黄門ちゃま漫遊記

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遺跡等漫遊

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清盛塚古墳

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前回に記事アップした「北山田天満神社」の裏側にある古墳で清盛塚古墳と呼ばれ兵庫県姫路市山田町北山田ソウジウの山頂にあります。
 墳丘は鍵穴のような形をした日本独特な形式で前方後円墳と呼ばれています。
 墳丘の規模は、二段構築された後円部の径25m、高さ4mで、前方部の最大幅は25m、高さ4mを測り、墳丘全長は44.8mとなっています。
 また、前方部と後円部のつなぎ目である括れ部の幅は12.7mとされています。
 基本的には土が盛られて造られたものなので1500年あまりの年月の風雪に耐えながらも自然崩壊などもありますから、これらの規模の計測数値は必ずしも確定的なものではありません。
 埴輪の出土は不明で埴輪の配列はなかったものとみられます。
 葺石が墳丘に施されていたかは不明とされていますがなかったものとみられます。
 発掘調査が1987年に行われています。
 後円部中央にある埋葬施設は横穴式石室となっています。
 この古墳の築造は古墳時代の前期と推定されています。
 
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神社漫遊の際裏山に登ってみましたが、正直前方後円墳の形状塔は確認できませんでした。また、案内板によると、平清盛とは直接関係なく北山田出身の乳母が、清盛の信仰した観音像を山頂に祀り、後に清盛が法華堂に祀ったことから呼ばれるようになったとされています、
 
 
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近畿最大の円墳 茶すり山古墳 住所:兵庫県朝来市和田山町
和田山から山東へ抜ける「宝珠峠」の途中、標高約144メートルの尾根の先端に位置する茶すり山古墳は、5世紀前葉の大型円墳 である。
円墳としては奈良県富雄丸山古墳よりも大きく、近畿地方最大規模を有している。
直径約90m、高さ約18mの円墳で、 2段に築成されていたと考えられる。
墳頂には東西約36m、南北約30mの楕円形の広い平坦面があり、そのやや内側には、円筒 埴輪や朝顔形埴輪が巡り、段築平坦面にも埴輪が列状に並べられていた。
 斜面には葺石が見られるが多くは流出している。また、墳頂部には二つの埋葬施設があり、大型の第1主体部とこれより小さい第2
 主体部が並んでいる。調査の結果、墳丘の規模や中心主体の内容がほぼ判明し、中央政権(ヤマト政権)と強く結びついた首長の墓であることがほぼ確認されている。
 
写真中央にある「茶すり山古墳学習館の建物」
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正面
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案内パンフレット
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案内板
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埴輪復元レプリカ 古墳頂上と墳丘平坦部に円筒埴輪・朝顔形埴輪のレプリカを立て並べている。
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埋葬施設の復元レプリカ 第1埋葬施設内部の姿を忠実に復元している。銅鏡や鉄剣などがどのように副葬されていたか観察できる。
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葺石の露出展示  古墳築造当時の葺石を露出展示している。レプリカではなく本物である。
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茶すりや山古墳は近畿地方で一番大きな円墳であり、たくさんの武器や鉄製品が副葬されていた。
茶すり山に葬られた王は武勇に すぐれた但馬の王だったと考えられる。
平成17年度から進められてきた史跡茶すり山古墳の保存整備事業が完了し、同古墳を含めた周辺一帯を「茶すり山古墳公園」とし て平成22年4月24日から一般公開を開始した
「茶すり山古墳公園」は、市民の学びの場・交流の場として、また朝来市の歴史 の奥深さを他地域に発信する場として発展することを目指しています。
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粟鹿神社からの帰りに「古代あさご館(朝来市埋蔵文化財センター)に立ち寄りました。
•名    称…朝来市埋蔵文化財センター 「古代あさご館」道の駅但馬のまほろば隣
•所在地…〒669-5153 朝来市山東町大月91番地2
•駐車台数…普通乗用車20台、身障者用1台
•開館時間…午前9時から午後5時まで(午後4時30分までに入館)
•休館日…月曜日(祝日を除く)、祝日の翌日、年末年始(12月28日から1月4日まで)
•電     話…079-670-7330
•ファックス…079-670-7333
 
道の駅まほろばの奥にある建物です。何度か訪れていますが、当時の関心は道の駅ばからい、そこで改めて・・・・というわけです。
 
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案内パンフレットです。
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正面入り口に置いてある石棺の案内板です。
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石棺のレプリカです。
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埴輪のレプリカです。
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管内に入ったところにある鑑のレプリカです。頭の写真と対になっています。
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古墳から出土したものが順次展示されています。
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この後、近くの「茶すり山古墳」に行かねば・・・・という思い出訪問しました。
次回にアップします。
 
 
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上郡町の中心部から県道5号線を西へ。
ピュアランド山の里への分岐を過ぎてしばらく行くと、飯坂地区、左手の道ばたに駅家跡の説明と、『今昔物語集』に収められたこの駅家を舞台にした説話について絵入りで解説した看板が並んでいます。
 
