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なんつーか、もう脳みそユルユルです。

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曽根ってなんじゃ?

しばらく前、そんな疑問が頭をぐるぐるしてて、やたら困ってました。

実家に帰ったとき、ほったん父(高校の国語教師)の書庫からいろいろな辞典ひっぱり出してみて、ようやくわかったんですが。

さっきチラっとWikipedia見たら、ちゃんと載ってましたわ。。。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%A0%B9

でも、ほったん父の古い古い『日本語大辞典』には、川などの浅い部分が長く続いている場所とかそういう説明があったように記憶してるんですけどね。


ま、それはともかく。


何ゆえ、ほったんが『曽根』という言葉の意味が気になってしまったかというと。

すべては『虎徹』のせいです。。。

虎徹の刀といえば、新撰組の局長・近藤勇の差料として有名で、また井伊のお殿サン、大老であった直弼公の脇差もそうやし、とにかくお大名などの上流階級の方々がお腰に召されるようなものでございまして、時代劇やら時代小説やらが好きな人間で、虎徹の名前を知らん人間はおらんやろう、というような刀工でございますよ。

ほったんも当然、昔からそれは知っていた。

かつて茶虎の愛猫に『虎徹』という名前をつけたことがあるくらい、その言葉の響きも好きやった。

虎徹が近江の出であることは(司馬遼太郎の小説かなんかで)読んだ記憶があったし、長曽禰興里(ながそねおきさと)という表記は、たしか彦根城博物館で見た刀の説明書きにもあったように思う。

にも関わらず。

この『長曽禰』が彦根に現存する地名の『長曽根』と同じであって、虎徹は実際、彦根の出身であるということを、この正月まで知らんかったのです。。。つーか、気づいていなかった(T_T)

ほったんの実家は長曽根のすぐ近く、つーか長曽根は幼い頃から、ほったんと愛犬たちがお散歩で通るお決まりのコースでもあったのにっ!!

うちの檀那寺のすぐ前に、虎徹堂なんて書かれた石が立ってたりもするのにっ!!!

正月、ちょっとわけあって彦根観光協会のHPを見てたときに、たまったま『虎徹の井戸跡』に関する記述を読んで、そりゃ驚いたのなんのって。


ま、そういうことがあったんですけどね。


そのときふっと、そういや、『曽根崎心中』の曽根崎って地名は今でも大阪にあるし、彦根には長曽根という地名がある。

昔の日本の首相、またそのJrで現閣僚に『中曽根』ってのがいる。

しばらく前にドライブしたとき、愛知だか岐阜だかで『横曽根』という地名も見た。

しかし、それじゃあ『曽根』という言葉に、なんか意味が(それもおそらく水に関係のある)あるんやろなーってことが、えらく気になっちゃったわけなのでした。

そね。

疑問がとけてほっとしてたら、地下鉄の大倉山駅で、でっかいポスターに『小曽根』っていう人名を見つけました。

そんでもって、兵庫県内に『曽根』ってだけの地名もあったんですな。

そね。

いったいどれほどの日本人が、その言葉の意味を知っているでしょうか。。。

閉じる コメント(8)

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「コテツ」と言えばじゃりン子チエの猫の名ですね。あっちは「テツ」に対する「コテツ」ですけど。
曽根といえば、旧びわ町、現長浜市の曽根です。姉川、高時川の合流点の南東にあり、当然の如く氾濫したと思われます(但し水害は川の北側に多かったと記録があります)。
曽根については甚七さんも書かれてますね http://blogs.yahoo.co.jp/kmr_tds/50465056.html

2009/3/11(水) 午前 9:54 [ 出雲守 ]

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出雲守さんのような見識はございません!!

なので、参考になれば・・「曽根」地名【びわ町】【愛東町】をTBさせて頂きます。

2009/3/11(水) 午後 10:23 甚七

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姉川下流、三角州状の部分は砂地だったようです。
角川地名大辞典には曽根は坂田小江とよばれたとあります。その頃はまだ三角州が完成せず、細江から船で侵入できたのでしょう。
砂州が延び、そこを開拓して今の田園地帯になったのではと思います。

2009/3/11(水) 午後 10:43 [ 出雲守 ]

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出雲守さま&甚七さま、ありがとうございます☆

水害かあ・・・しょっちゅう水位の低下が心配になる現在の琵琶湖からは想像できませんね。

そういえば、いまの田園地帯って、けっこう新しいものが多いんですね。

私は安土城跡から見下ろす田園風景がけっこう好きなんですが、司馬遼太郎が子供の頃に遠足で来たときは湖(内湖か沼だったかな?)が広がってたのに、戦中戦後の食糧難のために埋め立てて田んぼにしちゃった、と残念そうに書いてたので驚いた記憶があります。

2009/3/12(木) 午後 10:20 [ ほったん ]

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もう40年位なりますかね。私が幼稚園位の頃、今の長浜城歴史博物館の北、湖周道路の所は池でした。浮草の上に乗って遊べるような。
そういった沼などが点在していたのが、土地改良などで整備された田や宅地に変わって行きました。
これを室町江戸時代まで遡ればもっと内湖はあったと思います。
米原駅南西の入江内湖は戦後父達が干拓したそうです。

2009/3/13(金) 午前 1:44 [ 出雲守 ]

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そうして造られた田んぼが、いまや団地にかわろうとしている・・・時代の変化って、すごいなあ。

2009/3/13(金) 午前 1:52 [ ほったん ]

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又また、懐かしい記事発見。わたしは、私は今は、彦根市に合併された稲枝町、荒神山の麓の琵琶湖畔の生まれ!ここにも干拓された曽根沼というのがありました。今も一部残っているはず。別のところに書いた入り江内湖の干拓は、松原内湖の間違いでした。少しづつ、昔の記憶がよみがえってきました。しかし敗戦直前には、彦根中学大隊(軍隊式でそう呼ばれていました)の一部は、入り江無い湖の干拓にも振り向けられ、米原にあった、捕虜収容所のアメリカ兵と、隣地の作業が続きました。
敗戦までは、作業に向かうアメリカ兵にわざと、スコップで、泥をかけていたのが、敗戦とともに立場逆転!たちまちガムとチョkレートをねだるこども続出。歴代のソーリは、その時以来のコンプレックスを背負い続けているようですね!特に世襲議員(もちろん現ソーリ)も!おっと、あまりの懐かしさについつい、記事を読みふけり時間のたつのを忘れていました。今日はこれまで!また後日!

2009/4/25(土) 午前 1:19 [ 琵琶 ]

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先月、実家の愛犬と車で曽根沼公園まで行ってきたところです♪

私の父は戦後生まれ、祖父母は私が生まれる以前に亡くなったので、戦中・終戦直後の彦根のことはほとんど知りません。

彦根藩の時代ほどには資料も研究されていないでしょうし・・・貴重なお話をたくさん伺えそうで、わくわくしています☆

ぜひぜひ、またこちらからも琵琶さんのブログにうかがいますね!!

2009/4/25(土) 午前 1:34 [ ほったん ]

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