黄門ちゃま漫遊記

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№ 42(賽神社 飾東町)


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所在地   姫路市飾東町塩崎435
主祭神   久那斗神  クナドノカミ
配祀神    応神天皇  オウジンテンノウ 

由 緒
 塞神社は塩崎の集落の西北に位置し、七神の廻り神様の一つ、塞の神が祀られている。道行く人の安全祈願のために祀られているようだ。この神社地の西は天川で、その川原では昔「とんど」がつくられ、1月14日の夜に燃やしていた。
 この神社には「塞の神」と別に「応神天皇」(七神の廻り神様の一つ)合祀されている。
 集落内西北の地(塩崎集会所の東隣、屋台庫の場所)に昔、鎮守八幡社(祭神 応神天皇)があったが、昭和初期になくなった。そこでその神社の祭神、応神天皇が塞神社に合祀されたのである。
 現在、塞神社は「八幡さん」とも呼び、鎮守八幡社の合祀を伝えている。この神社境内には正徳4年(1714)銘の石灯籠がある。
 またこの神社に対して、集落の南西の地には厳嶋社があり、七神の廻り神様の一つ、市杵嶋姫命(弁財天と同一視される)が祀られている。この神社地南方の山には、山南の隣の集落へ抜ける山道があり、この道へ入る人が安全祈願のためお祈りしたのではないかと思う。この厳嶋社の西は、昔は一段低い泥田で弁財天の池を想定したのかと思われる

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前記神明社に行く途中の集落の北側に位置します。(赤丸)

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境内の本殿と灯籠です。

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本殿です

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灯籠と裏の文字です。


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塩崎地区の遠望です。



№42 神明社

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(兵庫県神社庁 姫路の神社」搭載の写真)

所在地   姫路市飾東町塩崎1012-33-2
主祭神   天照大御神  アマテラスオオミカミ
由  緒
   集落の北東方の山麓に神明社が建つ。七神の廻り神様の一神、天照大神が祀  られている。集落から山道へ入る入口近くに位置しているが、天照大神の御神徳に加え、山道へ入っていく人の安全、他所から入ってくる悪霊の悪魔払いのために祀られていると思われる。
 神明社は江戸時代中期に信仰対象として全国に広がったと言われる。しかし塩崎の神明社の創建の時期はわからない。
 ただ、塞神社の石灯籠が正徳4年(1714)銘、集落南の山麓の地蔵さんが宝永4年(1707)であるところを見ると、神明社の創建もその頃かとも思えてくる。
 集落の地形は東に向かうに従い高くなっている。神明社近くの場所からは姫路城と旧姫路市街が見通せ、美しい風景が望める。
 神社地南の隣接地は現在は畑地となっているが、昔はたな池という池があった。東から大谷池、中池、たな池と三個の池が連なり、塩崎の田畑を潤していたのである。たな池は姫路市の市花、鷺草の自生地として知られていたが、昭和50年代(1975〜1984)の圃場整備で畑地に変わった。

となっているが、かって入院する前に、一度この地区に漫遊をしたものの所在が分からず引き上げた場所です。
 今回姫路sの神社も残り僅かになり、少しでもと思いバスに乗り、長い道のりを杖に頼って訪問しましたが、結局神社にたどりつけず終了させた神社です。
 何故かと申しますと・・・・後で弁解がましく記載していますのでよろしく。。。です。

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 上の地図は、ゴーグルマップからスキャンしたものです。
小さくて分かりづらいと思いますが、辛抱して見て下さい。
地図左手に「城山中学校」(グランドが見えるところ)があり、その下に斜めに走る道路の「神姫バス春日野バス停」で下車します。その後、右斜めに降りていき「天川」を亘ると「賽神社」があります。(赤丸)。すぐ下の集落で見つけた若い方に訪ねて見ますと、「さらに右側の農道を行くとビニールハウスがあるのでそこを左折した突き当たりに   あった?ように思う?」とご親切におそわりいってみました。
下の写真がビニールハウスのある農道を左折したところです。
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突き当たりの山裾に着くと、そこには頑丈そうな鉄の柵になっています。
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その拡大写真です。おそらく猪などの進入を阻止する目的に作られたものと思われます。しっかり鍵がかかり、付近には全く人影が見えず、しかも回り道して田の入り口はないかと思い探して見ましたが、発見できずでした。
農道と山の境には幅1メートルぐらいの溝があり、杖では渡れないと思いましたし、本音を言えば、前回この地区にきたとき、「まむし」に気をるkrとと言われていましたの・・・これも訪問出来なかった理由です
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結果、この神社のお姿は拝見することが出来ませんでしたが、姫路の神社漫遊になったと思いアップしました。



№ 68 若宮印鐸大神社 (わかみやいんたく神社)

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 神社正面の拝殿です。鳥居等はなく元取山の中腹に鎮座されています。
 最初、所在が分からず、農作業をしておられた男性にお尋ねして教えてもらいました。
 その際、この場所は明治明治36年、日露間は険悪なムードで、ロシアとの戦いを想定した陸軍大演習が播磨平野を中心に行われた時、、明治天皇が元取山で統監されたことを記念して立てられた「駐蹕碑」があり、かつ、その際の休憩場所に神社が使われたとのことで、この神社には、天皇がお座りになったとき下にひいた「ござ」が残っているとのことで行ってみました。

