ホツマの黎明のブログ

気ままな「ホツマワールド」の付録続編です。

清明神社

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神懸かり

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写真は、名古屋「清明神社」の由緒書き。(3/10)
/京都の「晴明神社」に奉納された「安倍晴明公像」(ウェブ上から)。


 去る平成21年4月6日(月)15時より、                           晴明神社崇敬会によって奉納される安倍晴明公像の奉納奉告祭及び除幕式を執り行いました。
 安倍晴明公像は、当社所蔵の「御神像」(安倍晴明公の肖像画)を基に忠実に再現するべく、   出雲の阿国の銅像など制作で著名な彫刻家の山崎正義氏によって制作されました。



竜宮神示とは
 竜宮神示とは、辻天水氏と三雲竜三氏が、昭和13年に丹後元伊勢、
龍神社の奥宮の真名井神社に参拝した時に、三雲氏が突然神懸かり状態となり、
その際に天水氏が審神を行った処、「真名井龍神」という神霊と判明し、
それ以降昭和18年に至るまで、様々な神示が伝達されたもの。
 その内訳は「たま問答」「貴の神火山」「天の巻」「美火木物語」「三界物語」
「三元の理」「雑」「二名稿」の全8巻からなるとされている。


龍宮神示(1)−天の巻 主神下生−

神幽顕を統べ給ふ 主神は偉なる哉や実に
大空高く澄(透)明の  光を放ち永劫に
朽ちざるいのちたたへたる 日月星辰ことごとく
御旨のままに整々と ただよひ栄ゆ大宇宙
そのコウボウ(興亡)を仰ぎ見て この曠袤(翁)をこころとし
則の栄の道くれば 三千年も昨日の如
未来のはても明らけく 玉なす泉渾々と
胸裏にあふれ神の声 常にこころにささやきて
草香はしく風清し そも主の神の神霊は
神幽顕の三界に 満ちあふれたる三つの玉
変化自在の御心を 冶く生くるものの上に
常にメグミ(恵弥)を垂れ給ふ 時なき時はユダの神
エホバの神と澄みまして おのもの民の生くる道
開き給ひて或る時は 人間イエスキリストを
膝下に召して人界に 真理の綱(繋)を垂れ給ふ
綱(光)にすがりし民草を 洗い清めて後の世に
生くべき種を守りまし 唐天竺の釈尊は
御手に引かれて幾山河 こえきてこころ水晶の
玉の姿となりきたり 禽獣虫魚のはてまでも
その神愛に涙しぬ 釈尊キリストは今更に
云ふも及ばずその他に 人住む境いづくにも
祈りあがむるまめ人を 集むるところ必ずや
主神の権化臨みまし おのもに道を垂れ給ふ
宗教道は八千岐の 数はあれども一に帰す
宗教道の争闘も 三元分裂の今の世に
何等とがむることもなし 釈尊キリストも天上に
昇れば同じ神苑の 玉の台(ウテナ)によみがへる
されど釈尊キリストも 皆々人にありにしが
物質界の世のはてに 主神身づから泥海の
さ中に降りましまして 世の転換の大変に
點晴の業なし給ふ 神が顕界(オモテ)に現れて
まことの種を秘め守り 三千年の梅の花
一度に開くその時に 共に潰ゆる難を避け
ノアの方舟モーゼが いよいよまことに現はるる
神が口かり文字をかり 予言されたる数々の
事実(マコト)となりて現はるる 主神は下生(書記)したまへり
三つの巴は火を散らし 波をあららげて五つの島
七つの海はゆれゆれて 日輪二つ大空に
輝く世をば三元の 長き歴史の幕をとづ
世界最後の大芝居 悲劇の幕は神政の
歓喜と共に下るなり 主神は下生したまへり
古き汚きもろもろの 過去の教へを法を焼き
真理の綱を手に給ひ ただひとすじの神の道
松の栄えの御代に逢ふ 人の幸こそありかたき
真理と愛と光明の 一つに凝りしマニの玉
主神は下生したまへり 三々九度のヨルダンの
その河上の岩むろの 神秘の扉いま開く
いすずの川の川の末 五色の民は剣太刀
二大日輪背に負ふて 對ひ立ちたる比良坂の
一度に開く梅の花






恋の三社めぐり

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写真は、千種区清明山の「清明神社」にて。/(3/10)



