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ま正面 浅間に向かってぺんを持つ
二階の私の部屋から雄大な浅間山が見える。朝に夕に
浅間へのあいさつが一日の始まりと、お別れの日課となっ
ている。
昨年の秋から噴煙が目立ち、最近は特に多い。浅間の煙
を見ていると幼いころの思い出がこみ上げてくる。
私の幼少時、浅間は何度か爆発した。小学三年生の夜中
に大爆発があった。熟睡していた私を母は二階まで抱き抱
え、揺り動かして起こし浅間に顔を向けてくれたのである。
「あ!浅間山がもえている」そう、あの夜以来この山を
「火の山」と呼んだ。なつかしいふるさとの山は、すべて
を焼きつくす厳しい火の山でもあったのだ。
子供たちの遊び場であった野原や河原の後ろには、いつ
も浅間山がどっしりと見守っていてくれた。だからみんな
安心して遊んだのだ。
ガキ大将が言った。
「おめえら知ってるかぁ、あさまのけむりがいつも東へ
行ってるけど、あれが西へ行くとえれえことになるだぞぉ。
あっちにやぁソ連つうおっかねえ国があって、灰をふらし
たらおこって日本へバクダン落とすんだつうぞぉ」
ガキ大将の言葉は絶対だった。どこがソ連かも知らなかっ
たが、遠い西の山のすぐ向こうにソ連があって、浅間山の
煙を見上げていると思っていた。
「戦争はおっかねえつうぞ」
ガキ大将はこうも言っていた。ふるえる心で幼友達と一緒
に「けむり東へいけー、東へいけー」といつも祈るように
山を見ていた。天気の変わり目、東風になるとドキドキし
ていたものだった。
そんな純な心がなつかしい。
ゆったり東の空へたなびく煙を見ていると、あの夜の
「○○起きなぁー起きて見なぁー」そう呼んでくれた母
の声が聞こえてくるようだ。
痴ほうが進み、私の名前すら呼んでくれなくなった母
の、なつかしい声なのである。
☆ ☆ ☆ ☆
昨年一月に他界した母ですが、この文は母の亡くなる前に書いた
ものです。
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い〜や、そのガキ大将は誰からそんな噂を仕入れたのでしようね。幼心でさぞ怖かったことでしようね。痴呆のお母様の呼び声を浅間のたなびく煙に重ねてご覧になられているのですね。ところで浅間山のお近くにお住まいだったのですね。
2009/3/31(火) 午前 9:18 [ kabanotakara ]
この地方では昔からよく言われていたようです。
浅間の煙が西へ行くと、東風になり天気が荒れる(悪くなる)ことから、そんな風に言われたのだと思います。
ソ連のことも、戦後誰かが言い始め、子供たちが騒いでいたのです。
2009/3/31(火) 午後 9:08 [ hounoki508 ]
この界隈に住む人にとっては
神様
仏さま
ご先祖さま
ひとつ間を置いて
あさま
と云ったところでしょうか。
2009/4/3(金) 午前 7:47 [ moheji ]
もへじさん、浅間といえばもへじさんの蒸気機関車の画、なんともいいですね。浅間の煙を機関車の煙に重ね、大空へ飛び立つようで・・・。
母の実家が信越線のすぐ前にあったので、幼いころ母の実家へ行くのが楽しみでした。
そこは長い坂になっていたので、上りの汽車はとてもゆっくり走って東京の方へ向かっていきました。
汽車の後ろにそびえる浅間の景色は最高でした。
2009/4/4(土) 午後 5:53 [ hounoki508 ]