ほつまのともしび

四季折々の気ままに撮った風景や花

若狭/近江

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神体山

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「秀真伝(ほつまつたえ)」によれば、天照大神の神話時代の執政地がこの地のようです。
祖父の豊受大神は彼の養育全般に関わったとされ、
内宮と外宮に対置して祭られることになりました。
 出雲の役人が不正を働いたのをきっかけにこの地で執政されるようになったようで、
この時に、世界を行幸するために使われたのが、天駈ける「天の鳥舟」だったと言います。
 この地には、UFO目撃者も多いようで、内宮裏の日室岳周辺から出て、
外宮裏の矢部山に入っていくように見えるそうです。元伊勢外宮は舟岡山にあります。・・・

 内宮の境内から奥宮の天岩戸神社へ向かう参道の途中に
秀麗な山容を見せる神体山の「日室ヶ嶽遥拝所(一願さん)」があります。
この遥拝所から、みごとな稜線を見せる、優美な三角形の日室ヶ嶽(天照大神)を遥拝すれば、
必ず望みが叶うという「一願成就」の慣習が語り継がれています。
 夏至の日にここから眺めると、太陽が神体山のちょうど山頂に沈むという現象が見え、
それは神々しいばかりの感動を呼ぶ光景のようです。・・・

 日室ヶ嶽は「岩戸山・城山・日裏が岳・日室岳」など多くの別称を持ち、
神霊降臨の聖山と伝えられ、山頂には大きな磐座と、石を規則的に並べた謎の造型物があるそうです。
山の東斜面は聖域として禁足地とされてきました。
遥拝所の下は切り立つ崖で、宮川(五十鈴川)の流れる水音が聞こえてきます。・・・

 この自然の偉観に惹かれてか、数々の新興宗教(大本教など)の聖地として位置付けられたり、
今でも宗教的修行者やニューエイジ系の人々にとっては格好の修行の場となっています。
 昭和六〇年代(1980年代)、週刊誌に『日本一美しいピラミッド』と紹介されて以来、
岩戸山は神奈備山として、超古代史ファンを中心に注目を集めるようになり、
地元の大江町が発行している観光マップにも、 ピラミッドと記載されています。

 『日室ヶ嶽に相対峙する山を高底城山という。高底城とは御陵地の尊名であり、
ここは皇大神の御遺骸を納めた地である。』との伝承もあるようです。

 日室ヶ嶽遥拝所から裏参道をしばらく下ったところに、「天岩戸神社」があります。
鳥居をくぐり、不規則に並んだ急な石段を下りたところに宮川(五十鈴川)の渓流があり、
その渓流の巨岩の上に天岩戸神社は鎮座しています。
御座石・神楽岩・大神の産盥・鯉返し岩などの奇石もあり、
「皇大神社」の奥宮に位置づけられる神社です。

 江戸中期頃にここを旅した俳人、加賀千代女の旅日記の一節に、
「此山大木数多有れども大昔より一本も杣入れず 産湯の釜 産だらいという岩あり 
此岩何程湛水しても水増さず 百日の旱りにても一合も水干ることなし。
 岩橋や われ涼しくは ぬるません」とあります。・・・

 皇大神社一帯は古代より聖地とされていましたが、明治になって、
大本開祖の出口ナオと大本聖師の出口王仁三郎が皇大神社を真の元伊勢と崇敬し、
天岩戸神社の清水で禊ぎを行った話も伝わっています。


写真は、「日室ヶ嶽遥拝所」と「五十鈴川」の渓流。(右手奥の巌上に天岩戸神社があります。)