全国からの参拝者が後を絶たない−晴明神社
 市バス清明山のバス停から北に歩くと清明山交差点があります。さらにそのまま北に進むと住宅街のなかにある小高い丘に、ポツンと神社があります。すぐ裏手にはナゴヤドームが見える、千種区の北端です。本当に小さな神社なのですが、この日も熱心にお参りする人がたくさんいました。こんな目立たないところにどうして、と思うのですが、何と全国からここにお参りにやってくる人が後を絶たないと言います。なぜなのでしょう。
 ここは晴明神社です。晴明とは安倍晴明、あの平安時代の陰陽師です。神社の至る所には「晴明桔梗」と呼ばれる星形の桔梗が結ばれており、一般的な神社とは異なる雰囲気を醸し出しています。時は987(寛和2)年、晴明は尾張国狩津荘上野邑に移り住みました。それまでこのあたりはマムシが多く村人は困っていたのですが、晴明の力によってその後全くマムシを見なくなったと言われています。千種区向陽には蝮ヶ丘八幡宮という神社もあることから、このあたりにマムシが多くいたのは間違いないようです。
 現在、晴明神社は綺麗に整備されていますがかつては祠があっただけでした。明治、大正、昭和の戦前にかけて清明山一体は陸軍用地となっていました。兵士たちはこのあたりで演習を行っていたのですが、その祠が邪魔で仕方ありませんでした。ある時数人の兵士が祠を移動させたり、塚の一部を壊したところ原因不明の高熱にうなされたため、それ以降は祠を大切に扱いました。
 やがて戦争が終わり1949(S24)年、現在も神社を囲む格好になっていますが、県営清明山団地を建設することになりました。塚を壊し、祠も移動してしまいました。すると工事中、突然足場が崩れ、作業員が亡くなる事故が2回連続で起きてしまいました。工事関係者が地中を掘ると地中からは石碑が見つかりました。石碑には何も書かれていなかったのですが、和紙で拓本すると「安倍晴明」という文字が浮かび上がったのでした。そしてその後、現在の社殿が建てられています。
 近年はコミックや小説、映画、ドラマと安倍晴明が取り上げられるようになり、若い女性が多く訪れるようになったと言います。妖怪使いで天皇にまで影響を与えたと言うそのイメージはどこか怖さを感じさせますが、この晴明神社は恋愛成就の神様としても知られており、千種区内にある城山八幡宮、高牟神社とともに「恋の三社めぐり」を地元女子高生が企画しています。陰陽師の力があれば、どんな恋だって叶うかもしれません。
 恋愛だけでなく、他にも病気平癒、開業、結婚、受験、防火などなどご利益があるそうです。さすが陰陽師です。あちこちに桔梗が結ばれているここに来ると、本当に不思議なすごい力があるような印象を受けます。妖怪も味方につけちゃいましょう。
2008229 ... 名古屋の個人的お勧め神社というと、晴明神社や、荒畑の八大龍王社と尾陽神社とか でしょうかね。 ...... 宮司は、の立場から西野神社における祭祀・神事を司ると共に、の立場から神社という法人の代表役員として神社の維持・管理の ...






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写真は、千種区清明山の「清明神社」にて。/(3/10)



大本裏神業のはじまり
大本裏神業を語ることの出来る人はわずかしかいません。ここに紹介するのは当事者のことばです。大本裏神業は、大本教の信者ではなく一般人・辻正道氏に託されました。その当時の模様を今は亡き錦之宮のサイトから引用して紹介します。

 辻正道氏と出口王仁三郎氏との出会い
 昭和五年、正道殿は信徒としてではなく、一般の参加者として大本の研修に妻ゆき様と共に参加し、そこで初めて出口王仁三郎殿と会見することになります。講習の中に紛れていた正道殿に、王仁三郎殿が「おい」と手を振り指さし、その指先は正道殿に向けられておりました。
 そして、「あんたは伊勢のカンノシか」と言葉を投げかけられ、綾部地方独特の訛りが神主という意味に聞こえた正道殿は「私はそのような者ではありません。伊勢の辻と申す者でございます」と応じますが、「いや、お前は伊勢のカンノシじゃ」「いや、私は伊勢の辻」と幾度となく応酬の上、しびれを切らしたような王仁三郎殿からの「お前、伊勢のカンノシじゃ、カンノシになれ」の言葉に止むなく黙って引き下がっていきます。