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姫路市と上郡町を結ぶ県道5号線は日本の最も重要な道路でした。
この道とほぼ同じルートを通っていたと考えられている古代山陽道は、都と太宰府を結び、海を越えて大陸にまで繋がる日本の大動脈だったのです。
この古代山陽道にももちろん、街道を利用する役人や使節に換え馬や食料を供給し、宿所ともなった「駅家(うまや)」という施設が設置されていました。
 
全国に400ヶ所以上置かれていたという駅家ですが、現在その遺跡として確定しているのはたつの市揖西町の「布施駅家(ふせのうまや)跡」と上郡町落地(おろち)の「野磨駅家(やまのうまや)跡」の2ヶ所だけとなっています。
ぶらり漫遊の最終は、この馬家としました。
 
 
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ここに車を停めて少しだけ歩けば林の中に広大なスペースが姿を現します。
ここに約68m×約94mの築地塀に囲まれた、野磨駅家が建っていたそうです。
外国の使節が通過する山陽道の駅家だけに瓦葺き、朱塗りの柱、白壁と、とにかく豪華な作りであったことが発掘された膨大な遺物から判明しています。
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野磨駅家跡(飯坂地区)。ここの場所に迎賓館としての役目をも併せ持っていたと考えられる、豪奢な駅家が建っていました
発掘された貴重な遺物は上郡町郷土資料館に所狭しと展示されています。
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遺跡は埋め戻され、写真のようになっており、倒れていた案内板を立てるとそれぞれの跡を表示していました。また、ロープが張ってありましたので、中に入るのは禁止かなと思っていますと、山菜採りの禁止札でしたので、中に入ってみました。
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宮殿の中心をなす建物。表御殿。
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県道5号線は、大池から西にゆるい上りが続きます。その頂上付近にこの大きな説明板がありました。 ここから先は立入禁止で、そのロープの向こうに「後殿跡」の表示板
が見えます。正殿[せいでん]の後ろに建てられた建物で、日常的な業務も行われていました。
 
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平成18年上郡教育委員会が設置した説明板を要約しますと、
   落地(おろち)遺跡は、古代山陽道に設置された野磨駅家であった。
   古代山陽道は、現在の県道5号線(姫路上郡線)にほぼ重なるルートにつくられ    た。
   落地(おろち)遺跡の調査では幅10㍍ほどの直線道路であった。
   現在地から300㍍ほど南西の八反坪地区では、山陽道に沿って建てられた掘    立建物が見つかり、瓦葺きとなる前の駅家中枢施設と考えられる。
   ここ飯坂地区では、瓦葺として整備された段階で移転した駅家中枢施設の建物    が見つかった。
   全国に400ヶ所以上設置された駅家は、ほとんどが開発などにより失た  
       現在在駅家として確定しているのは、野磨駅家跡と布勢駅家跡の2ヶ所のみ
となっています。
説明板後方の飯坂方面から西の船坂峠に向かって、古代山陽道は幅10㍍の直線道路になっています。
その道路に沿って門、塀で囲まれた役所跡や堀立柱の建物群が調査によって確認されているようです。
 遺跡は埋め戻され、写真のように現在は田や畑になっています。 
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県道5号線は、野磨駅家跡の少し西で国道2号線に合流します。2号線をしばらく行くと梨ヶ原で、江戸時代の山陽道と交差します。この山陽道を船坂峠に向かって進むと、家並みの途切れたところにこの説明板がありました。古代山陽道、播磨国の西端の痕跡になります。これも説明板を要約しますと
 この辺りでは、平成4年の発掘調査で堀立柱建物跡や井戸跡、遺物などが出土しています。建物跡は、当時の一般的な民家と考えられる一方、遺物として備前焼や青磁、石鍋、宋銭など中世に広く国内で流通していた品々が多く出土しています。南北朝時代には「梨原商人」がいたと史料にもあり、今も「宿」の字名が残っていることなどからみて、遺跡は中世街道沿いの「梨原宿」として船坂峠を越えて山陽道を行き交う人々で賑わっていたものと思われます。
 
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この先が岡山県境の船坂峠です。旧の峠も見れるらしいのですが、後日訪問することにしました。
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上郡ぶらり漫遊も終わりに近づき、町内から県道5号を西進し南下、梨が原から岡山県境に向かおうとしましたが、途中、井の端古墳群を漫遊しました。
 
井の端古墳群
上郡町にも多くの古墳が存在していますが、この古墳は、上郡町山野里の丘陵上に位置する弥生時代からの墳墓群で、「上郡ピュアランド山の里」敷地内に保存されています。12号墳は径10mの円墳で木棺墓坑が復元展示されています。7、8号墓は弥生時代の墳丘墓で7号墓の墳頂には箱式石棺、竪穴式石槨、木棺墓坑の3基の埋葬施設がありました。
上の写真の中央の建物が上郡ピュアランド山の里です。
古墳へはこの施設の駐車場から上ります。
 
古墳案内図です。以下写真だけを羅列します。
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