ホツマの黎明のブログ

気ままな「ホツマワールド」の付録続編です。

建中寺

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

イメージ 1

イメージ 2
写真は、建中寺の紅梅は今、見頃を迎えています(3/16)。
/ハクモクレンが一輪、開花しました。(3/18)。・・・いずれもケータイ撮影。




価値観の転換
信じる
 理性的に考えても納得のいく事の多い霊的真理ですが、
それだけに「当たり前」と思えるようなことも多いのです。の
 従って何か地上の人間には誰も知らないような、
未だかつて人類にもたらされていない秘匿物のようなものではなく、
誰もが本能的に持っているもののように感じます。
 例えば「人が喜んでいる姿を見るのが嬉しい」という感情や、
どこまでも深く人類未踏の深海の底まで、天高く宇宙にまで進出するのも、

どこまでも追求したい、という神性のもつ側面のようです。※2
 あるいは、マンガ、小説、ドラマ、映画などで表現される主人公像は、

癖のあるキャラクターもありますが、まず嫌な感じを持つ主人公はいません。
 大概は不利な状況から、様々な経験を通して、

色々な苦難を乗り越えて成長していく姿が描かれるでしょう。
 危機一髪のような状況であったり、

万事休すと思えるような事態に陥ったりしながらも、何とか通り抜けながらです。
 恐らくは本能的に、霊的真理を人間は魂の奥にしまいこんでいるのです。
 しかし、それよりも強く物的観点がじゃまをするので、
清々しくて筋が通った主人公に憧れつつ、
実生活では、わざわざ時代劇の悪代官や悪商人のようなキャラクターを、
自分の方から選択してしまいます。
 その他「何か人の役に立つことがしたい」と感じている人も多いでしょう。
 そうした神性を発揮する場面もあれば、

損得勘定などによって視点を狂わされる場合もあるのです。
 霊的真理を抜きにしても、穏やかで誠実さを持つ人物なら、人は頼りにするし、

とにかく周囲の環境や他人への批判ばかりで、

自らを振り返ることが全く無い人物は敬遠されます。
 せめて「言うだけのことはある」という自ら率先するような、

言動の一致した人物なら説得力を持ちます。
 少なくとも言葉と行動が一致しているからで、更に心が一致していれば、
やがてボロが出るということも無いでしょう。
 その他もろもろ、我々でも納得できるものは多くあるのですが、
問題は霊的な部分で、これは証明が出来ないですから、

何処かで「信じる」という部分が出てきます。
 証明できたら信じるというのも、極めて現実的な対処で否定はしませんが、

信じるという部分が無いと「全幅の信頼」も不可能なわけです。








伊勢の道

イメージ 1

イメージ 2
写真は、或る日の記憶から・・・「建中寺」にて。(2009.2/18



 月かげの  いたらぬ里は  なけれども  ながむる人の  心にぞすむ/法然上人
 月の光は、山にも里にも隈無く照らしていますが、          

ただこれを眺める人だけに美しく澄んだ月を賞でることができます。  同じように、                         阿弥陀さまのすべての人を救おうとされるお慈悲の光は、      阿弥陀さまの御心をいただいて                  お念仏を申す人のみに宿り住し澄みわたるのであります。

 池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ
                          /法然上人


*ホツマツタエにみられる八・九・十の法則*
 大本神諭や霊界物語、伊都能売神諭といったものの中には
三男五女といった言葉がよく出てきますが、
ホツマ研究の第一人者、鳥居礼氏によるとホツマツタヱ全般に
「トホカミヱヒタメ八神」があり、
八重垣の臣、九重(宮中)に座して「伊勢の道」を民に教える君がおり、
そのもとはトの天神に連なる「十の教え」という八、九、十の法則が見受けられるそうです
(言霊ーホツマ/鳥居 :たま出版)
 前述のように、そこに至らない一〜七までの状態をヒナと表現する訳ですが、

日月神示には八方的世界から十方的世界へ移るという表現が見られます。
 ちなみに、日月神示原文で誠とは(0九十=マコト)と表します。


*日月神示*
マコトの言(コト)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、
九十(マコト)とは一二三四五六七八九十であるぞ、
一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。

フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、
神示では〇一二三四五六七八九十と示し、その裏に十九八七六五四三二一〇があるぞ、〇九十のマコトであるぞ、合わせて二十(フトマニ)、富士であるぞ。
神示の始めに示してあろう、二二(フジ)は晴れたり日本晴れだぞ
 あくまで、ホツマツタヱ風に(?)解釈した場合には、これまでの七重や八重
(七重はキリスト教、八重は仏教や今の神道とも神示に書かれている)から、
ゼロも含めて九・十も(0九十=マコト)を加えて開く真理、
とも受け取れますが、ここではこの辺にしておきます。







十陽に咲く

イメージ 1

イメージ 2
写真は、記憶から・・・或る日の「建中寺」にて。(2009.2/18



ナンキン虫のこけおどし、真っ赤なウソもはりこの虎/安斐路



*日月神示*
誠とはコトざぞ口でないぞ、筆でないぞコトざぞ、
コト気付けと申してあろがな。
 コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、
今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ

 ホツマツタヱに
「天つ君、一(ヒ)より十(ト)までを尽くす故、(人=ヒト)に告(の)ります」
という歌がありますが、
人とは十(ト)の神の「十の教え」を一〜十まで尽くすことを意味する様で、
そこまで至らない一〜七までの段階を一七(ヒナ)と表現しています。


*伊都能売神諭*
世の元の大御宝を占め固める折りに、差添(さしそえ)に成って活動なされた神は、
真道知彦命、青森知木彦命、天地要彦命の三男神と、常世姫之命、黄金龍姫之命、
合蛇琉姫之命、要耶麻姫之命、言解姫之命の五女神、
合わして三男五女八柱の神を育て上げて、
差添の御用を命せなさったのが若日女岐美(わかひめぎみ)尊であるから、
是が九重の花と申すのであるぞよ。
 若日女岐美尊の後見を為された至善の神様が天照日子(あまてるひこ)尊であるぞよ。  天照彦命は海潮(注:王仁三郎氏の事)の肉体に宿りて、
五六七(ミロク)の御用を致して居るなれど、誰も未だ分かりては居らぬぞよ。
 この神が表われたら、二度目の世の立て直し、九重の花が十陽に咲くので、
三千世界の統一が成就するのであるぞよ。




イメージ 1

イメージ 2
写真は、記憶から・・・或る日の「建中寺」にて。(2009.2/18



 『木の花咲く園』の柵の外から(荒野に呼ばわる声)がします。
 「そろそろ夢から目覚めなさい」と。・・・
何事も「想定外」を柵に言い訳する、
エリートたちの(学者バカ)な言い分が未だにまかり通っています。
 「原子力の安全神話」など、浪速の夢の『夢のまた夢』。
 エイプリルフールな戯れ言に過ぎません。
 『遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば 我が身さえこそゆるがるれ 』梁塵秘抄より
 遊びをするために生まれてきたのだろうか、戯れをするために生まれてきたのだろうか。
 遊んでいる子供の声聞けば、愛おしさに身が震える程声に動かされ、感動してしまう。
 乱世の時代に生きる貧しい家庭で、母が子を思う歌。
 無邪気な子ども の笑顔や声が、大人を元気にしてくれる歌の傑作?! /安斐路

 遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子供の声きけば
わが身さへこそ動(ゆる)がるれ 

 『梁塵秘抄』は知らなくてもこの歌なら知っている、
というほど有名な歌だと思います。

 この歌を、「遊び」はアソビメ、「戯れ」はタハレメに通じるとして、
遊女が子供の声に触発されて、我が身の罪深さを嘆く歌、
とする解釈もあるようですが、子供の純真な愛らしさを歌ったもの、
として読んでいるのが一般的なようです。

 これは、子供の未来に明かりを垣間見たいと願った、
大人の思いなのではないでしょうか。

 人間が遊びや戯れをするためだけに生まれてくるのではないのは、
重々承知している。
 人間はもっと重い、
長くて苦しい道のりを歩まなくてはならない存在であるけれど、
だからこそ、遊び戯れる子供の声の可憐さに、そのいとおしさに、
自分の身体も一緒に動いてしまう。
 子供が歌っているのを聴けば、一緒に歌いたくなってくる。
 そんな歌なのではないでしょうか。

 この歌を謡ったのが親にしろ遊女にしろ、
子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと
願う心がこもっていると考えるのは、うがちすぎた見方でしょうか。


