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NO269 武大神社
所在地 姫路市大津区平松131-3
主祭神 須佐之男命 スサノオノミコト
由 緒
当神社の起源を文献によって尋ねることは困難であるが、平松村が一つの聚落として形成される過程において、村の鎮守の神を祀った「鎮守の社」が始まりであろう。鎮守の神は、その土地を鎮護する「地神」でのちには「荒神」と呼ぶようになった。 荒神社を武大神社と呼ぶようになったのは明治初期からであろう。武大神社の祭神、素盞鳴尊は武勇に秀れた武の神で「武運を守る神」として明治国家の指導で皇室の系譜につながる神を祀るようになったと思われる。しかし、神社の呼び方は変わっても村人は“お荒神さん”と呼んで今日も親しんでいる。
境内に併祀されている金比羅大権現社は航海の安全を守る神として船人が最も尊崇する社である。平松村は、かつて船舶30隻余を有する要港であった。新宮藩年貢米積出しや、西播各地の産物の移出に舟仲間が活躍した。彼らが四国の琴平神社から金比羅大権現を勧請し港の一角に社を建立して航海の守護神としてきた。昭和33年(1958)、港の埋め立てに際し武大神社の境内に遷し、さらに平成5年(1993)県道の拡幅工事により300m北の現在地に武大神社と共に遷座された。
大津茂川東側に鎮座。
拝殿です。
珍しい絵馬です。この他にもあります。
本殿です。
金比羅神社です。
境内には力石が4個あります。
※ 町名の由来
神社が鎮座する「姫路市大津区平松」の地域は、大津茂川と西汐入川に挟まれた南北に長い地域である。
平松の名の起こりは、蛇行する大津茂川尻の微高地を言ったことによるとされている。
NO270 吉美八幡神社 (既記事アップ済)
所在地 姫路市大津区吉美698
主祭神 品陀和気命 ホンダワケノミコト
配祀神 素盞男命 別雷神 スサノオノミコト ワケイカヅチノカミ 由 緒
吉美八幡神社には三神が祀られているが、明治41年(1908)の神社合祀発布以前は、八幡神社は現在地に、元和3年(1617)、建部家林田藩領になった頃、魚吹八幡神社の分霊を戴き、創建された由縁をもって、若宮八幡神社と通称されるようになったと伝承されている。 加茂神社(吐崎明神社)は吉美村の東端にあり、『揖保郡地誌』にも記載されている名勝地宇五本松の隣地字吐崎に建立されていた。吉美村に現存する、大永元年(1521)、4月に飽浦徳四郎綱光が書き残した『君浦由来記』によれば、謡曲「江口」に、西行法師と歌を詠み交わし白象に乗って普賢菩薩に化身したと謡われる「江口の君」が、吐崎の濱に来られて休息され、それより室浦に船で行かれた古語顕然の霊地につき、室津明神社より分霊を戴き創建されたと伝承され「吐崎明神社」と通称され、5月に吐崎明神春祭が現在も執行される。
武大神社(荒神社)は延宝年代の新田開発時代、五穀豊穣、家内安全を祈願して宇釜屋に創建されたと伝承される。
以上の三社が、明治39年(1964)に施行された神社合祀令によって八幡社に統合されて現在に至っている。
※ 町名の由来
神社が鎮座する「姫路市大津区吉美」の地域は、瀬戸内海に面し、西を大津茂川、東を西汐入川に挟まれた、大津区の南西に位置している。
1487年「福井庄村名注文」には「君ヶ浜村」の名が見える。また、大津区内で一番古い文書「君浦由来記」は、当時吐崎「と呼ぶ霊地に「君松」呼ばれる松と、君ヶ井と呼ぶ井戸があったので、「君ヶ浜」呼ぶようになったと記している。
1698年村名表記を「紀美村」と改めたが、通常「吉美村」を使っていたので、なじみの「きび」が今に伝えられた。 |
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和さんご訪問とコメントありがとうございました。
2018/8/9(木) 午前 10:22 [ 黄門ちゃま ]