略に際し、川越城は前田利家らに攻められて降伏。同じ年の8月に徳川家康が江戸城に入ると、江戸に近い川越城に重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越領を受け持つことになりました。
本丸御殿の玄関から入り、使番詰所や老体詰所、物頭詰所などが続きます。
ペリー来航により、川越藩は、1853年に幕府から品川台場の警備を命じられ、財政負担を強いられながらも、5・6代藩主の下で人足などを手配。家老詰所で台場の図面を広げて議論する家老たち。
創建当初の家老詰所は広間西側から西に延びる大廊下の先にありました。 庭に埋め込まれた瓦は、大廊下の柱の位置を示してます。
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今回から日本100名城のスタンプラリーに参加します。
共著である「観光ビジネス未来白書」の中の城巡りビジネスで、まず基本は100名城巡り、と書いていながら、自分自身はランダムに回っているため、しっかり整理しながら城巡りを進めていきたいと思います。
さて、『八雲庵』でのんびり出雲蕎麦を頂いて、サッカー大会で足を痛めている上司を喫茶店に残し、自分と部下ですぐ隣接している松江城
全国で12しか存在しない現存天守です(山陰ではこの松山城のみ)。わざわざ松江まで来て、これを見逃すわけにはいきません。
ただ、
霧雨に煙る天守閣。
二重櫓の上に三重櫓を載せた五重六階の望楼型天守。手前は付櫓。
関ヶ原の戦いの論功行賞で堀尾吉晴が嫡子忠氏とともに入封して、築城したお城。築城は1607年です。
木の香りがする天守内。ただのんびり見る時間はありません。急な階段を必死になって登っていきます。
ようやく最上階へ。
松江市内を見渡します。
天気が良ければ大山なども見えるらしいのですが。まあ行けただけ良しとしますか。
翌日、このハードな城の上り下りで足にダメージが来ました。。。 |





