写真は、千種区清明山の「清明神社」にて。/(3/10)
大本裏神業のはじまり
大本裏神業を語ることの出来る人はわずかしかいません。ここに紹介するのは当事者のことばです。大本裏神業は、大本教の信者ではなく一般人・辻正道氏に託されました。その当時の模様を今は亡き錦之宮のサイトから引用して紹介します。
辻正道氏と出口王仁三郎氏との出会い
昭和五年、正道殿は信徒としてではなく、一般の参加者として大本の研修に妻ゆき様と共に参加し、そこで初めて出口王仁三郎殿と会見することになります。講習の中に紛れていた正道殿に、王仁三郎殿が「おい」と手を振り指さし、その指先は正道殿に向けられておりました。
そして、「あんたは伊勢のカンノシか」と言葉を投げかけられ、綾部地方独特の訛りが神主という意味に聞こえた正道殿は「私はそのような者ではありません。伊勢の辻と申す者でございます」と応じますが、「いや、お前は伊勢のカンノシじゃ」「いや、私は伊勢の辻」と幾度となく応酬の上、しびれを切らしたような王仁三郎殿からの「お前、伊勢のカンノシじゃ、カンノシになれ」の言葉に止むなく黙って引き下がっていきます。
大本裏神業は表立ってやるわけにはいかないせいなのか、補佐役の日出麿氏が裏に回って活躍していました。日出麿氏がどのような人物だったかはのちに語るとして、まずは最初の補佐の仕事を御覧ください。「伊勢のカンノシ」の意味を説明した上に、雅号を変更するように言い渡します。
教主補佐・日出麿氏の登場
その場を黙って見ていました三代教主補佐の日出麿殿は、片手を上げて一言、辻殿に、その謎の意味を補足するように言葉をかけ、<シンノウジ>と伝えていきます。
正道殿は、絵とか和歌、書などをたしなみ、その号を、水の流れ去る如く淡々としてという意味で「如水」とつけて居られましたが、日出麿殿の「如水ですか、いや、違う、あんたは天水じゃ、天水でなければいけません」と以後天水と号する事になり、その意味についてはその時は理解することはありませんでした。
伊勢の神皇子と天水という位置付けを経綸上のみ働きとして与えられます辻天水殿は、時代が押し寄せる過酷な状況と神御経綸という定義に徐々に自身の秘めた存在感を、北伊勢の御在所岳に吹く風に乗って受け取っていくことになります。
天水氏は「世は総て神が造り給うものであるから、人はこの世に所有権がなく、すべからく天の大神さまのものである」という大本の教えに感銘を受け、辻家の全財産を大本に献上します。これにより、不思議なことが始まります。その後の展開を見るにつけ、ここは特筆すべきところだと思います。
全財産は総て天の大神さまのもの
辻天水殿は、暇みては大本で講義を受けることになりますが、その話の中に、世は総て神が造り給うものであるから、人は、この世に所有権がなく、すべからく天の大神さまのものである。 人にあるのは拝借権のみであるとその事に深い感銘を受け、もって生れた資質によって、今まで持っていました辻家の膨大な全財産を総て大本に献上していく事に成ります。
伊勢の自分の土地一切を献納したことで日出麿殿との話に出されます、「伊勢というと、あんたの所にある山から伊勢の海と四日市の海が見えますか」と尋ねられ、「はい、頂上に登れば見えます」と伝えますと、何かしら探していたように「其の処じゃ、其処に違いない、お前様の家に行きたい」と辻家に出向くことになります。
辻家では、大本から三代教主補佐の日出麿殿がみえるというので提灯を出して盛大に迎えることになりますが、祖霊様のボンボリの定紋を見た日出麿殿は、「アッ、此の定紋は」と絶句することになります。辻家の神霊的霊籍に置かれています辻家の表紋・剣のかたばみの裏紋としての月と日と十字を図柄にあしらった独特の家紋は、大本の裏紋の丸十とよく酷似して、厳瑞の型代としてあり、「あんさんの家はたいした家じゃ」と言わしめてしまいます。
こうして経綸上の型興しの踏み台として日出麿殿は辻家を二度尋ね、当時では一番大きい御在所岳の湯の山温泉にありました寿亭に三日間滞在し帰路につきますが、途中で立ち上がり外に向って礼をしていきます。「神様が出迎えに見えたから一寸会釈をした」と、また「お前様の履物とわしの履物を取り替えよう」と取り替え、しばらくしてまた元通りにしようと日出麿殿が言い出し、結局履物は元のところへ戻ることとなります。この経綸上の一連の行動は、後に続く神業のさきがけの型の仕組として日の出の神の辻鍵に携えられた仕組の型を形づくっていくことになります。
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