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16日から三度目の治療のため入院をしてきました。
その帰りに立ち寄った「海神社」です。
この神社もかって、何度か訪れたことがありますが、あくまで観光立ち寄りで由緒、祭神も知らずにいました。
ただいえるのは、神社周辺が大きく変化していました。
海神社は(わたつみじんじゃ)と読みます。
この神社は神戸市垂水区にある神社ですが、播磨風土記成立当時は「明石郡」に編入されていたようです。
風土記考証は迷走中ですが、とりあえず風土記に関係ある「点」を探訪し、改めて「線」で結んで行きたいですね。
この神社は式内社(名神大社)で、旧社格は官幣中社。伊和神社、粒坐天照神社とともに播磨三大社とされています。
「綿津見神社」とも表記され、「かいじんじゃ」とも読まれる。古くは、あまじんじゃ・たるみじんじゃ、日向大明神、衣財田大明神。
「ワタツミ」の読みは本居宣長の説に基づき明治4年に採用したものである。『播磨国官幣中社海神社史』では「古例の通りアマもしくはタルミと読むべきである」としています。
「タルミ」の読みは、祭神の本来の名称が垂水神であったことによるもので、「アマ」は、当社が海直(あまのあたい)の氏神であったことによるそうです。
海神三座として以下の三神を主祭神とし、大日孁貴尊を配祀する。
○上津綿津見神(うわつわたつみのかみ):海上=航海の神 ○中津綿津見神(なかつわたつみのかみ):海中=魚(漁業)の神 ○底津綿津見神(そこつわたつみのかみ):海底=海藻、塩の神 播磨三大社については別にアップします。 国道二号を挟んで撮影しました。 鳥居を潜った境内です。
社伝によれば、
神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなりました。
皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まったので、この地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが当社の始まりとされています。
『日本書紀』に記される廣田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様らしいです。
文献に現れる最も古い記述は、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸十戸を寄進するという記述である。
当所は海上交通の要地であることから。古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。
延喜式神名帳では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され、名神大社に列しています。
垂水駅のすぐ目の前にあり、海側に赤い大鳥居があります。
大鳥居から100mほど北へ行くと境内。境内入口には石造鳥居があり、その傍らに、「國幣中社 海神社」と刻まれた社号標が建っています。 鳥居をくぐると境内。
参道正面に、立派な造りの拝殿があり、後方に流造の本殿が鎮座しています。
日向大明神とも称した古社で
式内社・海神社に比定されている大社。 境内社は、蛭子・猿田彦・稲荷を合わせ祀ったものと 天神社が確認できました。 境内には、新しい七福神の石像が並んでいます。最近に建てられたものでしょう。
大鳥居には海側と陸側に、それぞれ扁額があるのだが
海側の扁額には「海神社」、陸側には「綿津見神社」とあります。 大鳥居の東側に祀ってあった「濱ノ宮神社」かなり新しいです。
昔は石の鳥居を潜ってすぐ海になっていました。その後埋め立てられ大鳥居ができ、さらにはアウトレットショップなどの近代的な建物群が目につく海岸です。
JR垂水駅下りホームから見える神社です。昔からこの風景はよく見て通勤していました。
青春時代の一こまでした。
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神社探訪(明石郡)
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