 「梁塵秘抄」中最も有名かつ美しい一首。
 梁塵秘抄は「今様」と言う、現代で言えば流行歌を集めた歌集です。編纂させたのは、「後白河院」(1127-1192)。天皇になり、さらに後に院政をひいてからは、政治の渦中の人だったけど、若い頃は気楽な立場で、歌やら学問やらいろいろ遊びやらで暮らしたらしいと伝えられている。仏教に熱心な一方で、文学・芸術にも力をいれ、笛を吹いたり、謡ったり、非常に多才な人だった。
「遊びをしようとこの世に生まれたのだろうか、 
戯れをしようとこの世に生まれたのだろうか、 
遊んでいる子供の声を聞くと、私の体も自然に動いてしまうよ」 
遊びに夢中になっている子供をみると、大人の我々も夢中になって生きようと勇気つけられる
「俺は生きる。 野良犬の声が、この面白うもない世を変えるまで 面白う生きてやる。」 
これは高杉晋作の辞世の句、 
「面白きことも無き世を面白く、、、」 
を下敷きにしているのだと思いますが、熱いセリフです。 
ドラマ『平清盛』の人々の狂い咲き








アワ(天地)の歌

イメージ 1

イメージ 2
写真は、記憶から・・・或る日の「建中寺」にて。(2009.2/18



古代文献の世界1
ホツマツタヱの世界
 ホツマツタヱの世界が持つ歌の世界を知ってみれば、
現代人が恐らく一般的に持っている、他国との交流が少なく未開な縄文人、
といったイメージとは かけ離れた感じが有ります。
ホツマツタヱ
現代語訳
花杵尊(はなきね)は、五七に綴るを
素盞嗚尊は、五七調に歌うのは何故かと
姉に問ふ、姉の答えは
姉和歌姫に問いました。姉の答えは
「天地(あわ)の節」、また問う「祓い
「天の節(天体の運行)であるから」又素盞嗚尊は問い「祓い
三十二(みそふ)なり、今三十一(みそひ)とは」
の歌は32音ですが、今31音なのは?」
「この教ゑ、天の巡りの
この教えは、太陽の運行の
三六十五(みむそゐゑ)、四つ三つ分けて
365日の一巡を、4分し又3分で
三十一なり、月は遅れて
31日です。月は遅れて
三十(みそ)たらず、まこと三十一ぞ
(満月から満月迄)30日足らずです。太陽から割り出した31日が本当の数です
しかれども、後先かかり
しかしながら、前後(節目日数の違い)
三十二日(みそふか)も、ある間窺(うかが)
32日弱となる月もあり、その節目の隙間を窺う
汚穢(おゑ)ものを、祓ふは歌の
魔物が憑くのを、祓う為には歌の
声余る、敷島(しきしま)の上(ゑ)
(息吹?で)敷島の大和の国に
人産まれ、三十一日にかす
(日の精霊によって産まれた)男子は、誕生日より31日目に
(め)は三十二日、歌の数もて
(月の精霊によって産まれた)女子は、産まれてより32日目で、歌の数によって
はに謝(こた)ふ、これ敷島は
大地に謝する(産土神に感謝する)のです。敷島大和とは
和歌の道かな
和歌の道によって支えられる、国なのです。
 上記は、素盞嗚(そさのをの)尊が姉和歌姫に質問する様子を歌にしたものですが、
そもそも一年が365日であったり、太陽と月の運行を知っていたのでしょうか?
この様に当時の技術力では到底分からないことが記述されている事があり、
この部分は謎です。
ホツマツタヱと大本、日月神示に関連はあるか?
 ホツマツタヱには、
オシデと呼ばれる文字で「アワ(天地)の歌」というものが出てきます。
 日月神示にも、アレであったりアワヤ(天地人)
ワヤ、といった言葉が神代文字で登場してきますが、
ホツマツタヱを彷彿とさせるもので、意味も又同じであったりします。
 江戸時代の言霊学者、中村孝道王仁三郎氏の祖母の兄にあたる)が
真澄鏡(ますみの鏡)を宮中から発見し、言霊学が発展した と言われていますが、
この真澄鏡と同様のものが京都の陽明文庫に残っており、
この文庫の中にオシデ文字で書かれた琴の図が描かれ、
「神代の琴の形にて万の事の本なり」と記されています。
 五弦にそれぞれ「アイウエオ」を配したこの琴で「アワの歌」を歌うことで、

五臓六腑(ゐくらむわた)が整うとされています。
 このホツマツタヱでは、「言の葉」は「琴の葉」であり、九十(コト)であり、

九重(ここのえ)とトの天神を結ぶ楽器であると解釈できるようです。







全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事