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先日、学生時代にクラシックギターソロで演奏した曲、「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴き、久しぶりに楽譜を追ってみました。
現在、この美しさで名を馳せる名曲にも、めぐるいくつかの興味深いエピソードがあります。
「亡き王女のためのパヴァーヌ Pavane for a Dead Princess」は、“管弦楽の魔術師”の異名を取り、20世紀のクラシック楽壇に確固たる地歩を築いたモーリス・ラヴェルの若き日の傑作です。
しかし、この曲が発表された当初の評価は芳しくなく、何よりも作曲者である彼自身が辛辣な自己批評の文章を残したということが知られているのです。
「・・・・・この作品は書法、構成上の意欲的な革新性に乏しい凡庸な作品である・・・・・」
その後、数々の名曲を残しながらも、交通事故が原因で次第に記憶障害や言語障害が進行したラヴェルの晩年は、頭に浮かんだ楽想を書きとめることすら出来ぬ悲惨なものであったということです。
しかし、そんな彼が病床で、この曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」をふと耳にした時に、次のように語ったことが伝えられています。
「これは一体、誰が作った曲なのかね?なんと美しい良い曲なのだろう・・・・・」
記憶とともに創作にまとわりつく様々な観念の鎧も氷解しつつあったこの時期のラヴェルにして、初めて口にし得た、彼の音楽的な真の情の一端であったのかもしれません。 現在、仕事柄か、趣味かいろいろな建物を見て回りますが、建築という分野でも、創作上の“新しさ”や“革新性”を至上とする考えから抜け出すことは難しくなっています。
新しさや奇抜さが建築家の自己目的化した建築や、流行の衣装をまとっただけの建築は、時間の蓄積の中で最も急速に色あせ、消えていくことも事実です。
これらを排除していくには、自らの言葉の体系や価値観を常に磨き、内省の光を当て、再検証をしていく必要があります。
仕事として、街をつくるものとして、時間と責任に追われてしまっている中でも、時間を見つけて自分を磨く、立ち止まってもう一度考える、最後まで考えることに注意していきたいと思います。
名声や地位のために自分を磨き挑戦するのではなく、常に自分をBESTな状態、いつでも全力を出せるように保つため、自分を磨いていきたい。
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石上純也さんの「森と別荘のある家」という作品があります。
写真のように、11層の部屋が積み上げられ、階段でつながれた家。 (以下、石上さんのコメントより引用)
・・・・・・・ 若い夫婦のための住宅。 敷地はどこにでもあるような住宅街の一角にある。 自分の家の庭に、大きなイチョウの木やケヤキの木があるのはきっと気持ちがいい。 大木をたくさん植えるためになるべく小さなプランで、なるべく高い家にした。 六畳くらいの大きさで、11階建。工レヘータはない。 住宅のスケールでは、家の中に遠くて普段は行かないところはなかなかないから、そういう遠い場所かあったらいいと思った。 日常生活は、下のほうの階で完結できる。 たまに、気が向いたときに、登りたいところまで登る。 上のほうの階には、植物のあるバルコニーや書斎、すごく天井が高くて見晴らしのいいもう1つの風呂や寝室がある。 大木をいろんな高さで眺めて暮ら 上のほうの階は、たまに行く別荘のような感じ。 ただ、どこからどこか別荘で、どこからどこが普段生活する家というわけではない。 なんとなく、気分によって決まる。 ・・・・・・・・ 最近の建築界では、建築のモノとしての建築らしさを極端にまで消し去って、建築の機能・使いやすさよりも、建築の空間が作る雰囲気、快適さを求める傾向があります。
人間がその場所をどう捉えるか、どう感じるかというところに重点を置いていて、石上さんが言うように、「建築を作ることは環境を作ることと同じ。」という考えは、本当に物語をつくっているようでもあります。
BTW、この作品を見ていて思い出した映画「つみきのいえ」を紹介します。 3DやCG多用の現代において、あえて鉛筆タッチを生かした画調で柔らかく仕上げられた心温まる作品で、わすか12分の作品ですが、現代を生きる私達に色々なことを思い起こさせくれる作品です。監督は、ROBOTの加藤久仁生監督。
・・・・・・・・ おじいさんの家は海の上にある。 壁のたくさんの写真。
おじいさんはこの家に一人で暮らしている。子供たちと孫は遠くで暮らしている。部屋の中の釣り堀で魚を釣る。この家はちょっと不思議な家。
水位がどんどん上昇して、レンガでてきた家を上へ上へと積み木みたいに作っていった。
今日もいつもと同じ一日が終わろうとしている。おじいさんの楽しみはパイプのタバコと一杯のワイン。
タバコは一日に三度だけ、ワインは一日に一杯だけ、これは亡くなったおばあさんとの約束。
ある日、また、水かさが増して家が水に浸かってしまった。
また、この家にも住めなくなってしまう。
おじいさんは、また、新しい家を作り始める。
雨の日も風の日も晴れの日も、一人でコツコツとレンガを積み上げ家を造る。
今度がいくつ目の家なのかもう覚えていない。昔はここにもたくさんの人たちがいた。
今は、もうみんな住むのをあきらめて居なくなってしまった。
