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『天の川情話』;石川さゆり
作詞;なかにし礼
作曲;弦哲也
編曲;丸山雅仁
荒海や佐渡によこたふ天河−松尾芭蕉− この句から生まれたのが『天の川情話』である。
この句も、松尾芭蕉の『奥の細道』に書かれている。出雲崎から日本海の荒海の向こうに佐渡がある。そこは、流人の島といわれ、古くから沢山の人々が流罪にあって悲しみを嘆いたところである。その島には、二つの星が出逢うという天の川が横たわっている。七夕とは関係ないが、それでもやはり愛する人々と遠く隔てられた人達の強い悲しみがある。この句は、悲愁の句であるが、それと共に雄大な自然の美しさを詠んだ句である。季語は「天河」で秋。
さて、『天の川情話』についてである。この歌は、愛する人との別れを嘆いているのだが、一方では女性の固い決心が描かれている。愛してはいるのだけれど、事情がありどうしても別れなければならなくなった。「今ごろあなたは 手紙をよんで 別れにきづいて いるでしょう」とあるように、この女性は佐渡島を離れること(別れのこと)を、手紙という形で相手に告げた。何故手紙なのか。それは、やはり直接話すのが辛かったから。つまり、やむを得ない別れなのである。本当は離れたくなどないのに、一緒にいることが許されない。なんと悲しくやりきれない思いであっただろう。松尾芭蕉の句とも七夕とも少し重なる部分がある。二番の歌詞には「私の願いは 叶わぬ願い」とある。やはり、何か事情がありどうしても添えないようである。
そして、「私はふるさと 棄ててきた」とあり、三番の歌詞には「私は帰らぬ 旅に出た」と続く。今まで叶わぬ恋を嘆いていたのだが、ここの部分では女性の強さが感じられる。又、「すてる」を「棄てる」と表記したのは、「思い切り振りすてる」という意味を込めたかったからではないかと思う。元々、「棄」という漢字にはただ単に物事をすてるだけではなく、「振りすてる」という意味がある。愛する人と自分が生まれ育ったふるさとを棄てることは、そう簡単にできることではないだろう。この部分からもわかるように、もう絶対に何があっても佐渡島には帰らないと、固く決意している。どうせ叶わぬ恋なのだからと逃げるわけではなく、又そのまま叶わぬ恋を追い求めるわけでもない。どうせ叶わぬ恋ならば、私の方から棄ててみせる!そういった強く前向きな女性の人柄が感じられる。この女性は、全てを一からやり直して新しい自分を見つける為にふるさとまでも棄てて、「自分探し」という名の旅に出たのかもしれない。
曲調は、悲しい恋というよりは雄大な自然を思わせるようなメロディーになっている。松尾芭蕉の句から、これほどの文学作品ともいえる歌が生まれてくることは、やはりすばらしいことだと、私は思う。そして、それを唄い続けておられるさゆりさんも又、素敵だと思うのである。
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こんにちは、履歴から来ました。石川さゆりさんが歌った津軽海峡、、、のアタリにあるひばの国です。
2008/7/14(月) 午後 4:54 [ ひばの国 ]
hibanokuniさん>訪問&コメントありがとうございます(^-^)/
またのお越しをお待ちしていまぁ〜す!
2008/7/16(水) 午後 8:14 [ 林檎 ]