写真は、豊田市の名木に指定されている、ブナ科の高木「チリメンガシ」。
関西方面に多くみられる珍木。/(5/16)愛知県豊田市の猿投山麓にて。
アメリカインディアンと環境
幸田 「セイクレッドランについてご説明いただけますか。」
バンクス
1977年にカナダのバンクーバーに
何百人というインディアンのリーダーが集まりました。
この時、5日間、「環境」についてだけ話し続けました。
魚、カエル、酸性雨、
すべての話が環境に関わることだったのです。
自分たちはどうすべきかと考えたときに、
企業に責任を押し付ける代わりに、
自分たちの儀式をしっかりしたものにすることで、
彼らが変えなくてはいけないことに気づくのではないかと思った。
そこで私が300部族から意見を集約して、
4ページにわたるプレスリリースを準備しました。
このメッセージをランニングしながら伝えようと、
78年、500マイルの距離を自分だけで走ることを計画した。
この話が北米全土に伝わると、
鳴りやまないほどの電話があり、私は興奮した。
みな私のランニングに参加したいということだった。
幸田「 どのような人びとが参加したいと言ってきたのですか。」
バンクス
アメリカインディアン、白人、
アフリカ系アメリカ人、アジア系アメリカ人。
50人のランナーが集まった。
幸田 「その時、バンクスさんは何歳くらいだったのですか。」
バンクス
42歳でした。
「セイクレッドラン」はこのようにして始まりました。
今でも毎年カリフォルニアで500マイル走っています。
幸田 「時期はいつですか。」
バンクス
7月です。
ケンタッキー、インディアナ、オハイオの各州でも行っています。
幸田 「そもそも環境問題について話し合うことになった
きっかけは何だったのでしょうか。」
バンクス
われわれにとっては常に大きな課題なのです。
私たちの基本的な信念は
「私たちは母なる地球とつながっている」ということです。
その時、ニューヨークに行き、
木々が上部から死んでいる様子を自分の目で確かめた。
「自分たちに酸素を与えてくれる種に対して、
どうして人類はこんなことができるんだろう」と思いました。
ニューメキシコではウラン鉱石を切り出した後の石材など、
放射能で汚染されているもので氾濫した川を目の当たりにした。
最悪なのは、彼らは50年代にはウラニウム鉱山から掘り出した
汚染されたブロックをナバホ族の居留地に運んで、
ただで家がつくれると言って彼らに与えた。
そして実際にそれを使って家が建てられたのです。
幸田 「信じられませんね。鉱山会社ですか。」
バンクス
そうです。
ナバホ族を彼らの土地から追い出して、
ナバホの土地で採掘活動をして、
別の場所に採掘場所から出たブロックで「家をつくってあげる」と。
15の住居をつくったのです。
2年以内には子供たちは咳をし始め、
年寄りも咳をし始めて死んでいった。
幸田 「悲惨な話ですね。」
バンクス
われわれ先住民は
北米大陸の世話人として責務があると育てられている。
このような環境破壊を目の当たりにして、
ただただ泣いて座っているわけにはいかない。
20年以上も走ってきて、ゆっくりだけれど、
公害、大気汚染、土壌汚染、水質汚濁に関心が高まってきた。
アメリカ社会は変化するのがゆっくりなんだよ。
若い人の間から、新しい方向性が生まれてくるのを感じている。
とにかく私は歩き、または走り続ける。
若い世代、日本人であろうとアメリカ人であろうと、
彼らが変化を起こすまで、彼らと走り、会って、話して、伝えたい。
幸田 「何人くらいの人が一緒に走るのですか。」
バンクス
次のランニングはオーストラリアですが、
200人ほどが世界中から参加する予定です。
日本から50人、アメリカから20人くらい。
アメリカ人のほとんどはアメリカインディアンです。
幸田 「世界のさまざまな国で走られて、
人びとの反応は違いますか。」
バンクス
日本の高校生は私が言うことを信じない。
「どうしたら樹木が自分の兄弟・親戚だと思えるのか」
という質問がくることが多い。
若い白人の若者も同じ。
若いインディアンからはもちろんこういう質問はありえない。
「どうしてバッファローが兄弟なのか」。
われわれはつながっているという哲学を、
環境から離れた状態で育った人びとに理解してもらうのが
最も難しい。
(1999年1月23日東京都内にてインタビュー)
/デニスバンクスナワ カミックさん
(アメリカインディアンリーダー)より
/シャーミンのエコインタビュー