ホツマのきらめき

四季折々の風景や花など、気ままな「ホツマワールド」です。

ホツマワールド

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相乗効果

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写真は、我が家の「三匹のサムライ」たち。/歌川広重画

MISIA - 逢いたくていま                                


待夢トラベルの『自観の旅』。・・・
時間を縫って「旅の空」からお便りします。

灯火を心に、心に灯火を・・・。 /安斐路


               
 
こどもの日 大人との共生を探りたい
 子供は社会の宝だといわれる。どの子供も例外なく、大切に思われるような社会でありたい。
 少子化に歯止めがかからない昨今では、子供の「数」にだけ大きな関心が向きがちである。もちろん、子供人口の減少は将来の働き手の減少、ひいては国力の衰退にもつながる。数が大切な要素であるのは確かな事実だ。
 しかし一方で、子供たちの放つ宝石のような輝きにも目を注ぐことを忘れてはなるまい。わが子や孫は言うに及ばず、近隣の子供であっても、その澄んだ瞳やあどけない笑顔、屈託のない笑い声はしばしば、周りの大人を感動させ、元気づけてくれる。
 悲しいのは、そんな笑顔や笑い声を子供から奪ってしまうようなニュースが一向に後を絶たないことである。虐待や暴行、いじめのほか、子供の貧困も重大な社会問題として浮上している。
 子供の声を「騒音」と捉えるかのごとき風潮も一部で起き、近隣住民と保育所などとの間でトラブルとなっている。地域の住環境を含めたさまざまな問題もあるのだろうが、大人が知恵を出し合い、解決への道を探ってほしい。
 子供は遊びの中で多くの知恵を身につけ、集団のルールを覚えていく。ロバート・フルガムによるベストセラーの書名、「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」は、決して誇張ではないだろう。
 子供の騒ぐ声がときにうるさく聞こえることもあるにしろ、無邪気に遊ぶさまについ童心に誘われるといったことは、誰もが経験しているに違いない。
 これもまた平安時代の歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中に「遊ぶ子どもの声きけば わが身さへこそゆるがるれ」とある通りで、子供の遊ぶ声にわが身もつられて揺り動くというのだ。大人と子供が共生する意義が、この一節から見えてきはしまいか。
 最近は、保育所などの子供用施設と高齢者用施設との一体化を図る取り組みもある。いわば地域における「幼」と「老」の共生で、子供は高齢者から思いやりの心やマナーなどを学び、高齢者は子供と接することで表情が豊かになり、生活意欲も高まるという。相乗効果は小さくない。
 きょうは5月の空を泳ぐ大小の鯉(こい)を眺めながら、路地に響く子供の声にも耳を傾けるとしよう。






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写真は、長久手合戦主戦場の一つ岩崎城趾」/昨年(11/22)コンデジ撮影。



APECに受け継がれる「大東亜共同宣言」の理想

 昭和181943)年11月に発せられた大東亜共同宣言には、
 「大東亜各国は相提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を英米の桎梏(しっこく)より解放して其の自存自衛を全(まっと)うし左(HP作者注:ここでは下の事です。)の綱領に基づき大東亜を建設し以って世界平和の確立に寄与せんことを期す」
 とある。
 すなわちアジア全体が植民地から解放され、自存自衛を果たすことによって世界平和に寄与することを目指したのである。
 そのために次のような綱領が掲げられた。(ここでは5つの綱領の内3つを掲げる)

一、
大東亜各国は協同して大東亜の安定を確保し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
一、
大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦(ごじょとんぼく)の実を挙げ大東亜の親和を確立す
一、
大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
 かくのごとき日本の理想の基に大東亜の戦いを遂行したのであるが、平成51993)年秋のAPECのシアトル会議で採択された「アジア・太平洋経済協力貿易・投資枠組み宣言」の中には次のことが明記された。
一、
アジア・太平洋地域の開かれた地域主義と市場経済に基づく相互依存関係の一層の発展に努力する。
一、
各国の発展的段階や社会政治体制の相違を認識するとともに、途上国の要望にも十分配慮する。
一、
世界の貿易・投資に関し、APECが活力ある相互依存のビジョンを示し、域内の相互利益を代表することを、世界に示す。

