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播磨国風土記に記載されている
賀毛(かも)の郡
を探訪する意味で、加東市に葦をのばしました。
祭神
素盞嗚尊、配祀 大國主命、事代主命 所在
兵庫県加東市東条町天神601
『播磨国風土記』賀毛(かも)の郡
端鹿(はしか)の里から
端鹿とよぶのは、昔、神がもろもろの村に菓子((このみ)木の種)を頒けて[歩いた]が、この村まで来ると足りなくなった。 そこですなわち「間なるかも(半端になった)」と仰せられた。だから端鹿とよぶ。[今もその神が鎮座している。] この村は、現在になっても山の木に果実がない。(真木、、杉が生える。) 由緒
社記によると「昔神代に素盞嗚命天降りまして地方巡視の際、当地方に休憩遊ばされたその遺跡を奉祀したのが当一之宮神社で人皇第十代の崇神天皇の朝に御子大国主命御孫事代主命を配祀した。」とある。 神社碑を撮影
神門
手水所
簡単な作りでした
拝殿
神門をくぐると掃き清められた庭があり、壮麗な拝殿が見える。背後に彫り柄のある本殿が時の流れを止めているような厳かさでたたずんでいる。
拝殿左側の摂社
同上本殿
本殿
摂社
初めてヤフー地図を貼り付けてみました。
風土記も点から線、面へとしていくためです・
見にくいかも知れませんね。
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神社探訪(賀毛郡)
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播磨五ノ宮のうち、三ノ宮の
「住吉神社」を探訪してきました。
所在地
兵庫県加西市北条町北条1318
主祭神 酒見神・底筒男命・中筒男命・表筒男命・神功皇后
社格等 県社
創建 養老元年(717年) 本殿の様式 切妻造妻入 別名 住吉酒見社、 住吉酒見神社 住吉神社(すみよしじんじゃ)は兵庫県加西市にある神社で、住吉酒見社、住吉酒見神社とも言われています。
黒駒村で創建され、養老元年(717年)に現在地に遷し奉られた。
大阪の住吉大社らに伝わる「住吉大社神代記」〔天平3年(731年)〕に記された住吉大神の宮九箇処の一社である。
古くは酒見大明神と呼ばれており、明治時代に県社に列格された際に現在の神社名に改められた。
社殿は平治の乱〔平治元年(1159年)〕や天正年間(1573年 - 1592年)の兵火など幾度もの焼失と再建を経て荒廃していたところ、江戸時代初期に姫路城主の池田輝政により復興された。
現在の本社三殿(国の登録有形文化財)は嘉永4年(1851年)に再建されたものである。
境内中央には勅使塚が遺されており、現在は「鶏合わせ」や「龍王舞」など神事の場として使われる。
(案内板より)
南側から見た大鳥居です。
大鳥居を潜った境内です。
中央が「勅使塚
」と思われます。
この勅使塚は、仁平3年(1153年)の旱魃のとき近衛天皇の勅願により播磨六山(書写、増位、八徳、妙徳、法華、蓬莱)の僧が集まり、大般若経を読んで雨乞いをすると、たちまち雨が降り、それ以後は毎年勅使を迎えての恒例行事になったといいます。隣接する住吉神社の勅使塚はその記念塚と隣接する「酒見寺」の由来に記載されていました。「酒見寺」後でアップします。ここも素敵なお寺ですよ。
案内板です
住吉神社の特徴ある本殿です。
紅葉に映える十bじゃ本殿です。
『古事記』や『日本書紀』などの日本神話では、イザナギが禊をしたときに、住吉三神は、綿津見三神と共に生まれたとする。
元は綿津見三神と同じ神だったが、古代王権が九州から畿内(近畿)に東遷する時、重要な役割をしたのが住吉三神であるともされる。
つまり九州に留まったのが綿津見三神(志賀海神社)で、近畿へ移ったのが住吉三神ではないかともいえるのである。
そのあたりの消息を示すものとして、住吉三神を奉斎し、住吉大社の古代以来の歴代宮司家だった津守氏の氏神が大海神社(通常は「だいかいじんじゃ」と呼ばれるが、正式には「おおわたつみじんじゃ」と読む)であることが挙げられよう。また住吉三神を祀る神社の中で最も古いものは博多の住吉神社や壱岐市の住吉神社や神戸市の本住吉神社が有力であるが(宮崎市の住吉神社という説もある)、どの神社が最古の住吉神社か明確な結論は出ていないようです。
もうこのあたりになるとさっぱりの勉強不足を感じてきます。
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孫の七五三参りで訪れた「白国神社」で聞いた「播磨五ノ宮」参りの一環で今回
兵庫県多可郡多可町加美区的場み鎮座する「荒田神社」を探訪してきました。
この神社は坂上田村麻呂が参拝したと伝えられる播磨二宮となっています。
訪問して驚いたのは大鳥居です。木造の素敵な鳥居に感激しました。
立派な鳥居です。
しばし見とれておりました。
西から撮影
東から撮影
この神社は式内社で、
少彦名命(すくなひとなのみこと)、
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、
素盞鳴命(すさのおのみこと)
の三神を祀っています。
神社に残る言い伝えでは、天平勝宝元年(749年)5月7日に少彦名命が村内の福原字神立にご降臨になり、その夜、村に大雨が降りました。 そこで、村人達は雨が上がるのを祈ったところ、願いがかなったためこれに感謝して村内字野尻に小社を建てて、荒田神社と称したと伝えられています。 また、『播磨国風土記』に登場する天目一箇命(あめのまひとつのみこと)、道主日女命(みちぬしひめのみこと)を祀った社が当社であるともいわれています。 また、平安時代には坂上田村麻呂の崇敬を受けたと伝えられているのをはじめ、播磨国二宮として、多くの崇敬を集めてきました。 営造物には桧皮葺流造の本殿と、桧皮葺切妻造幣殿、桧皮葺入母屋造の拝殿があり、宝物として剣・古刀・宝鏡などを伝えています。 鳥居を潜ると楼門があります。
楼門です 登り切ったところで反対から撮影
荒田神社の由緒案内板です。
楼門すぐの脇にある手洗所です。
なんと 井戸水をくみ上げます。
いいな〜〜って思いました。
狛犬です。
正面の絵馬殿、拝殿です。
桧皮葺切妻造幣殿、桧皮葺入母屋造になっているそうです。
コンクリートの神社が多い中ほっとします。
東側から見た拝殿・本殿です。
本殿です
神社らしい裏側のかんぬきです。
絵馬殿と拝殿です。
ご神木です。
拝殿の垂れ幕です
伊勢神宮に大いに関係?
勉強します。
本殿から見た風景です。
荒田神社へは北側から向かいました。県道から入った参道です。
趣があります。
この神社は心洗われる思いで探訪しました。参道の階段に座り込んでしばし瞑想しました。
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