おじいさんは、家財道具を下の家から運ぶとき、咥えていたパイプを落としてしまった。
お気に入りのパイプだから拾いに潜水服を着て潜っていく。
パイプは下の下の家に落ちていた。
パイプを拾うとき、おばあさんの記憶が鮮やかに蘇った。
おじいさんは、懐かしい思い出を遡っるように、下へ下へと潜って行った。
この家は、おばあさんと過ごした最後の家。おばあさんが倒れ、ベッドで寝ていた。 この家は、遊びに来た娘夫婦と孫二人と一緒に記念撮影した。 この家は、娘が婿を連れてきた。結婚式の写真。娘が嫁いでいった。 この家は、娘が小学生の頃。学校行きの船に駆けていった。朝食の風景。 この家は、娘が赤ん坊だった頃、積み木で遊んでいた。若いころの妻。 ついに、一番下まで辿り着いた。外は海の底。 昔、ここには溢れる緑と野原を渡る風があった。おじいさんとおばあさんは幼馴染。小さい頃からいつも一緒だった。大人になって恋に落ちて、プロポーズした。
そして、二人はここに小さな家を建てた。始まりの家。
夕食のとき二人でワインで乾杯した。
このたくさんの積み木の家は、おじいさんの宝物。
だから、おじいさんはこの家に一人で暮らしている。 今日は、久しぶりにおばあさんと一緒にワインを飲みましょう。 ・・・・・・・END 環境破壊により家が沈んでいくという近未来の世界。子どもの頃遊んだ自然の風景だけではなく、家族との生活も沈められていくという世界です。
しかし、この慎ましいほのぼのとした映画では、この世界に対する諦念と、家族との生活という幸せが、現代社会を淡々と生きている私達の心を強く動かし、惑わせるのです。 この世界では、おじいさんがパイプを海に落として、昔の思い出を潜っていきながら辿るという物語ですが、私達の記憶も、時にこのように何かのきっかけによって、記憶の海に深くもぐって辿り、蘇る事があります。この物語では、おじいさんの「つみきのいえ」というモノとして、想い出をカタチにして見せてくれましたが、想い出というのは、いつでも私達のカタチある大切な宝物で、増してくる水かさに急かされるように、常につくり続けていくものなんだということを改めて考えることが出来ました。
家や場所は、建替えてしまうと無くなってしまい、想い出も消えてしまうのかな。できれば、増築を繰り返して、また必要になったら付け加えて・・・というような「つみきのいえ」がつくれれば、生きていて幸せだなと思います。
BTW、「森と別荘のある家」は、ぱっと見て階段ばかりで使いにくい・・・と思ってしまいましたが、機能や使いやすさだけでなく、そこに暮らす人の感じ方を大切にする建物なんだと、もう一度見つめ直させられました。
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今日は新木場の木材会館(設計:日建設計)を見学。
あいにく今日は物凄い突風の吹き荒れる天気で、特にこの地域は、埋立地で大きなビルが整然と並んでいるのでビル風もすごくて参りました・・・
ファサードは期待通りの、複雑だけれども美しさや不思議さのあるつくり。テラーニのカサ・デル・ファッショを想起させるような堀の深いランダムグリッド。。。コンクリート打ち放しの整然とした躯体グリッドに、ある別のルールを持った木のグリッドが重なることにより複雑な印象を持っています。ディティールも研ぎ澄まされていて、繊細。木材のごつごつしたボリュームが引き立てられています。でも何年かたつと、この木材も色あせて汚い印象となってしまうのでしょうか?
内観はかなり期待していたのですが、休日ということで閉まってしまっていました・・・内装にも無垢の木材をふんだんに使っているということですが。この建築の用途がオフィスというのがいいですね。照明と木材の演出などを見てみたかったです。
古典的な建築言語の重ね合わせですが、エコやエモーショナルといった現代になってやっと重要視されてきた要素が上手く溶け込んだ建築ですね。
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今回は、この冬に旅したイギリスコッツウォルズ地方のカースルクーム村(Castle Combe)にある「ザ・マナーハウス・ホテル(The Manor House Hotel)」を紹介します。 |
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隅田川花火2008に行って来ました。 今年は第一会場目指して歩いて歩きました。 ギリギリに行ったのですが、近くまで行くとやっぱりすごいですね。 灰がたくさん飛んできました。 第一会場周辺は、穴場スポットが多いです。 花火を見ていると、隣で笑う家族との楽しい会話も、日々の辛いことも、 自分が何処にいるのかさえ忘れて、思わず声を出しているような自分に気付きます。 「感動」はこういうものだったなと改めて気付きます。 それでも記憶に残したいと、あとからもう一度思い出したい絵が取れるのではないかと、我に返ってカメラを向ける。 時に面白い一枚が取れると、家に帰るまでこの一枚を満足してもって帰る。偶然の産物が、今年の一枚として記憶に残ります。 でも、一人一人の世界の中で無心に僕らは眺めていたけれども、あの場所に集まった人たちは皆同じ思いを抱き、心はつながっていた・・・
素晴らしい花火ごとに興った拍手は、そんなことを思わせてくれました。 毎年違った心持で臨むこの季節ではあるが、また、行きたい、と思わせてくれる花火大会でした。 |







