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ぶっちゃけ、ほったん個人の意見としては「脳死=人の死」である。
少なくとも、自分が脳死状態に陥ったら、それは死として受け入れてほしいと願っている。
そこらへんはもう、子供の頃から少しも揺るがない。
しかしながら、ほったんは「臓器移植」を背景として脳死を論じる風潮に強い不信感を抱いていて、結局のところそれは、臓器移植そのものに自分は賛成できないからなのだということを認めざるを得ないんである。
ほったんは別に、死んでしまってから後なら自分の体が切り刻まれようが何しようが構わないのであって、実を言うと、自分の死体を医学部の学生さんの解剖実習用に使ってもらってもいいな、などと考えてたりもする。
自分だって「医学の発展のため」という大義名分を振りかざして、これまで(そしてたぶん、これからも)幾多の動物の命を奪ってきたわけであるからして、そのことの償いにできるわけでもないけれど、ま、好きなだけ切り刻んでくださいよ、と、こう思う。
ま、ただ切り刻まれてポイされるよりか、魚のえさにでもなった方がさらにいいような気はするけどね。
できたら自然の中へ、食物連鎖の中に取り込まれたいというのが正直なところ。
ま、それはともかくとして。
なんで臓器移植に反対か。
ぶっちゃけ、その治療効果に疑問を抱いているからというのが、まずひとつ。
臓器の生着率、移植後の生存率等、学会が出している統計的数値にもいろいろと疑いがあるというのは、も、専門家の中でもよく議論になるところであって。
で、もひとつ、これだけのお金と人手をかけてやるわりには、実はそれほど社会的に利益がないんちゃうけ、と思う。
こういう表現は、実際に病気で苦しんでいる方を精神的にも追い詰めてしまうので、自分でもあんまり良くないなあ、と思うんですけれど。ほんと申し訳ないんですけれど。
でもね、脳死からの移植ができるスペシャルな医者1人育てるよりも、ごくごく普通の産婦人科医を100人育てるほうが、今の日本の現状を考えたら、大事なことちゃいますか?
あちこちの公立病院で、お医者さんが一時に何人も辞職して、診療科を丸ごと閉鎖なんてことが、いま、まさしく実際に起こっているわけなんですよ?
そんなときに。
とある臓器不全を抱えた気の毒な患者さん一人のために、移植コーディネーターをはじめとして多くのスタッフを必要とし、お金も時間もやたらめったらかかる移植手術なんか、悠長にやってる場合なんか?
ちなみに、移植医療はやる側にとっては、非常に経済的な利益が大きいものなのだが。。。
もちろん、透析の大変さはよく知っているし、そうした障害を抱えて生きる患者さんの苦悩を無視する気はないです。
でも、透析さえしてれば、少なくとも死にはしないわけであって。
移植を待ちわびてる患者さんがこれだけいらっしゃるんだ、と、移植ネットワークや学会は大々的に宣伝しているけれど、裏を返せば、じゃあ、それだけの数の脳死体が必要なのかってことになる。
脳死体は、定期的に決まった数が手に入るというもんではないのに。
ていうか、提供者の臓器は健康であることが当然ながら前提なのであって、臓器不全を抱えた気の毒な患者さんを救うために、心臓も腎臓も健康そのものな、ぴっちぴちの脳死体がどこかで生まれる(?)のを、みんなで今か今かと待ち構えているのか?
それって、どうよ?と思うわけだ。
少なくともほったん個人は、そのようなことを期待するという時点で、倫理的に大いに問題があると思うのだ。
そこらへんの大事な議論がいろいろすっぽ抜けていると感じるから、移植そのものに原則反対なんである。
日本の医療が崩壊の危機にさらされている今の状況の中で、本当に急いで国民全体で考え、取り組まなければならない問題が山積みになっている現状で、移植医療や脳死判定について考えることが、どれほど優先順位の高いもんか、まず大いに疑問ではあるんですけどね。
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