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去年7月父が他界しました。
高度経済成長時代皆がそうであったように父もまた人間ブルトーザーといわれながら流通業に革命を起こすんだとばかりにがむしゃらに仕事をしてきた人でした。ときには家族もかえりみず一心に仕事に情熱をささげてきた姿がとても印象的でした。愛情はたっぷりそそいでくれましたが授業参観などに来た記憶はありません。
新潟の見附という町で生まれ、いったん仕事で外にでましたがまたその見附に戻り家を建てて晩年まで見附で過ごしその見附を終の地として生涯を閉じました。
父が亡くなったという知らせはたまたま金沢から新潟へ向かう高速を走っている途中の音声電話で妹から聞きました。もう一週間先と聞いていたので聞いた瞬間頭が真っ白になりすぐにSAに入って号泣しました。
見附の実家につくともう父がもう戻っていました。
それからはあまり記憶にありませんが知らせを聞きつけた父の知人や近所の人が線香をあげに来てくれたりしてバタバタしてふと気が付くとpm9時頃になっていました。
そんなときに「ピンポーン」と玄関のチャイムがなりました。さすがにこの時間なら身内だろうと思って玄関に行くと一つの包みをもったご婦人が玄関にたたずんでいました。
ご婦人 「こんな遅く申し訳ないですがどうしても焼香に上がりたくて。」
リッキー「そうですか。すみません、どうぞ参ってやってください。」
ご婦人 「こんなときなんですがこれをお供えさせていただきたいのですが、、、」
なんだろうとおもって、ご婦人が包みから出したものをみると...。
ご婦人 「お父様が好きだったたまご巻です。」
私は最初意味が分からずなんでこんなときにたまご巻なんだろうとさえ思ってしまいました。
話をよく聞くとそのご夫人は地元でも有名な老舗割烹料亭の女将さんで父が現役時代からよく利用させていただいていた太田家さんで手に持っていたのは特製の「たまご巻」でした。
とはいっても晩年は質素な生活をしていましたので接待や政治家が使うそんな高級な店とはおつきあいないと思ってました。
しかもその日は地元のお祭りで老舗のお店は一年で最も忙しい日だったはず。そんな日に合間をぬって父にわざわざ好物だったたまご巻を作ってもってきてくれるのはよほどのことだと思いました。
リッキー 「そうですか。そのためにわざわざこんな時間にきていただいたんですね。ありがとうございます。」
そういいながら私の目には涙があふれてしまいました。
私もしらなかったたまご巻がひょんと祭壇におかれているのをみていたらまた号泣してしましました。
≪ 割烹料亭太田家 ≫
〒954-0057 新潟県見附市新町1-8-4
電話番号: 営業時間: 定休日 : 特徴 :
≪終わり≫
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