黄門ちゃま漫遊記

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力石

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今回も再訪神社です。
場所は姫路市安富町長野142にある「長野加茂神社」です。
主祭神 別雷命  (ワケイカヅチノミコト)です。
下のURLは、前回の漫遊です。
 

創立は年代久遠にして今より察知すべからずと雖も里人が古来よりの社伝として、大化元年(645)この国に中国の均田制を習い、公地公民法を取り入れしが、その祖庸調に堪え兼ね地域住民話合の上、京都洛北の加茂大社にこの地を寄進す。文治二年(1186)の頼朝安堵状で明らかな如し。
 当、加茂大明神は、林田の祝田社、室津の加茂明神社と倶に、京加茂大社の播磨荘園として全国80余ヶ所の神領にそれぞれ祀りし鎮護社の一つとして諸氏の奉祭をうく。
室明神の縁起を、播磨鏡によれば寛永年間(886)以前とすれば、当神社も其の鎮座創立期は凡そ一千百年の以前と窺せられる。
 以来、里人の崇敬最も厚く、神威弥々発揚す。地域安穏、五穀豊穣、子孫繁栄、病魔退散、学業成就の神とし、また安産の神として霊験ことにあらたかなり。
当社の北面せるは、その元宮とする室御厨に鎮座せる加茂大明神を当社を通じて遥拝せし故なり。尚、当地方は文明九年(1477)まで案志の庄として一村なり。                  ―境内の縁起説明看板より―

創立は年代久遠(くおん)にして今より窺知(きち)すベからず
と雖(いえど)も里人が古来よりの社会として、
大化元年(645)この国の中国の均田制を習い、
公地公民法を取り入れしが、その租庸調に堪え兼ね
地域住民話し合いの上、京都北落の
加茂大社にこの地を寄進す。 
文治2年(286)の頼朝安堵状で明らかな如し。
 当加茂大明神は、林田の祝田社、室津の加茂明神社と倶(とも)に、
京加茂大社の播磨荘園として全国八十余ヶ所の
神領にそれぞれお祀りし鎮護社の一つとして諸民の奉斎うく。
 
 室明神の縁起を播磨鑑によれば、
寛平年間(886)以前とすれば、当神社も其の鎮座創立期は、
凡そ一千百年以前と察せられる。
 以来、里人の崇敬最も厚く、神威弥々発揚す。
地域安穏、五穀豊穣、子孫繁栄、病魔退散、学業成就の神とし、
また安産の神として霊験殊にあらたかなり。
 当社の北面せるは、其の元宮とする室御厨に
鎮座せる加茂大明神を当社を通じて遥拝せし故なり。
 尚、当地は文明9年(1477)まで安志の庄として一村なり。
                                  兵庫県神社庁資料より
元宮とする室御厨に鎮座せる加茂大明神のURL
 
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57×33×22㎝ ・ 57×28×23㎝
57×30×28㎝ ・ 60×37×31㎝
 
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今回は、再訪の「神元神社」です。
播磨国風土記「賀野の里」漫遊の際訪問した時には、
力石の存在は知らなかったので、今回再訪しました。
 
 
前回訪問時のURLです。
所在  姫路市夢前町神種221

磨富士といわれる明神山のふもとに、老杉に囲まれた
神々しい宮居があります。これが神元神社です。
鳥居をくぐって参道を進むと古い神門があり、
さらに進むと南面した瓦葺の拝殿に達します。
拝殿に続いて瓦葺の幣殿、その奥に桧皮葺流造の神殿が、
鉄板葺のさや堂に納まっています。
この神殿内には御神体とは別に、明治4年の神仏分離以前の遺物、
丈1m余の釈迦如来・地蔵菩薩・阿弥陀如来の木造仏が祀ってあるそうです。
 もと明神山頂にあったと伝えれている小社や、
社僧善随寺日譲その他が奉献した灯籠など
神社の沿革を物語るものがあります。
また、社の東方には目通5.6mもある
杉の老樹が天空にそびえています。
 神社の創建は明確ではありません。
社寺明細帳によると、当社創建は人皇21代雄略天皇の
御代(450〜500)ともいい、また、一説には
人皇45代聖武天皇天平5年(733)吉備真備の
創建ともいわれています。
いずれにしても古い歴史を持つ神社です。
 天明元年(1781)11月社殿改築、
次いで明治3年(1870)2月に再度社殿を改築しており、
これが現社殿のようです。
 
   主祭神 須佐之雄命  スサノオノミコト
配祀神 高皇産霊命 神皇産霊神    
鳥居から続く参道です。
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力石は神門に到る階段の右手にありました。
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上から見たところです。
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(大きさ)
50×46×34㎝ ・ 37×29×24㎝
38×42×30㎝ ・ 50×40×44㎝
 
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◎ 夢のさと「夢やかた」訪問
神社近くの夢のさとに行って昼食をしました。
 
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住所 〒671-2105 姫路市夢前町神種(このくさ)1281-2
TEL 079-336-1585
 
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食べたのは「農家ランチ」
 
イメージ 3前菜(オードブル)
季節の野菜
料理長おまかせメイン
夢工房のごはん
  (夢の舞姫使用)