所在地  姫路市四郷町山脇358
主祭神  神功皇后  ジングウコウゴウ
配祀神  大己貴命 武内大神                    
        オオナムチノミコト タケノウチノオオカミ  
由  緒
 当社の鎮座地は、山脇集落東方の小高い山(元取山)の西麓に位置している。この地区は山脇本村から転住して出来た集落で、新村と称しているが、氏宮である印鐸大神社からは少々遠い。そこでもとの氏宮からの分霊を勧請して「若宮印鐸大神社」と呼んで祀ったのがこの社である。
 もともとこの辺りは「籏野(はたの)」と呼ばれ、文化的にはかなり古くから開けた土地で、すでに『万葉集』にも「あられ降り甚(いた)も風吹き寒き夜や籏野に今宵あがひとり寝む」と詠まれている。地区内には旧山陽道が通り、播磨国国分寺にも近く、多くの遺跡旧跡が残されている。

 当社の創建時期は不明であるが、明治7年(1874)2月に無格社(兵庫県神社誌)として認められているので、それ以前から祀られていたものであろう。伝えによると、社殿の損傷がひどくなった大正初年(1912)頃から村内で社殿改築の気運が起こり、境内の松の神木一本を用いて本幣拝の三殿改築の大事業が行われたのが大正7年(1918)5月であったという。相当巨大な古木であったらしい。
                  

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 この道路は、西国街道から少し南に入った「御幸通」と呼ばれるもので、ほかに「御幸橋」と呼ばれる小さな橋が架かっています。
 この奥の小山が「元取山」で神社が鎮座されています。

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 御幸通りの突き当たりにある神社です。後ろからお参りすrことになります。


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 鳥居などはなく道路を曲がった先に社殿があります。



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 拝殿には多くの額が飾ってあります。



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 後ろからみた本殿です。

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 山頂にある駐蹕碑です。草木が生い茂り播磨平野は望めにくいです、
詳しいことは後日「西国街道」で。

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NO 67 四郷町山脇 稲荷神社

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所在地    姫路市四郷町山脇888
主祭神    倉稲魂命  ウカノミタマノミコト
由  緒  
  当社の鎮座地は、市川左岸山脇地内の旧山陽道沿い南側に位置する。創建時期は不詳であり、特に記録の類もなく、古老の言い伝えもほとんど残っていない小祀である。一応、明治7年(1874)2月に無格社(兵庫県神社誌)として認められてはいる。

 大正11年(1922)に腐朽した社殿が改築され、石玉垣が設置されて現在に及んでいる。以前から境内には数百年にも及ぶ程の椋の老木が一株残されていて、これがかろうじて神社の社の体を保っているにすぎない。近くには寛延2年(1749)、船場川大洪水の時の溺死者供養菩提碑が建立されている。

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この神社は、チェックもれで、印鐸大神社訪問後山脇町内を散策中いきなり現れた神社です。
町内には、多くの文化財も多くあり、後日「西国街道」でアップします。


NO 66 四郷町山脇 印鐸大神社

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所在地    姫路市四郷町山脇913
主祭神    神功皇后  ジングウコウゴウ
配祀神    大己貴命 武内大神                    
          オオナムチノミコト タケノウチノオオカミ
由 緒
 当社の鎮座地は、市川下流左岸の西ノ山(古名は八重鉾山)の北寄り頂上近くに位置する。創建時期は不詳であるが、もともと当地域はかなり古くから開けていた土地である。山脇集落の東方に広がる平野は古来「籏野(はたの)」と称して、すでに『万葉集』にもその名が詠まれている。地区内には旧山陽道も通っていて国分寺にも近い。
 また、天正年間(1573〜1591)には御着城主小寺氏の家臣が築いた山脇構居もある。当社の由来について確とした証左はないが、古記録によると、嘉吉の頃から御野刑部(みののぎょうぶ)が崇祀する社で、見野の地百貫を寄付し、その後奥山五郎某が神功皇后の印鐸跡を祀ったとある。また、これは御野刑部が創建したものではなく、もっと古くから祀られていた社ともいう。また、これとは別に、国府の印と鑰を納めた社ではないかとの説もある。
 当社は山脇本村の氏宮であるが、社殿までの参道がかなり急坂で、周囲は竹薮に囲まれて鬱蒼とした坂道である。普段の参詣者も少ない。以前は参道脇にも人家が散在していたが、今は屋敷跡の石垣を残すのみである。

 この神社は、播磨風土記や歴史書を見れば必ず紹介されており、絶対行きたいと思っていた神社のひとつでsた。従って、足が悪くなっても行きたいと思ってましたのでわくわくしながら詣でました。

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神姫バス山脇のバス停です。ここから集落の中を通り向かいます。

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集落の中の狭い道です。車で来なくて良かったとつくづく思いました。
正面右手には、すでにアップしています神明社(大神官)の門が見えてきます。



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第2の鳥居を抜け竹藪に囲まれたうっそうとした参道を進んでr行きます。
左手の石垣のようなものは、由緒にあった「以前は参道脇にも人家が散在していたが、今は屋敷跡の石垣を残すのみである。」人家の屋敷跡の石垣でしょうか?
また、その手前にある苔むした石碑は、古道を示す道標でしょうか。

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 参道の突き当たりにある第2の鳥居です。年輪をかんじさせる厳かな気がします。

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修理中でしょうか?屋根に白いビニールに覆われています。

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神社案内板です。

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拝殿から見た本殿です。            拝殿には多くの額が。

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本殿も修理中です。

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斜めから見た境内と社殿です。

木立に囲まれた静かな神社でした。この近くには国府がおかれ、「風土記の里」としてたくさん紹介されています。

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