 これらの内容は、まさに我が国が大東亜共同宣言において示した、アジア諸国がお互いの自主独立を尊重しながら、かつ互恵の精神で緊密な協力の下に経済的発展を実現し世界に寄与するとの理想をそのまま受け継いでいると言える。
 大東亜戦争において掲げられた理想は半世紀を経て実現化の大きな一歩を踏み出し始めようとしていると言っても過言ではない。
 大東亜戦争における英霊の輝かしい行為がアジアを世界の中心舞台に登場させ、21世紀を主導する力を与えんとしている。
 大東亜戦争を侵略戦争として断罪し、他国に謝罪することによって国際協力を果たそうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しようとするかは、同じ世界への寄与でも全く違ってくる。
 未だ世界には、大国によって植民地化されている国や地域、また大国によって圧政をうけ、事実上植民地主義の犠牲となっている国や地域が数多くある。
 それらを解決する為に国力を傾けることこそ、世界平和に貢献する道であるが、そのことを遂行する力の源泉は前者からは決して生まれず、後者によって初めて生まれることを私達は知らなければならない。
 その誓いこそが、大東亜戦争の終結から50年を経ようとしている今日において重要なことではなかろうか。



*関連






幼い心に映る

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写真は、「遊び」は「学び」/(12/30)庭で、コンデジ撮影。


 昨日からA香港型・・・に罹患。最悪の体調です。
 皆様もご自愛あれ! /安斐路

イワレビコ誕生(2)生まれながら聡明、意志固く
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狭野神社に伝わる神武天皇の画


 〈神日本磐余彦天皇(かむやまといはれびこのすめらみこと)、(ただのみな)は彦火火出見(ひこほほでみ)、彦波瀲武盧茲草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあへずのみこと)の第四子なり。母は玉依姫(たまよりひめ)と曰(まを)し、海童(わたつみ)の少女(おとむすめ)なり
 カムヤマトイハレビコノミコトの出自を日本書紀はこう記す。父は天孫ニニギノミコトの孫、ウガヤフキアエズノミコト。母はワタツミノカミの娘、タマヨリビメ。夫婦の第4子の人柄を書紀はこう褒める。
 〈天皇生れながらにして明達(さか)しく、意かたくまします(=聡明(そうめい)で確固たる意志を持っていた)〉
 ニニギの降臨地は、筑紫の日向の高千穂。諸説あるが、後の日向国とするのが通説で、イハレビコもまた、大和に向かうまでの45年間、日向に住んでいたことが記紀の記述から推測される。自然、宮崎県内にはイハレビコの伝承地が多いが、生誕伝説は各地に残っている。
     ◇
 〈ようこそ神武の里たかはるへ
 霧島山を境に鹿児島県と接している宮崎県高原町に入ると、こうした看板が目に入る。同町はイハレビコにまつわる伝承地が多く残り、生誕地「皇子原(おうじばる)」もその一つ。繰り返される火山の噴火で史料は焼失しているものの、口伝として残されてきたという。
 「古来、皇位を継ぐ者の幼少名に生まれた地名をつけることがよくある。ここに残る狭野(さの)という地名がまさに、それに当たると思うのです」
 同町まちづくり推進課の大学康宏氏は、皇子原近くに狭野神社があり、イハレビコが幼少名「狭野尊(さののみこと)」を名乗っていたことから、そう話す。同じく生誕伝承がある宮崎県高千穂町の「四皇子峰(しおうじがみね)」や宮崎市の「佐野原」よりも生誕地の可能性が高いという主張である。皇子原が、天孫降臨の地とされる高千穂峰の麓に位置していることも生誕地伝承に説得力を持たせる。
 「高千穂は皇室の御本元。ウガヤフキアエズとタマヨリビメは、ニニギノミコトが地上に降臨した高千穂峰の麓に帰り、出産したということでしょう」
 同神社の松坂督亮(よしあき)宮司はそう推測する。
     ◇
 高原町内には、イハレビコの幼少期の足跡も数多く残る。皇子原公園内の皇子原神社に祭られる石「産場石(うべし)」は、イハレビコが産湯をつかった場所とされる。湯之元川の「血捨之木(ちしゃのき)」は出産したタマヨリビメが諸物を洗い清めた場所と伝わる。皇子原神社に続く石段横には、イハレビコが腰掛けた「御腰掛石(おこしかけいし)」が碑とともに残っている。
 こうした伝承地は昨年の建国記念の日、にぎわいを取り戻した。古事記編纂(へんさん)1300年を機に神話に注目が集まり、同町観光協会主催の「第1回日本発祥地まつり」が開催されたためだ。古代衣装を着て練り歩くご神幸行列では長年、神社に眠っていた御輿(みこし)も登場し、約2000人の参加者を集めた。
 同協会の福留宜文事務局長が言う。
 「高原が日本国の始まりだったという認識、忘れられていた誇りが再び、芽生えてきたようです」
    