麻呂子の杉

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 元伊勢内宮の正式名は「皇大神社」。御祭神は伊勢の内宮と同じ「天照大神」です。
社伝によれば、崇神天皇の時、大和笠縫邑から、ここへ天照大神のご神鏡を移し、
四年間お祀りしたと伝えています。
 正面の鳥居は、日本で二例しかない珍しい黒木(木の皮をつけたまま)の鳥居です。
本殿の周りには約八十社の境内社があり、古事記に出てくる神様がすべて揃っているとの事です。
近くには五十鈴川も流れていて宇治橋もあり、元伊勢の風情にふさわしいものがあります。
 社殿は神明造なのですが、「天地根元造」という珍しい建築様式で、
竹の幹を柱に用いて作られています。本殿に向かって左手には樹齢千年といわれる内宮のご神木、
巨木の「竜灯杉(りゅうとうのすぎ)」があります。
節分の夜、この竜灯杉の梢に、竜が灯をともすという伝承も残されています。
 また、本殿のすぐ横に独立して三女神社があり、
宗像(むなかた)系海人族の祖神である宗像三女神が祀られています。
竜神信仰は海人族(あまぞく)の信仰で、
境内社の中に浦島神社もあり、祭神は白土翁となっています。
 脇宮は西殿が「文化の神」を象徴し、東殿が「武の神」を象徴しているのだといいます。
正殿は「天照大神」ということで、文武を兼ね揃えた御神徳があるとされています。
 梅原猛氏がこの元伊勢に参拝した時に、「神とかそういった精神的なものを信じない人でも、
ここに来れば、聖なることとはどんなものなのか、自ずと感じることができるのではないか」
という感想をもらしたとも聞きます。

 古くからこの内宮には、麻呂子親王勧請説も伝えられています。
表参道の最上段に麻呂子親王お手植えの杉という巨杉があり、
土蜘蛛退治に丹後へ派遣された麻呂子親王が自ら植えた杉だとされていて、
そのうちの二本は落雷などで枯死し、現在は一本のみが偉風をとどめています。

 大江山には三つの鬼伝説が伝わります。一番古いものは
陸耳御笠(くがみみのみかさ)という土蜘蛛が、
嵩神天皇の弟の日子坐王(ひこいますのみこ)に退治されたという話。
 二つ目は、聖徳太子の弟の「麻呂子親王」が、
三上ヶ嶽(大江山の古名)で英胡・軽足・土熊という鬼を退治した話。
 そして三つ目が、有名な酒呑童子が源頼光に退治されたと言う話です。
酒呑童子は毒の酒を飲まされて討たれる時に、
「鬼に横道なきものを(鬼は人をだましたりしないぞ)」と叫んだと言います。
大江山の南麓の辺りには、昭和40年ころまで「河守鉱山」という大きな銅山があったそうです。


写真は、元伊勢内宮の「皇大神社」にて。・・・参拝を済ませての帰り際になってやっと、
カメラの不調が回復し、かろうじて一コマだけ境内の撮影ができました。
お許しが出てほっと一息です。・・・
カメラマンの習性として、対象に無遠慮に近付き過ぎる不用意さを、反省させて戴きました。

楠の巨樹の霊威力

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「皇大神社」は伝承によれば、いまを去る二千数十年前の第十代崇神天皇三十九年(BC59年)に、
「別に大宮地を求め鎮め祀れ」との皇大神の御教えに従い、永久にお祀りする聖地を求め、
それまで奉斎されていた倭の笠縫邑(現奈良県桜井市)を出御され、
但波(丹波)の当社へまず御遷幸されたと伝えられています。 
皇大神は、四年ののち再び倭へおかえりになり、さらに諸所を経て最終的に、
第十一代垂仁天皇二十六年(BC4年)に伊勢の五十鈴川上の伊勢神宮にお鎮まりになりました。
当社を内宮の元の宮として「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」、
「大神宮さん」などと呼ばれて、今に至るも庶民の篤い信仰が続いているそうです。

 一の鳥居を潜って石段を上ってゆく参道の傍らに、凄みのある楠の巨樹が目に付きます。
これは「癌封じ瘤木」と呼ばれている大楠です。
人間の悪性の病気を吸い取ってくれる優しさを感じさせながらも、霊威力のある大木です。
(実際、この樹の撮影の直後からカメラに不調が生じ、電池のせいかと思って交換しても駄目で、
自からの敬虔さの不足に恥じる思いをしました。)・・・
 「この幹に両方の掌を当てたらビリビリとしたものを感じ、
悪いものを吸い取って自らに瘤を作ったんだという思いがして、
思わず手を合わせてしまいました。・・・」と言う方もいるようです。


写真は、京都府加佐郡大江町字内宮の「皇大神社」(元伊勢内宮)表参道にて。

マナの壺

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「日本書紀」の雄略条には水江浦島子の逸話が紹介されていて、
これがのちの御伽噺「浦島太郎」の原型となったとも言われています。・・・

