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明治三十一年(1898)一月、ネパールの南境に近い英領インドのピプラーワーというところで、
イギリスの駐在官ウィリアム・ペッペが古墳の発掘作業中
ひとつの人骨を納めた蝋石の壺を発見した。
その壺には西暦紀元前三世紀頃の古代文字が側面に刻みこまれており、
それを解読し「原始仏典」の記述と照らし合わせたところ、
その人骨は釈尊の八つに分祈された内の一つに違いない、ということになった。
インド政庁は舎利瓶その他をカルカッタの博物館に納めたのであるが、
釈尊の遺骨についてはこれを仏教国であるシャム国の王室に寄贈した。
シャム国国王はワットサケットに安置し、
一方その一部を同じく仏教国であるセイロン・ビルマに分与した。
この時日本のシャム国弁理公使稲垣満次郎がこれを聞きつけ、
日本の仏教徒に対してもその一部を分与して欲しいと懇願し、
その結果「シャム国国王より日本の国民への贈物」として下賜された。
直ちに日本仏教各宗官長に対して受け入れ態勢の要請がなされ、
当時の仏教十三宗五十六派の管長は仏骨奉安の寺院を超宗派で建立することとなった。
仏教各宗の代表が集まって寺院の建立計画を協議したが、候補地をめぐって意見が分かれ、
これの調整に甚だ難渋したあげく、名古屋官民一致の建立計画が最後に功を奏し、
ようやく名古屋に新寺院を建立することに決した。
名古屋市民あげての協力によって現在の地に十万坪の敷地を用意し、
明治三十七年(1904)、釈尊を表す〝覚王〟を山号とし、
日本とシャム国の友好を象徴する〝日暹寺〟の寺号をもった覚王山日暹寺が誕生した。
この寺院は成立の性格上、日本仏教徒全体の寺院であり、
いずれの宗派にも属していない単立寺院であって、
その運営に当たっては現在十九宗派の管長が輪番制により三年交代で住職を務め、
各宗の代表が役員となって日常の寺務に携わっている。
日本でも唯一の全仏教寺院として特異な存在となっている。
「覚王山日泰寺略記」より
写真は、覚王山日泰寺にて。・・・五重塔の「宝珠と九輪」/本堂の御本尊「釈尊金銅仏」。
*九輪について/宝輪の部分が九つの輪で出来ているので九輪と呼ばれます。相輪とも呼ばれます。
「宝珠(ほうしゅ)」はお釈迦さまの遺骨を納めるところとされます。
「竜車(りゅうしゃ)」は高貴な人をのせる乗り物を表します。
「水煙(すいえん)」は火炎の透し彫のデザイン。 火を嫌うことから水煙と呼ばれます。
「宝輪(ほうりん)」は九つの輪。 五大如来と四大菩薩を表します。
「請花(うけばな)」は前記までのものを受ける飾りの台です。
「伏鉢(ふせばち)」はお墓の原形の土まんじゅうの部分になります。
「露盤(ろばん)」は 伏鉢の土台です。
中央を貫く心棒の部分は、「刹管(さつかん)」または「擦(さつ)」と言います。
**以下のURLも御覧下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816ohari/11440056.html /秘すれば花
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816ohari/16131528.html /カミとホトケの両立
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816oari/32476977.html /雪やこんこん
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816owari/9799869.html /バルーンフラワー
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816oari/31151096.html /「円空さあ」のこと
http://blogs.yahoo.co.jp/hotsuma816owhari/3438654.html /春の夢物語
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