大本裏神業は表立ってやるわけにはいかないせいなのか、補佐役の日出麿氏が裏に回って活躍していました。日出麿氏がどのような人物だったかはのちに語るとして、まずは最初の補佐の仕事を御覧ください。「伊勢のカンノシ」の意味を説明した上に、雅号を変更するように言い渡します。

 教主補佐・日出麿氏の登場
 その場を黙って見ていました三代教主補佐の日出麿殿は、片手を上げて一言、辻殿に、その謎の意味を補足するように言葉をかけ、<シンノウジ>と伝えていきます。
 正道殿は、絵とか和歌、書などをたしなみ、その号を、水の流れ去る如く淡々としてという意味で「如水」とつけて居られましたが、日出麿殿の「如水ですか、いや、違う、あんたは天水じゃ、天水でなければいけません」と以後天水と号する事になり、その意味についてはその時は理解することはありませんでした。
 伊勢の神皇子と天水という位置付けを経綸上のみ働きとして与えられます辻天水殿は、時代が押し寄せる過酷な状況と神御経綸という定義に徐々に自身の秘めた存在感を、北伊勢の御在所岳に吹く風に乗って受け取っていくことになります。

天水氏は「世は総て神が造り給うものであるから、人はこの世に所有権がなく、すべからく天の大神さまのものである」という大本の教えに感銘を受け、辻家の全財産を大本に献上します。これにより、不思議なことが始まります。その後の展開を見るにつけ、ここは特筆すべきところだと思います。

 全財産は総て天の大神さまのもの
 辻天水殿は、暇みては大本で講義を受けることになりますが、その話の中に、世は総て神が造り給うものであるから、人は、この世に所有権がなく、すべからく天の大神さまのものである。 人にあるのは拝借権のみであるとその事に深い感銘を受け、もって生れた資質によって、今まで持っていました辻家の膨大な全財産を総て大本に献上していく事に成ります。
 伊勢の自分の土地一切を献納したことで日出麿殿との話に出されます、「伊勢というと、あんたの所にある山から伊勢の海と四日市の海が見えますか」と尋ねられ、「はい、頂上に登れば見えます」と伝えますと、何かしら探していたように「其の処じゃ、其処に違いない、お前様の家に行きたい」と辻家に出向くことになります。
 辻家では、大本から三代教主補佐の日出麿殿がみえるというので提灯を出して盛大に迎えることになりますが、祖霊様のボンボリの定紋を見た日出麿殿は、「アッ、此の定紋は」と絶句することになります。辻家の神霊的霊籍に置かれています辻家の表紋・剣のかたばみの裏紋としての月と日と十字を図柄にあしらった独特の家紋は、大本の裏紋の丸十とよく酷似して、厳瑞の型代としてあり、「あんさんの家はたいした家じゃ」と言わしめてしまいます。
 こうして経綸上の型興しの踏み台として日出麿殿は辻家を二度尋ね、当時では一番大きい御在所岳の湯の山温泉にありました寿亭に三日間滞在し帰路につきますが、途中で立ち上がり外に向って礼をしていきます。「神様が出迎えに見えたから一寸会釈をした」と、また「お前様の履物とわしの履物を取り替えよう」と取り替え、しばらくしてまた元通りにしようと日出麿殿が言い出し、結局履物は元のところへ戻ることとなります。この経綸上の一連の行動は、後に続く神業のさきがけの型の仕組として日の出の神の辻鍵に携えられた仕組の型を形づくっていくことになります。








世の大峠を知らす神柱

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写真は、千種区清明山の「清明神社」にて。/(3/10)



・・・・・ 

3大本以外で出ても不思議ではない 
 今迄の連続する経緯(天理・金教・黒住等といったものから数えて)を見ても、或る特定の団体に於いてのみ、専属神的な立場で、現れている訳ではないと、思えますので、この点に関しては、自分としては、かなりアバウトです。実際の所を言えば、日本の『大本』という所では、艮の金神という神名で出てはいるものの、世界各地の至る所で、世の大峠を知らす神柱が現れるぞ、という大本神諭の内容から見ても、もっとグローバルな展開であるはずであるので、余り固有の団体に固執してしまうと、またもや、各宗派や教義的に囚われた宗教戦の如くなってしまうので、気を付けるべき(勿論、盲信も危険)ではと、思います。