 ◇◇
【用語解説】聖蹟伝承地
 神武天皇の伝承地を示す碑の多くは昭和15(1940)年の皇紀2600年までに建てられた。宮崎県では昭和12年、結成された祝典奉賛委員会が各地の伝承地を調査、14カ所を聖蹟伝承地と定めた。
 その後、伝承地のほかに陵墓参考地なども顕彰することとなり、各地で土地の買収や神社、標柱の建設などが行われ、顕彰された。高原町の「皇子原」、高千穂町の「四皇子峰」、宮崎市の「佐野原」はすべて顕彰の対象になった。
 15年には橿原神宮境域と畝傍山東北陵参道、宮崎神宮境域の拡張整備なども完了した。
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【神武・海道東征】イワレビコ誕生(3)幼い心に映る「水穂」の原風景






国作りの王道

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写真は、大雪の朝/(12/18)庭で、コンデジ撮影。



イワレビコ誕生(1)文明伝播 国を豊かにする旅
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復元された神武の荒御魂(武人)像(写真中央)。楯から八咫烏が消えている=宮崎市(恵守乾撮影)
 宮崎市の高台、平和台公園に「平和の塔」が建っている。神事で用いる御幣の形に模して石柱を連ね、高さ36・4メートル。昭和15(1940)年、皇紀2600年を記念して建てられ、十銭紙幣に描かれるほど親しまれた。
 戦前は名称も異なった。「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」。カムヤマトイハレビコノミコト、後の初代神武天皇が日向から東征し、大和に橿原宮を造営した際の言葉が基になっている。
 「六合(りくがふ)を兼ねて都を開き、八紘(はちくぉう)を掩(おほ)ひて宇(いへ)と為(な)さむこと、亦可(またよ)からずや
 日本書紀にそうある。四方の国々を統合して都を開き、天下を覆ってわが家とすることははなはだ、よいことではないか、という国造り宣言である。
 この故事に基づいて、塔の四隅には神武の4面性を示す像が配された。荒御魂(あらみたま、=武人)、和御魂(にぎみたま、=商工人)、幸御魂(さちみたま、=農耕人)、奇御魂(くしみたま、=漁人)である。このうち荒御魂像は終戦で削り取られた。軍国主義を憎んだGHQの指示だった。
 荒御魂像は昭和37(1962)年、市民らの要望で復活した。ただ、大切な故事が抜けていた。像が持つ楯に描かれていた八咫烏(やたがらす)が、鳥とも鶏とも見える不思議な絵に変わっていたのである。
 「3本足ではないので、八咫烏ではないことは間違いない。復元に当たった職人が、東征の故事を知らなかったためのミスです」
 塔の案内をする宮崎市神話・観光ガイドボランティア協議会の湯川英男副会長はそう話す。八咫烏は、イハレビコを熊野から大和まで導いた高天原(たかまがはら)の使いで、今でも日本サッカー協会のシンボルになっている。この故事さえ知らない日本人が増えたことを、新たな像は示している。
 「東征は実は軍事行動だけではなく、3つの文明・文化を伝播(でんぱ)する旅でした。稲作と鉄器、そして灌漑(かんがい)技術です」
 宮崎県延岡市の情報サイト「パワナビ」の黒田健編集長はそう話す。黒田氏は宮崎市などが3年前、東征ルートをたどるキャンペーンを計画した際、イハレビコゆかりの地200カ所以上を踏査した。
 「たとえば今は無人の島の海岸近くに井戸を掘ったりしていて、その技術の高さに驚きます。東征は道々の人々の生活を変えていく旅だったと思います」
 古事記では16年間、書紀では6年間かかったとされる東征は、建国神話にふさわしい内容になっている。そう指摘するのは立正大の三浦佑之教授である。
 「イハレビコは太陽の御子だが、苦難の旅を続け、各地の民と葛藤しながら、成長しながら国の中心部を目指す。敵対者が現れた時には援助者が現れ、道を開いてくれる。まさに王道を描いた物語だと思います」
 三浦教授は、神武天皇誕生で日本の神話は完結すると読む。神代と人代をつなぐ存在がイハレビコなのである。
 「現存する神武の絵姿を見ると、明治天皇に似ているものが多い。明治維新の近代国家造りが、建国の神話と重ねやすかったためでしょう」
 近代日本のスローガンは富国強兵、殖産興業。この文言は、「平和の塔」の四魂(しこん)像と全く同じバランスで構成されている。商工人、農耕人、漁人がいて武人がいる。4分の3は国民を豊かにする人、する言葉なのである。
 神武の国造りの精神は現代にも通じる。戦後70年。忘れられた東征の物語を1年間追ってゆく。   =続く(次回「高千穂、日本の始まりの地」は1月11日に掲載)
 ◇
【用語解説】交声曲「海道東征」
 詩人・北原白秋(きたはら・はくしゅう)が記紀の記述を基に作詩し、日本洋楽の礎を作った信時潔(のぶとき・きよし)が作曲した日本初のカンタータ(交声曲)。国生み神話から神武東征までを8章で描いている。
 皇紀2600年奉祝事業のために書かれ、戦前は全国で上演されて人気を集めたが、戦後はほとんど上演されなくなった。昨年の建国記念の日、白秋の郷里・熊本で復活上演され、話題になった。
 白秋の詩は、記紀の古代歌謡や万葉集の様式を模して懐古的な味わいがあり、信時の曲は簡潔にして雄大と評される。
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【河村直哉の国論】展望・平成27年:「日本を大切に」多くの人の思い…中韓の仕掛ける歴史戦、日本人はひるまず立ち向かう