 恋多き雄略天皇((420-480頃))は残虐で好色なイメージが色濃く、
天下の人々から「大悪天皇」との謗りを受けているほど生命力旺盛な、
若い人に特有の浅計さと、剛毅さのある天皇だったようです。
神を神とも思わない、むしろ神と対等になろうとさえしていたと言われています。
ただ、神を恐れなかったところを当時の人々は「有徳」と呼んだそうです。

 その第二十一代の雄略天皇は即位されてから、神宝の「マナの壺」を開けようとしています。
ところが中から白い煙が出てきたので、慌てて閉め戻したと言います。
「天下に朕が開きて見られざるのなしとのたまいて、この黄金のつるべ、
すなわち甕の口を開かせ給いてたるに、中より白い煙が出でたるより、
かしこみてこれをもとのごとく密閉せしめたり」

 雄略天皇が見たのは、イスラエル三種の神器のひとつ、
ガド族が伝承したという黄金の壺「マナの壺」だったと言う人もいます。
天皇家のルーツは、失われた十支族の「ガド族」である可能性がある?そうです。

(新約聖書の「ヘブライ人への手紙」第9章4節〜5節)には、
 「そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた箱とがあって、
この中には、マンナの入っている金の壷、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、
また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。」
と記されています。・・・

「籠神社」の「籠」は、「壺(こ)」にも通じます。
「天真名井神社」は、ご祭神の「豊受大神」が、「天照大神」に神聖な食物を供える役目をする、
「マナの壺」の「神社」ということになるのかも知れません。

さて、今回の「籠の旅」もいよいよ大詰めです。少し先を急ぎます。・・・


写真は、「籠神社」と同じく元伊勢の、「元伊勢内宮・皇大神社」(大江町)にて。

不思議と神秘

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 籠神社にも伊勢神宮にもカゴメ紋(六芒星)があります。
六芒星は籠神社の奥宮「真名井神社」と伊勢神宮の別宮「伊雑宮(いざわのみや)」の社紋です。
籠目紋(六芒星/ダビデの星)は、天と地の合体、調和、和解を象徴しています。・・・

 真名井神社はヨサの宮といい、元初からイザナミノ尊が祀られていて、
「丹波(たにわ)の与謝の久志備(くしび)の真名井の宮」と言われていました。
 風土記その他の所伝によれば久志備は「奇霊(くしび)の浜」、
その天橋立は天と地を結ぶ架け橋であったと言います。
夫神のイサナギノ尊はこの梯で天から地上に通われたそうで、
 今の社殿の背後にある磐座の上でイザナミと同衾されている間に、
梯が倒れて天橋立になったと言う、なんとも大らかな伝承もあります。
 真名ヶ原には、二つの大きな巨石(磐座)があり、
「子種石」とか「鶺鴒(せきれい)石」とか呼ばれていて、
海部宮司家ではアマテラス出生の地と伝えているようです。
海部氏は一つを天御中主神の祭場として祀り、他の一つをアマテラスの祭場にしています。

 平安時代の初期、第五三代淳和天皇の次妃となった海部氏の厳子姫は、
与謝郡の出自で、皇妃時代に「真名井の御前」と呼ばれていました。
「嶋子(浦島伝説の主人公)の持ちたりし玉の箱」を所持していたそうです。
如意尼となってからは堂宇(神呪寺)を構え、弘法大師(空海)に弟子入りしています。
弘法大師は真井御前に似せた「如意輪観音」を彫り、その神呪寺に奉納したそうです。
 弘法大師は金星(妙見?)の守護を得ていたと言われています。
金星の神は豊饒の神であり、生殖の神と言われています。

「籠神社、亦の名浦島大明神」。・・・
まだまだ尽きせぬ程に、籠神社には色々な『秘記』などが伝えられていたり、
「不思議と神秘」の宝庫です。


写真は、野辺の実や花。・・・参詣帰り、花の香の匂う小径にて。

*「全日本大学駅伝」へのご声援をありがとうございました。御陰さまで無事につとめあげ、
また、多くの方から「良く映ってましたよ!」とのお言葉もいただきました。
皆様にもお礼を申し上げます。

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