4しかし、否定的な逸話もある
 しかし、徳間書店から出版されている「竜宮神示」という本の中には、辻正道氏が日月神示をじっと眺め「ちょっとおかしいな、神様がこんなことを書くはずが無い」と言い、前述の武智時三郎氏が天明氏に「お前、これ本当に神様が書いたのか?」と問い詰めたところ「すいません、自分で書いたように思います」と平謝りであったという。
 この事が本当であるなら、正に日月神示は天明氏が、自我で書いた偽者という事になります。しかし、今でも綾之宮と天明氏の至恩郷が、ずっと続いているというのは奇異な感じを受けます。又綾之宮の小笠原登美子女史は、その様なエピソードがあったという記憶は無いそうです。
 とすると、現存する関係者で、最も近い存在の登美子女史が、否定するというのは、以上のエピソードは果たして何処が出所なのか不明なのですが、ただ、日月神示は確かに、上巻と下巻では異質の感じを受けます。
 それは、上巻では総て数字を中心に書かれている神示が、下巻はそうでも無いようだからです。それと上巻のものは必ず神示の最後には「あめのひつく神しるす」などのサイン(?)が有りますが、下巻には何も無いものも存在するのも、違う点です。

因みに、自分としても、不思議であったのが、日月神示上巻の最後のこの一節です
 
 
 
二三巻でこの方の神示の終わり、終わりの終わりぞ、後の七巻は他から出してあるのざぞ、いづれ判りてくるぞ

-『日月神示』/岡本天明伝達より-
 
 
 
 つまり、上巻の一番最後に、日月神示はこれで終わりだぞ、と明示的に書かれてあるもので、何故に下巻が存在しているのか、そこが謎であったのです。

 これらの事を踏まえると、一応日月神示は上巻は信用に値するものの、下巻はまだまだ予断の許さない部分が多いと、認識しておいた方が、良いと思われます。







日月神示の正統性

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写真は、千種区清明山の「清明神社」にて。/(3/10)



 
- 日月神示の正統性 - 


 何に関わらず、こういった物事に対して、さしたる審神法を学んだ事も無い自分が、どうこう言えた義理ではないものの、日月神示には幾つかの疑問点もあります。しかし、上巻に当たる神示(現在出版されている『ひふみ神示(上巻)』)部分は、自分が読んだ限りにおいて、王仁三郎氏の「霊界物語」や直子氏の「大本神諭」等と、違いは見つけ難く、又王仁三郎氏の著作の多くに、同じような内容の記述が多く見受けられます。

 はっきりいって、日月神示を読んでいて、余り意味が分からない部分の多くが、霊界物語を読んでみて「ああ、こういう事なのか」という風に、気が付く事も多く、その意味での関連性はあると思います。ただ、天明氏が慎重に総てを綿密に調べて、つまり大本の著作を調べて、全くの自分の意志で書いておきながら、神示が出たと主張する、こういう事は、不可能でもないと思います。
 実は、王仁三郎氏は、神示に書かれた内容を、平易に分かり易く、人民に説くという役目を担っていたという事で、実際には大本神諭や伊豆能売神諭等の解釈であろうとは思うものの、日月神示を解釈する上でも、大変に参考とする事が出来ます。実際に自分も王仁三郎氏の著述で、色々な勘違いや思い違いといった事が、多々あった事に気がついたくちです。
 実際のところ、何やら出所の不明な胡散臭い、神示も世の中に多くあるようです。又そうした類いの預言が沢山に出て来るから、気を付けよ、という事が、伊都能売神諭等にも、でてきます。

 自我ではなくても、その当人の守護神などが、大本の筆先を調べて、似たような筆先を書くという事が、実際に大本に起こっていた様でもあり、この場合、実際に筆を書かされた当人が、本物の神が懸かって神示を伝達した、と信じ込む訳ですから、中々一筋縄では行かないでしょう。ただ、日月神示に関しては、大本の筆先の出方と比較しても、結構な説得力を持っていると、感じます。
・・・・・
第一章 一連の物語 4 日月神示/岡本天明氏-その2 徐々に出来上がり ...
 
 



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