神庭の谷の最奥部

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写真は、大雪の朝/(12/18)庭で、コンデジ撮影。



「出雲神話=虚構」は崩れ去った…            空白地帯の山陰で青銅器が次々発見
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古代史を書き換える発見として注目を浴びた荒神谷遺跡(島根県出雲市提供)
 昭和59年夏のことであった。出雲市斐川町神庭(かんば)の谷奥の道路建設予定地から、358本という驚愕的な数の銅剣が発見された。そもそも出雲は青銅器文化の空白地帯とされ、ほとんど出土例はなかった。全国から出土した銅剣は約300本とされていたから、空白地帯のただ1カ所から出た数量は圧倒的であった。この遺跡は、付近に荒神が祀ってあったことから荒神谷(こうじんだに)遺跡と名づけられた。全国の熱いまなざしが荒神谷に注がれた。
 誰が、何のために埋めたのか。何故、整然と並べて埋めてあるのか。そして、最大の謎は、何故、神庭の谷の最奥部に埋められていたのか。
 翌60年の夏、再び荒神谷は熱気にわいた。前年出土した大量の銅剣のわずか右7メートルの地点から、今度は銅矛16本、銅鐸6個が発見されたのである。今回も数々の驚きがあったが、なんといっても最大の驚きは、銅矛・銅剣という武器型祭器と銅鐸という鳴り物祭器が同じ場所に埋納されていたということであった。
 荒神谷遺跡はいくつかの定説を覆すとともに、多くの謎を提示した。その謎はほとんど解明されないまま30年が過ぎた。ただ一つ言えることは、荒神谷を中心とする西出雲に、弥生中期頃、大きな政治勢力が存在していたのではないかということである。
 荒神谷発見から12年後、平成8年秋のこと、荒神谷から東南東3・3キロ、雲南市加茂町岩倉の道路建設現場で、ショベルカーに掬(すく)いとられるかたちで、銅鐸39個が発見された。今まで最大の出土量を誇っていた滋賀県野洲市の大岩山遺跡の24個を上回る驚くべき数量だった。荒神谷の380個、岩倉の39個はそれぞれ一括国宝に指定された。
 かくして出雲は、一躍青銅器文化の先進地に躍り出たのである。この前後、山陰地方では相次いで大規模な弥生遺跡が発見された。すなわち、西谷墳墓群(出雲市)、田和山遺跡(松江市)、妻木晩田(むぎばんだ)遺跡(鳥取県米子市・大山町)、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市)など。これらはすべて国の史跡に指定された。弥生中期の山陰は、列島のなかで最先進地域だったのである。その中心が出雲であったことは、遺跡分布の濃密さからみて明らかである。
 華やかな神話の根底に豪華な考古知見が存在していたのである。出雲神話は全てが虚構だとする論拠はかくして崩れ去った。幾層にも修飾されたその底に、史的真実が潜んでいるのだ。それを引き出すのが研究者であろう。
 国引きの神話は、大和の史官による「机上の製作」ではない。古代出雲びとがつくりあげたものだ。ダイナミックで壮大な国造り神話の背景に、荒神谷遺跡等が物語る弥生中期の繁栄があったと考えるのは誤りだろうか。
 藤岡大拙(ふじおか・だいせつ) 昭和7年、島根県出雲市生まれ。京都大文学部卒業、同大学院修士課程(日本中世宗教史)修了。島根県立島根女子短大(現県立大短大部)教授、同学長、県立八雲立つ風土記の丘所長などを歴任。現在、荒神谷博物館長、出雲弁保存会長なども務める。「山中鹿介紀行」「今、出雲がおもしろい」「神々と歩く出雲神話」「出雲弁談義」など著書多数。出雲弁を交えた軽妙な講演は人気が高い。
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【出雲学談義(3)】「出雲神話」は政治性の強いフィクションだった?






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