一口夢そば
(辛味大根入り)
特製デザート
                          珈琲or紅茶
イメージ 4ここの自慢は夢そば
 
夢工房で育てた蕎麦を
石臼引きにし、
毎日手打ちしています。
 ざるそば  680円
美味しかったです。
 
夢やかたの売店では、地産地消・安全安心にこだわり、
お米や野菜などの農産物の販売をしています
 
 
夢やかたから見た「明神山」です。
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円山神社は、山之内にある「賀野神社」の新庄分社とされています。
 
今回は、前回記事アップした「円山神社」の力石です。
 
 
写真のように、鳥居左右に10個の力石が並べられています。
 
向かって右側の力石です。
 
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向かって左側の力石です。
 
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    石の大きさは
31×30×30㎝ ・ 35×35×25㎝ ・ 30×41×25㎝
35×46×25㎝ ・ 24×40×34㎝ ・ 38×48×24㎝
   45×57×29㎝ ・  40×53×29㎝ ・  43×53×32㎝ 
38×39×53
    となっています。
これらの石は、保存措置が行われるまで、新庄集落内に分散して
     放置されていました。
         4、5、6、7、8斗石、石目石(10斗)等があり、これよりも大きいもの
         もあったようです。
        村の若い者夕食の後、一つの遊びとして力比べをしていたようですが、
       それも昭和15年頃までだったようですね。
       そのうちの一人が、東影藤市という人は、元姫路の軍隊ただ一人広峰神社
       の力石を担いだ人で、若い頃は60㎏の米俵を口にくわえ両手に一つづつ
       下げていたそうで、相撲の四股名は「若島」というらしいですね。
 
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力石に関する碑文です。
 
新庄の「力石」
江戸時代から昭和十五年頃まで庶民のレクリェーションとして多くの集落で
行われていたのが「力石」を用いての力くらべ(力持ち)である。
人々のコミュニケーションの中心となり庶民のささやかな楽しみとしての「力石」
であるが、種々の娯楽が増えると共に力仕事が人力から機械に移るなどの要因
により次第に「力石」の必要性が失われていった。
現在「力石」の意味は勿論その存在すら忘れ去れようとしている。ここにある石は、
当時の「力石」であり以後永く保存していきたい。
平成六年六月吉日
 
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今回は、姫路市林田町上構にある「荒神社」の力石です。
資料によりますと、林田町には6カ所に力石があります。
そのうち、神社にあるのはこの「荒神社」のみで、残りは
林田町内の公民館等になっていましたが、意外と公民館への
アクセスが分かりません。
とりあえず、分かりやすいこの神社を漫遊しました。
 
神社は下構えの集落にありました。
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拝殿正面です。
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本殿です。
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力石です。
 
 
神社境内に入って右側の玉垣と、趣のある石灯籠の下に2個
の力石がありました。資料では4個となっていますが発見できませんでした。
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境内社です。
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今回は、姫路市余部区上川原にある「荒神社」の力石と、
未整理だった「たつの市」の皇子神社の漫遊です。
 
「荒神社」
 
荒神社がある余部区は、姫路市の西端で、揖保川を挟んで
たつの市御津町と隣接し、人口数と区域の最小地区となっている。
播磨国風土記の石見の里で、当時は未だ開拓途中であったと
思われています。律令制の村落制度は50戸を「里」とし、はみ出した
場合は10戸を目途に準里集団として独立したのが余戸(あまるべ)
で、変化して余部(よべ)と呼んだとされています。
 
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神社は、揖保川右岸の堤防下にある集落の中にあります。
集落の中は狭い道路が続くため、近くの「円通寺」の駐車場
に車を止め、徒歩で神社に向かいました。
荒神社敷地内にある「「警鐘台」が目印です。
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拝殿正面です。
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本殿です。
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力石です。
 
そう広くない境内の北西隅にあります。
 
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綺麗に保存されていますが、案内板等はありません。
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切符 「三十八メ目」
53×38×28cm
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63×34×24cm
 
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同じ場所にある石塔
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裏側から見た神社
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皇子神社
 
揖保川を挟んだ左岸にある「皇子神社」です。
この機会に何故と思われるかもしれませんが、
風土記漫遊した最初のころは、
特にテーマーもなく鳥居を見かけると立ち寄っていました。
この神社もその一つで、未整理ファイルに南無っていました。
今回地図を見ていると、荒神社漫遊したときすぐ近くにあ
りましたのでアップして日の目が当たりました。
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名称 皇子権現 (オウジゴンゲン)
所在地  兵庫県たつの市御津町中島
王子橋西詰めから北へ100mの位置にあり、
 
地元では昔から中島の「ごんげんさん」として
親しまれている親しまれ、病気や歯疾の御利益がある
といわれている皇子権現です。昔から霊験あらたかだと、
病気や歯痛の時朝早くから参った人も多い。
なお正式名称は、皇子神社と言い、兄弟の天皇、
第23代天皇弘計王と第24代天皇億計王が祭神です。
 
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祭神
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裏山には古墳群があるようです。
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