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写真は、熱田神宮・宮の渡し公園の時を知らせる「鐘楼」。
/かつて脇本陣格の旅籠だった、「丹羽家住宅」。(4/30)
熱田〜桑名の間は、東海道で唯一の海上路でむすばれ、
七里(約28km)の船旅から「七里の渡し」と呼ばれていて、
「宮」宿は尾張藩の海の玄関として、大いなる賑わいを見せていました。
天候不順で船が出せない時、また、船酔いなど船が苦手な旅人たちは、
海路の危険を避けて佐屋海道の陸路を行く者もいたようです。
渡し跡は現在、公園として整備され、
常夜灯や、鐘楼などが復元されて時を知らせています。
また、堀川観光の屋台舟の乗り場にもなっています。
「宮の渡し公園」の道を隔てたお向かいに、古い町屋が二軒残っています。
その内の一軒は「丹羽家住宅」と言い、
文化五年(1808)の棟札があったそうですが、いつ建てられたかは不明。
天保十二年(1841)に描かれた「尾張名所図会」には、
当家と思われる建物が描かれて、木造二階建て、切妻造桟瓦葺、
屋号を「伊勢久」と称していました。
幕末期には脇本陣格の旅籠を営み、
西国各藩の提灯箱なども残されています。
当時は卯建が上がっていたようですが、現在は袖卯建のみを残し、
また、正面の破風付き玄関は、かつての格式の高さを表しています。
*以下のサイトが参考になります。
http://toppy.net/nagoya/atsuta10.html /名古屋を歩こう
/え〜なも探偵団ー名古屋を探検するー熱田区七里の渡し
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